「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/04/22 発行
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第85巻 「それがどうした」
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●その1 先入れ先出し

 今まで何度も書いたけれど、私の母は妙なところで神経質な面があった。この類の話を書き始めたら、本当にきりがない。

 洗濯物を干す時のこだわりもおもしろかった。
 風通しをよくするために、洗濯物の向きをすべて一緒にして干す、などという基本的なことはもちろん押さえていたが、ハンガーや洗濯ばさみにもうるさかったのだ。

 私から見れば、ハンガーの種類は2種類くらいしかない。それも、スーパーの安売りの時に購入した安物ばかりである。
 だけど、母の目から見ると3〜4種類あるのだ。

 ハンガーの色や大きさなどによって、どの洗濯物を干すかということが厳然と決まっていた。洗濯ばさみも同様である。
 だから、たまに私が洗濯物を干すと、横でやかましく「指導」された。

「そのハンガーに、ブラウスを干したらあかん。こっちのハンガーや」
「そのシャツにはこの洗濯ばさみを使って」

 そんな母だったので、家で使うタオルもすべて役割を決めていた。

 最初に「洗面所用」としての役割を担ったタオルは、一生「洗面所用」としての運命を全うする。「風呂用」タオルも同様である。
 洗面所用タオルが入浴することはないし、風呂用タオルがトイレで用を足した人の手をぬぐうこともない。

 タオル版の人生ゲームが、我が家では繰り広げられていたのである。

 母が亡くなった後、使用場所によってタオルを変えるという習慣を、私はなし崩し的にやめてしまった。
 なぜなら、私にも妙なこだわりがあるからだ。

 私は、物を使う時に「先入れ先出し」を励行することに快感を覚える。

 タオルにひとつの運命を押しつけてしまうと、大きな違いが出てくる。どうしても洗面所用タオルの方が、汚れが目立ってくるのだ。

 洗面所用タオルの運命は、過酷だ。
 トイレから出た後の人の手をぬぐうのも、洗面所用タオル。
 外出先から戻ってきた人の手をぬぐうのも、洗面所用タオル。

 翻って我が家の風呂用タオルは、洗面タオルと兼用されてはいたが、使う頻度も用途も、洗面所用タオルとは全く違うのだ。
 だから、洗面所用のタオルは、だんだん黒ずんでくる。

 我が家では毎年年末に、家中のタオルを一斉に交換して新年を迎えていた。
 同時に使い始めたタオルなのに、汚れ方が違うということが、私にはどうにも納得できなかったのだ。

 だから私は今、どのタオルも同じ使用頻度になるよう、常に心を配っている。どのタオルも均等に汚れたり生地が薄くなっていくと、私はとても安心できる。
 それにこうしておくと、年末の大掃除の時に、同時期に使い始めたタオルを心おきなく「全員」ぞうきんとして使い回すことができるのだ。

 同時期に使い始めたのなら、同時期にぞうきんにしてやらなければ、平等ではない。私にも迷いが生じる。

「このタオルはあんまり汚れてないから、ぞうきんにするのはかわいそうかな」

 同じ形で数個ある茶碗や皿も、使用頻度が均等になるように順番に使う。
 スーパーでもらうビニール袋も、古い物から順番にゴミ袋としての運命をたどる。袋の大きさの関係で順番を崩さざるを得ないときは、すごく悔しい。

 他人から見れば「それがどうした」的なものだが、私には譲れないこだわりである。
 母娘揃って、けったいな人種である。


●その2 バスバス走る

 たまに、バスに乗る。私がバスに乗るときは、雨の日が多い。

 子供のようだが、運転手さんの後ろの席に座って見える景色が好きだ。それにこの席は少し高くなっていて、お年寄りの方には結構座りにくい。

 私のささやかな、敬老精神である。

 バスの運転手さんというのは、本当に大変だと思う。自分が運転免許を取得して、初めてその大変さの一端がわかったような気がする。

 まず、車体が大きい。車体が大きいから、タイヤも大きい。特にカーブなどを曲がる時には、テクニックがいる。
 それだけでも大変なのに、運転席も当然高い位置にあるので、周りが見えにくい。

 私の父は、その昔、大型トレーラーの運転手をしていた。10トン車や20トン車といった超大型車両を運転して、全国各地に荷物を運んでいた。
 今のようにまだまだ道路が完全に整備されていない時代である。

 父の仕事がいかに大変だったかがわかったのも、運転免許を取得してからである。

 今のバスは、ほとんどすべてワンマンカー。だから、運転手さんは忙しい。

 すれ違う他のバスの運転手さんへの挨拶は欠かせない。バス会社が違っていてもさぼれない。
 連続して数台とすれ違うと、そのたびに運転手さんは「よっ、よっ、よっ」ってな感じで、手を挙げている。

 ミラーを見たり、時刻表を見たり、スイッチをあっちこっちいじったり、両替機を調整したり、回数券を販売したり、運賃を回収したり、仕事はいくらでもある。
 マイクで乗客にアナウンスする運転手さんも、最近は多い。

 近頃はプリペイドカードを使えるバスも増えたので、ますます仕事が増えている。ほとんどは機械任せとはいうものの、機械を動かすのは運転手さん。
 大変だなと、つくづく思ったりする。

 さてバスといえば、交通事情による遅延はあたりまえのことである。

 今やマイカーは、「一家に1台」から「一人に1台」という時代である。
 それを見越してか、車で来店してもらうことを前提に郊外に建設された超大型商業施設が、最近どんどん増えている。

 だから、特に休日の、それも雨の日ともなると、どこからわいてくるのか、わらわらと車がわき出てくる。当然、大渋滞である。
 バスも当然、その渋滞に巻き込まれてしまう。

 バスに乗るといつも思う。
 公共の乗り物であるはずの路線バスが、なぜ渋滞に巻き込まれなければならないのかと。
 マイカーの通行より優先されて、当然じゃないのかと。

 右折する時に対向車が直進してくる時は、直進車が優先通行できるけれど、路線バスが右折する時だけは直進車が止まるようにすれば、それだけでも遅延は減る。
 運転手さんや乗客のいらだちも、少しは押さえられる。

 救急車や警察車両に対しては、あれだけ徹底して優先通行させているのである。やればできるのだ。
 だから、せめてバスが通行しやすいように、広い道なら車線を変更するとか何らかの対策をすれば、バスを使う人は確実に増えるんじゃないかと思ったりする。

 そして、税金の無駄遣いをなくすことにもつながるのだ。

 大阪でも「ノーマイカーデー」というのが月に1度あり、「マイカーをやめて、電車やバスを使いましょう」とキャンペーンしている。
 だけどかけ声だけで、なかなか浸透はしない。

 私のように車を持っていない者にとって、バスは貴重な移動手段である。
 それに、到着時間が読めるならバスを利用するという人は、決して少なくないはずだ。

 メリットがなければ、バスを利用する人は増えない。キャンペーンに使う費用は、税金である。
 結局、税金の無駄遣いとなってしまうのである。

 マイカーを持っている人にとっては「それがどうした」的なものだが、私はバスに乗るたびにこんなことを考えているのである。