「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

----------------------------------------------------------------------
目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/09/29 発行
----------------------------------------------------------------------
第98巻 「やるせない世間体」
----------------------------------------------------------------------


 少し前、高校時代の友人から思いがけないことを聞いた。
 私たちの共通の友人であるAちゃんのお父さんが、痴呆状態になられたらしいのである。

 介護保険サービスは、通常65歳以上になれば利用できる。利用するためには、要介護認定の申請が必要である。
 申請をすると担当の人がやってきて、申請者の体の状態などをあれやこれやとチェック(マークシート式なのだ)し、その結果と医者の判断に基づいて、介護度の認定がされる。その後、介護保険証が交付される。
 現在増えている老人保健施設や、病院に併設されているデイケア施設等を利用するためには、必ずこの「介護保険証」が必要なのである。

 要介護認定には、要支援・要介護1〜5という6段階あり、利用できる介護サービスの利用限度額が違うのである。
 要介護5というランクが一番限度額が高い。つまり介護の必要度が一番高いということになる。ちなみに私の父は、要介護2である。

 今、Aちゃんのお父さんは、要介護5。

 Aちゃんは一人っ子。ご主人と2人の子供がいる、しっかり者の主婦である。結婚して数年経ってから、彼女は自分の両親と同居し始めた。
 彼女のご主人はいわゆる「マスオさん」となり、家族は6人となった。

 お父さんの様子がおかしいということには、彼女は当然気付いていた。明らかに痴呆の症状が現れていたからだ。彼女のご主人も子どもたちも当然心配し、お父さんを病院に連れて行こうとするのだが、そこに立ちはだかるのがAちゃんのお母さんである。
 彼女はこう言って、お父さんを病院に連れて行くことを阻んだそうである。

「うちの人を、きちがい扱いする気か!」

 それ以降、お父さんが要介護5の状態になるまでに、どのようなことが家庭内で起こったのかは知る由もない。結局もう手の施しようがなくなってからお父さんを病院に連れて行ったAちゃんたちは、当然医者から叱られてしまった。

「こんな状態になるまで、よく放っておきましたね」

 世の中は既に21世紀。Aちゃんの家の場所は大阪府内の「都市」である。そんな環境でもいまだに息づく、やるせない世間体。
 Aちゃんのお母さんが考える「世間体の定義」って何だろう。

 地方出身の別の友人に聞くと、似たようなことは地方へ行くと未だに枚挙にいとまがないと言い切る。

 人口の少なさも手伝って、総合病院も老人保健施設も何十キロと離れた隣町に行かなければならない環境に置かれている地方は多い。
 当然、マイカーがなければ生活ができない。

 でも年を取ると、運転もままならなくなる。頼りにしたい子供は、地方での就職難と、何よりも地方特有の煩わしさを嫌って都会に行ってしまう。
 だからこそ住民達は肩を寄せ合い協力し合って生きていかなければならないのだが、それが悪い方に出ると、とんでもないことになる。

 少しでも人と違うことをしでかすと、たちまち(というか、一瞬で)地域内で噂になる。噂には尾ひれがたくさんついて、ますます拡大していく。変化を嫌っているくせに、変化を見るのが何より好きなのである。
 騒がず目立たず同化して生きるのが、一番楽なのである。

 そんな地方では、「救急車がやって来る」ということも、ひとつのイベント。野次馬がわらわらと集まり、噂話に花が咲く。
 だから、急病になっても大けがをしても、救急車を呼ぶということをなるべく避けるのだそうである。タクシーも然り。こっそりマイカーで運ぶのである。マイカーがなければ、搬送はそれだけ遅れてしまう。

 それを非難すると、「世間体が悪いから」という言葉で一蹴されてしまう。

 現に、この友人の親戚筋の女性が家で怪我をしたにも関わらず、彼女のご主人がもちろん救急車も呼ばず、まして「世間体が悪い」という理由で病院にも連れて行かなかったことがきっかけとなって、彼女は痴呆症を患ってしまったそうなのだ。

 病人本人が病院へ行くことを拒んでいるわけではない。すぐにしかるべき処置をすれば、進行を食い止めたり完治する可能性もあったのだ。
 この女性のご主人が考える「世間体の定義」って何だろう。

 10年前、私の母がガンで入院生活を送っていた時のことである。
 入院から2ヶ月後、母は一度危篤状態に陥った。ICUでの集中治療のおかげで奇跡的に回復したのだが、まともな会話ができるようになって母が最初に言った言葉に、私は切れてしまった。

「(ICUに入る直前にいた)病室の人に、ティッシュ1箱ずつ配っといて」

 大部屋に入院すると、御見舞で持ち込まれた食べ物などがお裾分けとして回ってくることがよくある。そして退院時には、同室の人に物を配る(大体ティッシュ1箱とか、いわゆる病院でよく使われる消耗品)人もおられる。

 病気になってそれまで以上に神経質になっていた母、同室の人にご挨拶もせず、物を配ることもせずにICUに入ってしまったことが、気になって仕方ないらしかった。
 だけどできなくて当然である。何しろ病状が急変したのだから。

 それよりも何よりも母が一番気にしていたのは、「何も配らずに出て行った」と自分が陰口を言われること。実際にそんな牢名主みたいなおばはんが、当時は必ず一部屋に1人は存在したのだ。

 こんなたかだか数人のコミュニティでも、世間体が存在するのだ。悲しいくらいやるせない、世間体が。
 母はこういう類の世間体を、本当に気に病む人だった。

 私と母とが交わしたICUでの最初の会話が、口げんか。

「ティッシュを配ることよりも、もっと大事なことがあるやろ」って。
「何のために(実際、その病室にいたのは短期間だった)配るんや」って。
 結局、ティッシュは配ったけれど。

 世間体を気にすること自体が悪いとは、私は思わない。むしろ美徳かもしれない。気にしすぎない人が多い、昨今だもの。でも私は、こう思う。
 第三者にやるせなさを感じさせる「世間体が悪い」という言葉は、それを吐いた人のエゴだと。

 Aちゃんのお母さんや、救急車を呼ばなかったご主人、ティッシュを配るよう命令した私の母も、立場は違えどみんな同じ穴の狢(むじな)だ。
 他人への思いより、自分の価値観より、人間の尊厳より、「世間体」を選択したという意味においては。

 世間体って人を磨くこともあるけれど、人を壊すこともあるんだ。

 Aちゃん一家は、現在も家でお父さんの世話をしているそうである。
 彼女のお母さんは、今「世間体」という形のないものについて、どう考えているのだろう。

 その思いが、私をますますやるせない気持ちにさせる。