「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/06/03 発行
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第90巻 「私の提案」
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 自動車免許を取得してから約5年。車は維持費がかかるので、消費税が5%に上がる直前に原付バイクを購入してから、数年が経つ。

 最初の頃は、重くてバイクを動かすこともできなかった。直接体に感じるスピード感にびくびくし、風にあおられてふらふらし、道路を右折するのもおっかなびっくり。
 でも今では、車の流れにのって走ることにも慣れ、後ろからクラクションを鳴らされることなく右折ができるようにもなった。

 狭い日本、原付バイクというのは慣れるととても便利な乗り物である。日本の道路事情にぴったりの乗り物だと言っても、過言ではない。
 けれど、歩行者からも自転車からも車からも嫌われているように思う。

 第4巻「肩身の狭い原チャリ」でも書いたけれど、原付バイクは「原動機付自転車」という正式名称通り、エンジンを搭載していても所詮「自転車」なのだ。
 だけど原付バイクが嫌われている原因は、その中途半端さだけではないだろう。マナーを守らない原チャリ族が、多すぎるせいもある。

 車の間をすりぬける奴、猛烈なスピードを出す奴、車の列の一番先頭に出るために、対向車線を走り抜ける奴もいる。ヘルメットをかぶってなかったり、原チャリに2人乗りしている奴らだっている。

 お前らは死にたいんか! などと思ってしまう。

 ミラーの活用ができていない人も多い。特におばちゃん原チャリ族は、後ろを見ない。だから突然、車線変更をしたりする。
 そばを走っている私が、ひっくり返りそうになる。

 私の独断だけれど、こういうおばちゃん原チャリ族は、原付のみの免許証を持っている人で、かつ、自転車からの移行組が多いんじゃないかと思っている。

 自動車教習所で車に乗ると、ミラーを見る癖をつけるように徹底的に指導される。だけど自転車からの移行組には、そのような癖はない。
 彼女たちは、自転車と同じ感覚で運転しているのだ。

 それはともかく、頭にヘルメットをかぶっているだけの無防備な原チャリ族は、特に車のドライバーにとっては目障りな存在であろうことは想像に難くない。
 私だって、車に乗った時の目線から見た原チャリは、とても危ないと思うから。

 だけど最近、バイクを運転していると、いったい何を考えているんだろうと思わせる歩行者や自転車が増えてきた。
 なんというか、ぼーっとしている人が多いのだ。

 車の敵は原チャリかもしれないけど、原チャリの敵は歩行者と自転車だ。

 自慢でも何でもないけれど、大阪という所は交通マナーが日本一悪い場所と断言できる。

 お金がもったいないから駐車場を利用することを嫌うので、路上駐車で車線がふさがれているなどということは、日常茶飯事だ。
 もたもたした運転をしてたり、信号が青に変わった時に少しでも発進が遅れると、後ろの車がすぐにクラクションを鳴らす。

 歩行者や自転車も同様で、信号無視などはナチュラルに行われている。
 飛び出しも多い。なぜなら、「渡りたい場所が横断歩道」となるからである。

 たとえそのすぐ近くに本物の横断歩道があっても、そこまで行くことはしない。めんどくさいのである。
 特にお年寄りは、ろくすっぽ確認もせずに道路を堂々と横断される。スーパーや病院近辺では要注意である。
 そして、夜に走っている自転車のほとんどは、なぜか無灯火なのである。

 大阪で運転免許が取得できたら、全国どこでも違和感なく運転できると皮肉られる所以である。
 路肩を走る機会が多い原チャリ族にとっては、大阪という所は劣悪な環境である。

 そんな劣悪環境である大阪でも、事故の原因が明らかに歩行者や自転車の飛び出しや、横断歩道じゃないところでの横断であっても、処罰の対象者は免許証を持っている方である。
 免許証を持っている者は、安全運転を心がけなければならない。それが義務だし、当然のことだと思う。

 でも、それでもである。
 年々歩行者や自転車族の動きや反応が緩慢になってきているように思うのは私だけだろうか。
 すぐそばに車が止まっていることにも気付かずに、自分のペースで横断している。仮に車に気付いたとしても、態度は変わらない。

 先日、こんなことがあった。
 バイクに乗って帰宅途中に信号待ちで停車したのだが、例の如く歩行者たちは横断歩道でもないところで横断し、車の間を堂々とすり抜けていく。

 そうこうしているうちに、信号が青に変わった。対向車線からは車が近づいてくる。
 それでも歩幅を広げることも、もちろん走ろうともしない若い女性がいた。

 彼女がそばにいるので、私も発進ができない。あまりに危ないので、私は少し彼女をにらみつけてやった。
 だけどその女性は、ぼんやりした目つきをちらりと私に向けただけだった。

 まるで生気がない目つきだった。まるで―私の母が昔よく言ってたのだが―腐った魚の目、そのものだった。

 車がめったに走らない、田舎の一本道ではない。道幅が狭くて、車がしょっちゅう行き交う道路である。
 どうしてあそこまで無防備でいられるのか、私には不思議で仕方がない。生きるのが嫌なのかと、問いただしたくなる。

 だけど幸か不幸か、こんな人に、最近しょっちゅう出会うのである。

 交差点で人が横断している時は、車は歩行者が渡り終わるまで待つというのが原則である。
 それでも以前は、車が列をなして自分の横断を待っているということが目に入れば、元気な人なら少しは早足で渡ったものだと思う。
 だからこそドライバー側も、ゆっくり渡るお年寄りや子どもたちを余裕をもって見守ることができたのではないだろうか。

 最近では「お互い様」という気持ちが、すっぽりと抜け落ちてしまっている。歩行者優先という原則に、歩行者側があぐらをかいているとしか思えない。

 自転車も同様のことが言える。
 確かに自転車は、車道を走るものである。だけど、どんなに交通量が多い道路でも、田舎の一本道を走っているが如く、後ろの様子を全く気にすることなくのんびりとペダルをこぐ人が、最近非常に多い気がする。
 自分が迷惑をかけているかもしれないという心遣いを、彼らは全く持ち合わせていない。

 誰でも心がけなければならない「あたりまえのこと」を繰り返し連呼したり、法律や条令という形にしなければならないのが、現代社会である。
 そこで私は提案したい。「歩行者免許制度」と「自転車免許制度」の制定を。

 両方とも自動車免許取得の際と同様、実技試験と学科試験を行う。
 歩行者免許を取得できなければ、道路を歩くことが許されない。自転車も同様である。
 警察は違反者を検挙するために、検問を行う。違反をすれば処罰の対象となり、悪質な場合は免許取消となる。

「正しい歩行者」とか「自転車免許に合格する法」などという本が発売され、教習所も新たにオープン、新たな需要と供給が生まれる。
 これって、景気回復の突破口になるかも。

 エンジン搭載車のドライバーだけに責任が押しつけられるという時代は、終わらせなければならない。
 車なしでは成り立たない社会を作り、それを選択したのは私たちだ。ならば、歩行者にも自転車にも交通ルールを守ってもらわなければならない。
 歩行者・自転車・車、三位一体協力体制を築かなければ、交通事故なんて減るわけない。

 だけどそれが守れないなら、免許証を持ってもらうより他に方法はあるまい。あぁ、でも、なんて情けないんだろう。

 もしかしたらいつか「生存免許証」を取得しなければならない時代が来るのかなぁ。
 誰かに管理してもらわなければ生きてはいけない人が、これからどんどん増えるのかもしれない。

 いつから、自力で生きることができない人が増えちゃったんだろう。