「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/05/27 発行
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第89巻 「犬を飼いたい」
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 私が生まれた頃、我が家では猫を飼っていた。名前はタマといって、とてもおとなしい猫だったらしい。
 まだ赤ん坊だった私が縁側でひなたぼっこしながら寝ていると、タマは私の横でまるで子守をしているように寄り添っていたそうだ。

 タマがどんないきさつで飼われるようになったのか、詳しいことはよくわからない。何しろ私にはタマの記憶など、ひとかけらもないのだから。
 ただこのタマのことを、母はとてもかわいがっていたようである。

 私が3才の頃、我が家は現在住んでいる場所に引っ越しをした。でもタマは一緒に引っ越してはこなかった。
 引っ越しする直前に突然姿を消したと、幼い頃私は母から聞かされていた。

 でも本当は、母がタマを前の家に置き去りにしてきたというのが真実らしい。
 なぜ母は私に事実とは違うことを言っていたのか、なぜかわいがっていたタマを置き去りにしたのか、今となってはわからない。

 ただ母はそれ以降、猫を飼おうとはしなかった。
 亡くなる直前、意識がもうろうとし出した頃、母がタマの名前を呼んだことがある。「タマがそこにいる」とも言っていた。
 きっとタマのことは、ずっと気になっていたのだろう。

 いつ頃からか、我が家では父が釣ってきたフナを飼い始めた。下駄箱の上に置かれた水槽の中では、数匹のフナが泳いでいた。
 途中からは金魚が同居するようになった。この金魚、異常に発育がよくて元気だった。共食いサバイバルレースまで展開していた。

 父は魚釣りが好きだった。川でも池でも海でもお構いなしに、どこででも釣り糸をたれていた。小学生の頃は、私も父とよくフナ釣りに出かけた。
 だけど、場所によって釣り竿や釣り糸、仕掛けを変えたりすることはなかった。晩ご飯のおかずになるような大物を釣ったことは、皆無だった。

 もしかしたら父の魚釣り好きは、戦中戦後に食べ物を求めて池や川に出向いた子ども時代の名残だったのかもしれない。

 フナを入れていた水槽は割と大きくて、しかも重かったので、水槽の掃除や水の入れ替えは大仕事だった。
 最初に水槽の水をある程度抜き、フナをたらいに移動させ、水槽やポンプを洗って水を入れ替え、再びフナを水槽に戻す。

 父は、フナにえさはやるけれど掃除をしようとはしない。水が濁って水槽が汚れ始めると、母が「(水槽の)掃除をしろ!」ときゃんきゃん騒ぎ出す。
 それに根負けした父が母と一緒に掃除をするというのが、基本パターンであった。
 玄関の扉を開けっ放しにして大騒ぎしながら水槽掃除をしていたことを、未だに覚えておられる近所の人もいるくらいである。

 魚を飼うことをやめてしまったのは、いったいいつ頃だっただろう。

 父が倒れ、母と2人暮らしになってから、うさぎを飼おうかという話をしたことがある。
 母の勤め先の同僚で、うさぎを飼っていた人がいたらしい。うさぎならかわいいなぁ、ということで私も母も少し乗り気になっていた。

 だけどこの話は、すぐ立ち消えになった。うさぎは結構臭いし、あちこちかじりまくる習癖があるという話を聞いたからだったと思う。
 結局我が家には、フナと金魚がいなくなってからは人間以外の生物は生息していない。

 父は魚を飼い、母は猫を飼っていた。私だって何か飼ってみたい。この気持ちは常に私の頭の隅っこにある。
 私の深層心理に刻み込まれた願望なのかもしれない。

 ハムスターを飼おうかと思って、何度もペットショップに通った時もある。価格は手ごろだし、手間もそれほどかからないみたいだし、仕草がかわいい。
 でも結局飼わなかった。ハムスターが夜行性であるということに引っかかったのだ。

 フェレットにも興味を持った時期もあった。その当時はハムスターに比べるとまだメジャーではなく、実物を見かけるチャンスも少なかった。
 だからフェレットに関しては、本屋での立ち読みとインターネットが情報収集源だった。

 ハムスターより人なつっこいらしいので結構真剣に検討したのだが、運動好きで遊び好きという点にひっかかり、なおかつかなり高価であるということもあって、結局これも断念してしまった。

 いろいろ目移りするのだが、私が一番飼いたいのは、犬である。
 私は小さい頃から「犬のいる生活」にあこがれ続けている。友だちが犬を飼っていると聞くと、うらやましくて仕方がなかった。
 今でもその思いを、ずーっと引きずっている。

 無駄吠えをせず人なつっこい犬であれば、銘柄にはこだわらない。
 だけどできたら中型犬がいいなぁ。大型犬だと散歩の時引きずられるし、室内で飼わなければならないような小型犬には、抵抗がある。

 人間と犬とのテリトリーは分けるべきだ。犬は、家の外で飼うものである。これは私の、信念である。

 犬の名前まで既に決定している。その名は「バンディ」だ。
 ちなみにこの「バンディ」とは、30年以上前のアメリカのアニメ「JQ」に登場する犬の名前である。

 アニメに出てくるバンディは、人見知りはするけれど好奇心旺盛な犬である。
 お昼寝が好きで、アクアラングをつけて潜水もするし、飼い主であるJQ(ジョニー・クエスト)のことが大好きで、彼の後をいつでもどこでもついて回る。
 でも大事なときに無駄吠えしてしまい、JQや他の登場人物をピンチに陥れる、ドジな犬でもある。

 間抜けでドジでもいいから、飼い主のことを慕ってくれて愛嬌のある、バンディみたいな犬がほしい。
 夢はどんどんふくらむのに、私は犬を飼うことに二の足を踏んでいる。

 全ての面でどうしても費用がかかってしまう点、犬中心の生活にシフトしなければならない点、犬を受け入れるということは犬の死をも受け入れなければならない点等、いろいろ理由はある。
 だけど一番大きな理由は、犬が介在するコミュニティに振り回されたくないということである。

 でも犬をいったん飼い始めると、いくら参加したくないと思っても、よく道ばたや公園などで見かける、犬を伴った飼い主たちの集団に否応なく巻き込まれてしまうというのが、昨今の現実である。

 断っておくが、こういう集団に絶対参加したくないと言っているのではない。
 ただ、犬を犬として認めていない人とまでつながりを持たなければならないのが、私にはどうにもつらいのである。

 例えば、犬の服である。

 ペットショップには、ありとあらゆるお犬様用の服が販売されている。
 だけど私は、犬に服を着せるなんてとんでもないことだと思っている。そんなことをするのは人間のエゴだとも思っている。

 だけど、犬コミュニティには犬に服を着せて喜んでいる人が、必ずいる。

 ペットは芸人じゃないんだし、ペットはペットである以前に動物なんだ。だけどペットは、人間の生活に合わせてくれているのだ。
 そんなけなげなペットを擬人化するのはやめろよ〜って、私は飼い主に言いたくなってしまうと思う。

 でも、犬コミュニティ内でこんなセリフは、禁句だ。

 犬と人間は仲間にはなれるけれど、所詮違う生き物なのだ。それがわからない人が、最近多すぎるんじゃないかと感じている。
 そうでなければ、犬の服なんて出現するはずがない。犬自身が服を着て喜ぶ訳がない。

 それとも、ペットにまで見栄を張らなければならない時代なのか。

 父も母もペットの飼い主としては褒められたものではなかったかもしれないが、少なくとも自分の見栄で飼っていたことはなかったはずだ。
 母がタマに服を着せようなどとは、思わなかったはずだ。

 なんだかんだと言いながらも犬コミュニティ集団が気になるということは、やっぱり私は犬が飼いたいんだと再認識したりしている、今日この頃である。
 犬に気付かされることもあるだろうし、犬を通した新しい出会いもあるだろう。

 あぁ、いつの日か、バンディと散歩に出かけてみたい。