「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/06/17 発行
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第91巻 「抗えないこと」
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 1ヶ月ほど前、友人としゃべっていた時のことである。

 彼女には2人の子どもがいて、上の子は小学校1年生、下の子は現在保育所に通っている。
 彼女の子どもたちが学校や保育所で繰り広げる、しっちゃかめっちゃかの生活ぶりを彼女から聞いて、私は大笑いしていた。その流れで「母の日」の話題になったのだが、彼女がこんなことを言ったのだ。

「うちの子が通ってる保育所では『母の日』関連の行事とか、お母さんの絵を描くとかっていう時間はないんやで」

 今や「母の日」「父の日」といえば、日本の年間イベントスケジュールからはずせない行事のうちのひとつである。
 不思議に思った私が「なんで?」と聞くと、彼女の答えはこうだった。

「だって、保育所にはいろんな事情がある家庭の子どもが通って来てるやろ。片親がおらへん家庭の確率も高いし。幼稚園ではそんな家庭の確率が低いから気にせんとイベントやってるみたいやけど」

 お父さんやお母さんがいない子どもがいるのも、ごく当然のことである。だけどお父さんやお母さんがいなければ、子どもはこの世にはいないのである。
 それが方針なのかもしれないけれど、「父の日」や「母の日」を保育所が避けて通るのはなぜなのだろう。

 私がそんなことをつぶやくと、彼女は不思議そうな顔をしていた。

 私は両親が共働きだったこともあり、幼稚園には行っていない。
 企業に併設された託児所に一時期いた後は、学齢期になるまで公立の保育所にずっと通っていた。
 子どもの足だと、たぶん20分くらいはかかる距離だ。

 我が家から徒歩5分もかからない場所に私立の幼稚園があった。
 それに、当時は公立の小学校には必ず幼稚園が併設されていた。公立幼稚園の子どもたちは、夏になるとその小学校のプールを使い、卒園するとそのままその小学校に入学するのである。

 近所の子どもたちは、公立・私立どちらかの幼稚園に通っていた。保育所に通っている近所の子どもは、他にいなかった。

 当時も共働きの家庭は多かったけれど、今ほどではなかった。圧倒的に幼稚園に通っていた子どもの方が多かったような気がする。
 保育所と幼稚園の違いなんて、幼かった私には全くわからなかった。

「私はみんなと一緒に、幼稚園に行ったらあかんのかな・・・」

 小学生になり、私の交際範囲も多少広がっていく。母は極度に嫌がってはいたけれど、友だちの家に行って遊んだりすることもあった。

 友だちの家に行くと、自分の家では見たこともないものがたくさんあった。
 おもちゃをたくさん持っている子、自分の部屋がある子。おひな様やピアノ、ソファや絨毯。そして自分の家よりはるかに多い部屋数。

 そんな友だちのお母さんは、十中八九専業主婦。お菓子やケーキやジュースを出して、もてなしてくれた。

「ずーっと家にいるおかあちゃんもいるんや」

 私の父はトラック運転手だったので、通勤時は作業服か私服である。玄関には安全靴が転がっていたりした。
 仕事帰りには必ず立ち飲み屋に行ったり、パチンコをしたりしてひと遊びしてからでないと家には帰ってこない人だった。

 ネクタイをしめた父を見る時は、冠婚葬祭の時だけである。父は背が低くて胴長短足なので、背広姿が全然似合わない。
 根っからのブルーカラー人種である。

 だけど友だちの大部分のお父さんは、背広にネクタイ姿、手にはかっこいい鞄を持ってさっそうと通勤していた。
 安全靴とかタコメーターとかという言葉は、そんなお父さんを持つ友だちには通じない。

「なんでうちのおとうちゃんは、背広着て会社に行かへんのやろ」

 小学5〜6年生にもなると、いよいよ中学生活が目前にせまってくる。私はその頃になるまで、小学校卒業後は校区内にある中学校に全員が行くものなのだと思っていた。
 だけど、私立中学に進学するために猛勉強をしているクラスメートが、各クラスに1〜2人いた。

 彼らの成績は、当然学年でトップクラス。当時は私立中学合格を目指す進学塾は地元にはなく、放課後や休日になると進学組は遠く離れた進学塾に通っていた。
 だけど彼らは学校では無邪気に暴れ回って、時々先生から雷を落とされたりもしていた。生徒会の選挙にも立候補したりして、フットワークが抜群だった。万事そつがなく、スポーツも万能だった。

「お金持ちで、スポーツ万能で、頭もいい、こんな人もいるんや」

 高校受験時、先生は公立高校の滑り止めとして私立高校の併願受験を必ず勧めていた。その勧めに従い、公立高校進学を希望するほとんど全ての生徒が私立と公立を併願受験していた。
 だけど母は、先生にこう言った。

「私立なんかに行かせるお金はありません。公立にすべったら、働きながら夜間高校に行かせます」

 私は結局、公立1本勝負で高校受験に望むことになったのである。

「みーんな併願してるのに、なんで私はでけへんのやろ」

 各家庭それぞれに、それぞれの事情を抱えている。そこに生まれた子供は、その事情の中で育っていく。
 そして人とのつながりが広がっていく中で子どもは様々な体験をして、人間の多様性を学んでいくものなんだと思う。

 自分が持っているものを持っていない、持つことができない友だちがいる。反対に、友だちが持っているものを持てない自分がいる。
 そのことに関する疑問を、子どもは残酷なまでにストレートに問いただしてくる。

 子どもからそういう質問をされることは、親にとっては恥ずかしいことなのかもしれない。自分の子どもにだけは、つらい思いをさせたくはないと痛切に感じるのも、また親なのだと思う。

 だけど、どんなに望んでも手に入らないものが必ずあるのだということ、それ以上に大切なことがあると子どもに伝えるのも、大人としての責務じゃないだろうか。

 子どもが大人になる過程で絶対知らなければならないことは、「世の中にはどうしようもないこと、抗(あらが)えないことがあるんだ」という事実だと、私は思う。

 ただ昔ほど貧富の差というものを感じられなくなった今、普段の生活の中でこういう事実を知ることは難しくなっているんだろうなぁ。
 だから簡単に、人を傷つけたりする人が多いのかもしれない。

 最近、本当に物騒なことが多い。子どもを取り巻く環境も、日々厳しくなってきている。
 近年大阪で起こった生徒殺傷事件をきっかけにして、危険なことが起こった場合を想定した避難訓練を実施しようという動きがある。でも、子どもの恐怖心を考えて実施しない自治体もあるらしい。

 だけど、だからといって、子どもを傷つけないようにスポイルすることが、子どもを守ることじゃない。
 隠すことが「是」とは限らないんじゃないだろうか。

 子どもを守るためという名目で、子どもの周りを大人の手で無菌状態にし、その結果、大人と子どもとが対等な関係になってしまう。
 子どもにとっての大人とは、無条件に人生の先輩であるべきはずなのに。

 以前は子どものことを「お子たち」と呼んでいたのに、いつの間にか「お子様」と呼ぶようになってしまった。でも大人になっても、「大人様」という呼び名はない。
 そんな純粋培養された子どもたちが、年をとることが悪で、若いということが善だと、考えない方がおかしい。

 よけいな気遣いをせず、保育所もせっかくの機会なのだから「父の日」「母の日」とは何なのかを、家庭に事情がある子どもたちにも説明し、親のおかげで今ここにいる、という感謝の気持ちを芽生えさせるきっかけとなるようなひとときにすればいいんじゃないだろうか。
 そして、両親が揃う子どもたちにとって、お父さんやお母さんがいないということはどんな意味があるのかを感じる、大切な機会なのだとも思う。

 子どもに先回りするのではなく、子どもの後ろから見守ることを、大人はいつからできなくなってしまったのだろう。
 大人が自信を失っている証拠かもしれない。

 どうしようもないこと、抗えないことがあるということを知ることで、子どもは本物の大人へ成長するための第一歩を踏み出すのだ。
 そしてそんな子どもを見守り導くのが、本物の大人の役割だと思う。