「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/10/16 発行
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第99巻 「生きる意味」
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 幼い頃、訳もなくとても怖く感じていたことが、私にはたくさんあった。

 それを解消するためだったのだろうか、布団の中で祈りの言葉を唱えていた時期があった。いったい誰に聞いてもらうために唱えていたのか、いつからこんな言葉を唱え始めたのか、さっぱり覚えていない。

 この祈りの言葉の数、結構たくさんあったのだが、ほとんど忘れてしまった。でも今でも覚えているのが「火事が起こりませんように、泥棒が入りませんように、殺されませんように、死にませんように」である。

 この祈りの根底にあるのは、「死にたくない」という願望だ。

 根暗な小学生だった私は、家庭環境があまりにもとっちらかっているのが悲しくて、どこにいても心が安まらなくてつらくて、「死にたい」とよく考えていた。ナイフなどを手に持ってみたりしたこともある。
 なのに夜になると、そんな思いとは相反する行為を繰り返していたのである。

 布団を頭からすっぽりかぶって、小さな声でぶつぶつと夜のお祈りをしていたのは、たぶん小学校低学年の頃だと思う。だが、それまでに私は実際に「人の死」というものに遭遇したことはなかったはずだ。

 このお祈りはいつの間にかやめてしまったが、たまにそのころの情景を思い出すことがある。
 生きる意味なんて何もわかってなかった、あの頃の私。

 初めて亡くなった人の顔を見たのは高校生の頃だった。ほとんど会ったこともなかった父方の祖母の死に顔を見たのだが、その顔が人であって人ではないように感じた。

 30代に入る頃から、親戚の葬儀に参列する機会がぐんと増えた。
 母が死んだ年の夏に、我が家ととても親しくしていた母方の親戚が2人、相次いで亡くなった。まず伯父(母の兄)が逝き、そのちょうど1週間後に叔母(母の妹)のご主人が息を引き取ったのだ。

 2人とも長い闘病生活を送っていた。母は生前、彼等の様態を大変心配していた。だから私には、母が彼等とその家族達を楽にするためにあの世に連れて行ったのではないかと思えてならなかった。

 身近な人の死を見つめ、向かい合うということには、自分の生きる意味が隠されているような気がしてならない。

 以前、俳優の中井貴一さんが「徹子の部屋」というテレビ番組に出演された時、とても心に残ることをおっしゃっていた。その時の内容と同じようなことを新聞社のインタビューに対してもおっしゃっているので、その記事を以下に引用させていただく。

--------------ここから引用--------------------------------------------
「おびえるということではないけど、38歳で死はあり得るという恐怖を感じていました。あと何年というカウントダウンの人生です。それを過ぎた今、現実的に当時より死に近づいているんだろうけど、ようやくどう生きていこうかっていう考えになってきた。だから結婚もできたんです」
(日刊スポーツ 2003.1.12付紙面より)
--------------引用おわり----------------------------------------------

 中井貴一さんのお父様は、俳優の佐田啓二さんである。1964年(昭和39年)に交通事故で急逝された。まだ38才の若さだったという。
 佐田さんが亡くなられた時、中井さんはまだ3才になっていなかった。

 きっとそれほどお父様の記憶が脳裏に残っているわけでもないと思う。それでも父親と同じ俳優の道を選び、こういう考えを抱かれるのは、父親の死というものに対して、彼なりに真摯に向かい合い、自分の生きる意味を考え続けておられた証拠だと思う。それにきっと、佐田さんの奥様の生き方も素晴らしかったのだろうな。

 38才を乗り越えた中井さんが結婚されたのは、39才の誕生日だったという。

 私の母は10年ほど前、小脳にできた悪性腫瘍(ガン)が原因で倒れた。悪性腫瘍の元は、乳ガンだった。
 1年間の壮絶な闘病生活の後、母は亡くなった。59才だった。

 それから数年後、親しくしていた従姉がガンに冒された。彼女は医者から自分の病名を聞き出し、その直後に見舞いに行った私にこうつぶやいた。

「あんたのお母さんより、絶対長生きするで」

 彼女が亡くなったのは、59才になってすぐのことだった。

 本当に身近にいてくれた人が、そろって59才という年齢で亡くなったという事実。
 迷信を信じる方ではないけれど、私の心には澱のようにずっとこのことが引っかかっている。

 母と従姉、2人の命を考える時、私は中井さんの言葉をよく思い出す。
 私は果たして、母や従姉より長く生きられるのだろうかと。2人の死が、私の運命を示唆しているのではないかと。
 こんなことを考えてしまう私は、結局死ぬのが怖いのだろう。幼い頃の私と、さほど変わってはいない。

 私の寿命が59才なのかどうかは、「運命」の領域だ。決してわからないし、わからない方がいいのだ。
 でも最近思う。私のターニングポイントは、たぶん60才なのだと。それが生死に関わっているかどうかは別にして。

 中井さんは、同じインタビューでこんなこともおっしゃっている。

--------------ここから引用--------------------------------------------
「〜(前略)ただ、同じ仕事ですから、精神的に、どこか38歳まではオヤジの生きていた道をなぞっているという気持ちはあった。でも(38歳を)超えると未知の領域。それまでオヤジが『おい、こういう時は気をつけろよ』みたいに話してくれたような気がしてたけど、これから先はおれがオヤジに『結構大変だよ』って話してあげなきゃいけない人生なんだなって。もう守られていないという緊張感というか。2歳半の時にとっくに死んでしまっているんだけど、そういう意味では38歳の時に、本当にオヤジの死を実感したのかも知れません」
(日刊スポーツ 2003.1.12付紙面より)
--------------引用おわり----------------------------------------------

 母と従姉は私に「生きる意味」という重い課題を無言で与えて、亡くなっていった。そんな2人は、私が60才になるまでの生き方を、あの世で見つめてくれているのかもしれない。

 私が生きる意味を、私は死ぬまでに見つけることができるだろうか。


*中井貴一さんのインタビュー全文は、以下のアドレスでご覧になれます。
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030112.html