「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/09/09 発行
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第97巻 「時代の同士」
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 9月2日、火曜日。私はJR環状線の大阪城公園駅に降り立った。
 この駅で電車を降りるのは、本当に久しぶりだ。少なくとも10年ぶりぐらいじゃないだろうか。

 駅から目的地までは、ぶらぶら歩いて5分ほど。10年前と景色はほとんど変わらないけれど、1つだけ増えた物がある。
 それは、ホームレスの人が設営している青テント。

 たぶん日本中で1番多くのテントがあると思われる大阪。いろいろな悲哀は別にして、この青テントのできばえは芸術的である。立派な「家」となっているのだ。
 そんな「家」を横目に見ながら、目的地に到着した。

 その目的地とは、大阪城ホール。この日、あるコンサートが開催されるのだ。チケットがゲットできた約2ヶ月くらい前から、私はこの日を楽しみに待っていた。

 私の席は、アリーナ席の前から27列目。中央より少し右寄りだが、舞台はよく見える。
 舞台の両側には、大きなモニターがセットされている。

 張り切りすぎて、開演30分前に到着してしまった私。手持ちぶさたなので、ロビーの椅子に座って自販機のコーヒーを飲んだ。
 たくさんの人たちが、楽しげに私の前を行き過ぎていく。

 明らかにこのコンサートには場違いに見える年配のおっさん2人が、私のすぐそばに座って、うだうだと話をしている。

「なんで、こんなチケットが手に入りましたんや?」
「わし、このコンサートの主催会社の責任者してますんや」
「あぁ、そうでっか」
「(コンサート出演者が)テレビでしゃべってるのを見ましたけど、『もう体がついていきません』って言うとりましたわ」
「そうでっしゃろな」

 開演時間が近づいてきたので、席に戻った。
 周りを見渡すとやはり私と同年代の女性が多いが、若い人や年配の方たちもちらほら見かけられた。

 鞄の中から双眼鏡を取り出す。舞台にピントを合わせて、スタンバイOK。

 午後6時半を少し回った頃、場内暗転。客席からは歓声や懐かしいかけ声がかかり始める。
 ロングドレスをまとった彼女たちが、歌いながら登場してきた。

 ピンク・レディーである。

 私は中学1年の頃、交通事故に遭った。外傷はなかったのだが、軽いむち打ち症からくる偏頭痛に悩まされ、2ヶ月ほど入院していた。
 退院後、テレビの歌番組に出演していた彼女たちを見た私は、いっぺんにファンになってしまった。

 生来の運動音痴のせいで、私は彼女たちの振り付けを完璧にマスターすることはできなかった。でもお小遣いを貯めて、レコードをこつこつと買い集めた。
 解散直前に行われたコンサートも見に行った。

 テレビで中継された後楽園球場(当時はまだ東京ドームではなかった)での解散コンサートを、出かける用事ができて見られなかった(当時はまだビデオがなかった)のが、くやしくてたまらなかった。

 思い出は、たくさんある。

 1976年(昭和51年)にデビューし、1981年(昭和56年)に5年足らずの活動で解散するまで、ピンク・レディーはまさに一時代を築いた。
 今のスマップやモーニング娘。などとは、桁違いの人気を誇っていた。絶頂期の頃は、彼女たちを見ない日などなかった。テレビをつければどこかの局で歌ったり踊ったり、時には小芝居までやらされていた。

 老若男女、誰でも知っていた、まさに「国民的スター」だったのだ。

 解散後、一時的な復活は何度かあったけれど、コンサートツアーを行うのは解散以来初めてである。
 まさに22年ぶりの、お宝コンサート。チケットが無事取れた瞬間は、うれしかったなぁ。

 そうは言っても、ミーちゃん45才、ケイちゃん46才(コンサート当日、ケイちゃん46才の誕生日だったのだ)。2人とも既婚である。
 あの振り付けでの2時間ぶっ通しステージは、さぞきつかろう。

 それを考慮してか、1曲終わる毎に休憩を兼ねた2人のトークが炸裂する。その口調は、すっかりおばちゃんである。
 半分芝居がかってはいるのだが、数曲連続で歌い踊った後は疲れた様子でステージ上でひっくり返り、水分・酸素補給を大騒ぎしながら行っている。
 それに途中で他のダンサー達の応援が入るところも、当時とは違う。

 それでも、さすがプロである。
 彼女たちのスタイルは、当時とほとんど変わっていない。ミニスカートも厚底ロングブーツも、全く違和感がない。
 踊りも当時の激しさのままで、「UFO」で足を上げる時などは、当時よりもよく上がっているのではないかと思われるくらいだ。

 その徹底ぶりに、客席からはどよめきにも似た歓声が上がる。懐かしい曲が次々に登場し、会場全体がヒートアップしていく。

 私と同世代の女性のほとんどが、彼女たちの振り付けに合わせて踊っている。手や腰を地味に動かしている人から、飛び跳ねるように踊っている人まで様々である。

 男性はと言うと、もう本当にうれしそうに、にこにこしながら体を動かしている。
 きっと20数年前は、必死になってかけ声をかけていた人たちだろうな。

 楽しみ方はそれぞれみんな違うのだけれど、会場全体に一体感がみなぎっている。
 私はなんだかものすごく感動してしまった。一瞬、鳥肌が立ったくらいだ。

 この会場にいるほとんどの人たちは、ピンク・レディーを媒体として結びついていて、ピンク・レディーと共に時代を駆け抜けた「同士」なのだ。
 こんなにたくさん、頑張っている人たちがいる。

 あの頃まだ子供だった人たちが、ピンク・レディーの思い出を携えて20数年後に再び集まることができる。
 同じ時代を生き、なおかつ共有できる何かを持っている同士がいるということは、とても幸せなことなんだなぁ。

 それにもまして、ロングドレスも似合う大人の女性になり、すごく楽しそうにピンク・レディーしている、ミーちゃんとケイちゃん。
「私たちが、ピンク・レディーです」と言い切る2人には、人気絶頂期には見受けられなかった自信と潔さが感じられた。

 それは、様々な出来事を乗り越えて、それを糧にして成長してきた人に与え
られる、特権なのかもしれない。
 自分が40代半ばになった時、彼女たちのように「私は私だ」と胸を張って言
える女性に、果たしてなっているかな。

 コンサート終了後、懐かしい曲を口ずさみながら駅に向かう人たちを、たくさん見かけた。
 私も1週間経った今でも、あのコンサートの余韻に浸っている。