「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ 2003/04/08 発行
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第83巻 「あなどれない」
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 先々週の土曜日の夜のことである。

 風呂上がりに何の気なしに手をぶらぶらさせていたら、左手小指の関節あたりに痛みがあった。曲げたり伸ばしたりすると、痛みがきつくなる。
 原因を考えてみたけれど、どこかで打ったとかこすったとかという記憶もない。

 最近では、打った記憶もないのに青あざができているということが多いけれど、この日は本当に何も手が痛くなるような出来事はなかったのだ。

 実はこの頃から、新たな入力仕事が入り始めていた。それに、請け負っていたHPオープン日も迫っていた。
 こんな大事なときに、本格的に手が痛くなっては一大事である。

 それで、以前医者でもらって、使い切れずに余っていた湿布薬を出してきた。
 適当な大きさにちょきちょきと切り、痛みを感じる所に貼って寝た。これもまた、何の気なしの行為であった。

 次の日、日曜日である。

 目が覚めると左手が妙に痛い。というか、痛みで目が覚めたと言っても、過言ではない。

 湿布薬を貼って寝たのだから、少しは痛みが治まっていてもよさそうなものである。なのに、寝る前より痛い。はっきり言って、激痛に近い。
 びっくりして湿布薬をはがしてみると、少し腫れているように感じた。

 そして左手小指は、痛みで曲げることができなくなってしまった。

 日曜日なので、医者は当然休みである。
 休日診療に駆け込むこともできたのだが、根が小心者の私、そこまで大げさに騒ぐこともできなかったのだ。
「もう1日だけ様子を見よう、明日には治っているかもしれない」という希望的観測を抱く。

 そして結局、「痛い、痛い」とつぶやきながら過ごす休日となってしまった。

 それにしても、左手小指が痛いだけでこんなに苦労するとは思わなかった。それも利き手ではない小指なのに、である。

 台所仕事も、痛みと戦いながらこなさなければならなかった。
 軽い茶碗などはまだいいのだが、重くて大きめの皿などは持ち上げたまま洗うことができない。
 普段、薬指や小指を支えにして洗っていたんだということを、初めて自覚した。

 ぞうきんやふきんを絞る時も、小指を曲げなければならない。それが痛いのなんのって。
 タオルで手を拭く時もなでるように拭かないと、痛みで飛び上がってしまうといった有様である。

 何より困ったのは、パソコンである。

 私は曲がりなりにもキーボードを両手を使って打つ。いわゆる「10本指打法(注意:命名は私)」なのだが、この時点で小指を使ってキーボードを打つことが不可能となってしまった。

 それだけでもいらいらするのに、だんだん隣の薬指にまで痛みが乗り移ってきた。
 そんなに早くない入力スピードが「8.5本指打法」となってしまって、さらに落ちる。効率の悪いこと、この上ない。

 夜になると、小指は腫れがますますひどくなり、熱も帯びてきた。
 このころになると、両手を見比べると大きさがはっきり違っていた。

 明けて月曜日。痛みや腫れが引く様子はない。

 幸い我が家から徒歩圏内に整形外科がある。とにかく思い切って行ってみることにした。

 ぶらぶらと歩きながら、私の頭の中は不安でいっぱいだった。

「こりゃぁ、脱臼ですね」とか言われて、小指を固定されてしまったらどうしよう。
 台所は片づかない、風呂に入れない、仕事にならない。えらいこっちゃ。

「骨に腫瘍がありますね。大学病院への紹介状を書きましょう」とか言われて、入院する羽目になったらどうしよう。
 家のこと、父のこと、いったいどうすりゃいいんだぁ!

「リウマチです」とか言われたらどうしよう。
 まだリハビリ通いを日課にはしたくないよぉ!

 私の頭の中には、「悲劇のヒロイン」への道が無限に広がっていた。

 月曜日ということもあったのか、狭い診療所の待合室は「満員御礼」の垂れ幕がかかっているような状態だった。
 しばらく待っていると、私の名前が呼ばれた。そしてとにかくレントゲンを撮ってもらうことになった。

 レントゲン技師のおっちゃんは、私の手を見るなり叫んだ。

「うわぁ、腫れてますね、えらいことですね、腫れてますね、痛いでしょう、それにしても腫れてますね」

「腫れてますね」、3連発である。

 だけど他人から「腫れている」という言葉をはっきり聞いて、妙にほっとした私なのだった。

 それからしばらくして、診察が始まった。私の手が写ったレントゲン写真4枚が目に入った。
 素人目から見ても、骨や関節には何も異常がないのがわかった。

 ならば、この腫れの原因は何だ?

「どこかで打ったりしたことは、ないですか?」
「ないです」
「ここは、痛い?」
「いててて・・・」
「ふーん・・・こりゃ何でしょうねぇ?」

 おいおい、それは私のセリフだってば。
 その原因を突き止めてほしいんだってば。

 でもまぁ、医者が困るのも無理はない。だって外傷もなく、ただ腫れ上がっているだけなのだから。

 結局医者は、どこからかバイ菌が入ったんじゃないかと「予想」をつけた。そして、抗生物質と痛み止めを処方してくれた。

「ここも、ここも痛いんですね?」
「はい・・・」
「うーん、小指を固定しないといけないかな・・・」

 どきっ。
 固定したら、風呂に入れない、台所は片づかない、仕事ができない。どきどき、どきどき。

「うーん・・・固定しなくても大丈夫でしょう。また明日、見せに来て下さい」

 あぁ、やれやれ。一安心である。

 薬を飲み始めると、痛みが少し治まってきた。それも最初の服用でである。あまりの速効さに、びっくりしてしまった。

 さらに次の日になると、痛いながらも少しだけ小指が曲げられるようになってきたのだ。再び医師に診せると、

「効きましたね! やっぱりバイ菌がどこからか入ってたんですね!」

 私の腫れは、なんだか当て物のようである。

 さらに2日後、処方された薬を飲みきった頃には、痛みも腫れもすっかり引いてしまった。
 医師からも「もう大丈夫」という太鼓判をもらったが、問題のバイ菌はどこから入ったのかわからない。これからどのように気をつければいいのかも、今ひとつわからない。

 とにかく、どえらい目に遭ってしまった数日間だった。

 しかし、たかが小指、されど小指。小指といえど、あなどれないものである。
 何しろこの指を痛めるだけで、普段通りの生活が送れなくなってしまうのだから。

 自分の手の動きのことなんて、今まで考えたことがなかったけれど、生き物の体のつくりには何一つ無駄がないんだと、改めて思った出来事だった。