「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ 2003/03/25 発行
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第82巻 「取り返しがつかない」
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 昨秋まで、毎日新聞夕刊に月に1度「毎月新聞」というコラムが連載されていた。私はこのコラムが大好きで、掲載をとても楽しみにしていた。
 このコラムの作者は、映像作家であり大学教授でもある、佐藤雅彦さんである。

 佐藤さんは多方面で活躍されておられるが、かつて大ヒットした「だんご三兄弟」や、お菓子の「ポリンキーの歌」の作者として、特に有名だ。

「毎月新聞」の連載期間は約4年、その間に取り上げられた話題や切り口は、他のコラムニスト達とのそれとはひと味違っていた。
 佐藤さんの視点の持ち方の多様性や豊かさは群を抜いていると、私は思う。

 この「毎月新聞」に昨年8月、「取り返しがつかない」というタイトルのコラムが掲載された。
 私はこれが何故かとても印象に残り、すでにセピア色に変化したこの記事を未だに私は手元に置き、時々読み返している。

 ある日、佐藤さんが卒業された高校の同窓会から久々に同窓会名簿が送られてきた。同級生たちの「その後」を佐藤さんは懐かしい思いで食い入るように眺めていた。

 その名簿の最後には、「死亡者」という欄があった。そのことだけでも少なからずショックを受けた佐藤さんだったのだが、その欄に仲が良かった友達の名前を発見してしまい、愕然とされる。
 友達が亡くなった年を見ると、もう長い年月が流れていた。

 佐藤さんは「このことは、取り返しようがない」と心の中で叫ばれるのである。
 この友人の死が取り返しのつかないことは、どうしようにもないけれど、友人の死を知らずに過ごしてきてしまった長い時間こそ、佐藤さんにとってもうひとつの「取り返しのつかないこと」だったと、述べておられるのだ。

===ここから記事引用=====================
 我々は、自分ではどうにもできない一方通行の流れに乗っている。過去に手が届くことはない。それ故、世の中は途方もなく、取り返しのつかないことで溢れることになるのだが、こんな取り返しようもないこともあるのである。
===引用終わり========================

 一昨年の秋、私は第13巻「先生への手紙」というエッセイを配信した。ニューヨークで勃発した「9・11」直後のことである。

 あのエッセイの中に登場した先生には、中学2年の時にクラス担任をしていただいた。
 担当教科は社会科だったけれど、歌が大好きな先生だった。

 学生生活の中で、たくさんの先生方と出会ったけれど、この先生ほど私にとって印象深い先生はいない。かっこいい女性だと思った先生も他にはいない。
 今思えば、自分の生き方を生徒にさらけだしている姿に、私は惹かれていたのかもしれない。

 先生は、被爆2世だった。先生のお母様が当時広島におられて被爆されたとのことだった。
 私たちを担任しておられた年、国連軍縮特別総会の日本代表団の一員としてアメリカに行かれた。とてもパワフルな先生だった。

「戦争は、無条件にいけないことだ」と、繰り返しおっしゃっていたことを思い出す。

 中学を卒業してからは、先生とお会いする機会はなくなった。
 でも、高校生になってからも現代史に興味を持ち続けられたのは、先生のおかげだったと思う。

 そして、「戦争はいけないことだ」という概念が、無条件に私の頭の中にインプットされ、機会がある毎にそれがアウトプットされた。

 高校を卒業した後、先生が入院されているという話を聞いた。

 私は友人と2人で、先生が入院されていた病院へお見舞いに行った。
 先生の病気が何なのか、病状はどうなのかという予備知識は、私たちは一切持っていなかった。
 ただ無邪気に「先生に会いに行こう」という思いだけだったように思う。

 先生は、面会謝絶に近い状態だった。病室にも入ることができなかった。
 付き添っておられた先生のお母様が、孫のような年齢の私たちにとても丁寧にお礼をおっしゃった。
 ドアの隙間から見えた先生の顔は、すっかり面変わりしていた。

 私たちは、悟ってしまった。「先生は、もう長くはない」と。

 病院の帰り道、私たちはしょんぼりとお好み焼き屋さんに入った。そしてため息をつきながら、お好み焼きをつついたことを覚えている。

 先生が亡くなったのは、それからまもなくのことだった。

 先生が亡くなったことは、地元の新聞にも掲載された。
 そして、私たちが卒業した後もずっと「戦争はいけないことだ」と生徒たちに訴え続けておられたことも知った。

 私の頭の中にインプットされた「戦争はいけないことだ」という概念は、先生が生きていることが前提で成り立っていたような気がする。
 先生の死は、私にとって本当に取り返しがつかないことである。

 そして今、先生と話ができないということは、どうしようもなく取り返しがつかないことなのだ。

 先生が亡くなって、もう15年以上の年月が流れたと思う。先生が生きていることが前提で成り立っていた「戦争とはいけないことだ」という私の思いは、ぐらぐらと揺れている。

 もちろん、自分の周りで戦争が起こってもらっては困る。
 戦争で犠牲になるのは、常に一般人である。怪我の痛みや、今まで感じたことのない恐怖や脅迫が迫ってくることなんて、想像もしたくない。
 何より私は死ぬのが怖いし、まだ死にたくはない。

 何とも自分勝手な思いであるけれど。

 でも自分の存在が「戦争」に全くつながっていないかと言われれば、それは必ずしも言い切れない。

 自分の手がけた仕事が、巡り巡って武器を作る手助けになっているのかもしれない。
 何よりも私は「アメリカ駐留軍」を懐刀としていることを、普段は全く意識せずに生活しているのだ。

 戦場から遠く離れた場所で「戦争反対」と訴えてデモ行進している人も、行進を終えれば自分の生活に戻っていく。
 その中には、戦争につながるような職場で働いている人もいるのかもしれない。

 戦争は絶対にいけないことだと思う一方で、自分がその戦争にかかわっていないと言い切れない、矛盾。
 これ自体が、人類にとって「取り返しがつかない」ことなのかもしれない。

 テレビや新聞で報道されていることは事実で、地球上のとある地点で、今こうしている間にも戦争は続いている。

 でも私は今、普段通りパソコンに向かって仕事をしている。
 少なくとも私の周りにいる人は、普段通りのあわただしい日々を過ごしている。
 そして私の周りにいる人の周りの人も、やはり普段通りのあわただしい日々を過ごしている。

 これもまた、矛盾である。

 戦争は「国家」が始めること。だけど国家を動かすのは、人のはずだ。なのにいつのまにか、国家が人を動かしている。
 今、「国家」という名の下に、人は右往左往している。

 そして「国家」は、取り返しのつかない道へと走り始めてしまった。

 進軍を許可した人も、発表した人も、爆弾を落とした人も、捕虜になった人も、怪我をした人も、亡くなった人も、反対も賛成も時間も運命も何もかも、もう取り返しはつかない。

 私が先生に教わったことの本質は、いったい何だったのか。先生が私たちに本当に訴えたかったのは、いったい何だったのか。
 それを全く考えずにいた年月も、もう取り返しがつかない。

 戦争って、何もかもが、取り返しのつかないことばかりなんだ。