「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '03/01/21(Tue)発行
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第77巻 「命の日」
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 1月は、私の母の祥月である。

 我が家には毎月、母の月命日に当たる日にお寺さんが来て下さる。お世話になっているお寺さんはたくさんの檀家さんを抱えているので、住職さんが直接来られることはない。
 今我が家に来てくれているのは、まだ若い勉強中のお坊さんである。

 先月来られた時に、今月は「祥月バージョン」のお経さんをあげてほしいと、お願いしてあった。
 とはいえ、私がお経さんを指定するわけではない。おまかせである。

「今月は、お祥月だとお聞きしておりますが」
「はい、よろしくお願いします」
「いつもよりお経が少し長くなりますんで、どうぞ足を楽にして下さい」
「はい、ありがとうございます」
「・・・いや、長くなるとはいっても、そんなに長くはならないと思いますが・・・」
「はいはい、かしこまりました」

 母が亡くなって以降、何人かお坊さんは代わったのだが、今のお坊さんは何かとても愛嬌がある。
「本山に修行に行って、お経三昧でしんどかったです〜」などと、正直に話された時もあった。
 この時も、彼の丁寧な言い方がおかしくて、つい笑ってしまった。

 私はそんなに信心深い方ではないので、拝んで下さっている間、お経を一緒に唱えるというようなことはしない。ただお坊さんの後ろに座って、ぼーっと聞いているだけである。

 仏壇がある部屋には、祖父母(父の両親)と母の写真を掲げている。3つの写真をぼんやり見つめながら、私はふと思っていた。

 今につながる私がスタートして、今年で10年経ったんだと。

 今から10年前の平成5年1月に、私は社会人になってから3度目の転職をした。
 第8巻〜11巻「私が会社をやめたわけシリーズ」をはじめとして、さんざんこのエッセイでも書きたくってきた、一昨年すったもんだの末に退職をした、あの会社である。

 体の不調を訴えていた母を病院に連れて行ったのは、この会社に入社してすぐのことである。それ以降、怒濤のような日々が私に襲いかかってきたのである。
 ほぼ毎日、入院してしまった母のもとに通った。平日は会社帰りに病院へ行っていた。電車を途中下車し、病院まで駅から10分以上歩かなければならなかった。手には母の着替えを入れた袋を必ず下げていた。

 なぜかこの時、タクシーなどを利用することは、全く思いつかなかった。必要がないからと、それまで車の免許を取得していなかったことをこの時ほど悔やんだことはなかった。
 この経験が、後に自動車教習所に通うきっかけともなったのだ。

 入社1年目だというのに、母の2度の手術の日や母の検査の日、その他両親に関する所用で会社を休みまくることになった。
 私の歓迎会さえも、私自身の都合で何度も延期となり、その年の社内旅行も忘年会も欠席した。

 そして数年ぶりに父と向かい合うことにもなったのも、10年前のことである。
 母が私に父の介護をさせることを極端に嫌がり、母は私を父の許に決して連れて行こうとはしなかった。だから私は、父と何年も顔を合わせていなかったのである。

 それまでぼんやりと生きていた私の周りが、一気に音を立てて動き出したのが、ちょうど10年前だったのだ。
 そして、命というものに初めて正面から向かい合うことになったのも、10年前だったのだ。

 母の祥月命日の翌日、私は京都に向かった。

 京都の五條坂という所に、大谷本廟という所がある。通称西大谷と言われている所で、近所には清水寺や高台寺などもある。

 地方によって違うと思うのだが、大阪などは荼毘に付した後の骨上げの際に、大小2つの骨壺に骨を入れる。
 小さい骨壺には本骨(頭や手足といった重要な骨)を足下から順番に入れ、最後に頭の骨を入れてふたをする。大きい骨壺にはそれ以外の骨を入れる。
 そして納骨の際には、大きい骨壺に入った骨をお墓に入れ、小さい骨壺に入った骨はお寺などに納骨する。

 私は、小さい骨壺に入った母の骨を、ここに納骨したのだ。
 それで年に1回、祥月命日前後にここへお詣りに行くことが、いつの間にか習慣になってしまった。

 ここにはいつも、全国各地からたくさんの人が来ている。
 京都の冬は、とても寒い。この日は比較的暖かだったが、読経所には冷暖房はない。畳はひんやりと冷たく、線香の匂いが満ちている。
 この日も、納骨をしに来られた何組かのご家族がおられた。

 お経の後、法話がある。この日は「命日」の意味合いを説く話だった。

「『命日』という言葉は、『命の日』と書きます。普段私たちは、生きていることが当たり前だと考え、なかなか命のことについて考えようとはしません。この命日というのは、亡くなった方がこの日をきっかけに命のことを考えるようにと、私たちにおっしゃって下さっている日だと思います。だから、亡くなった人のことを悲しむ日ではなく、命の大切さを考えて前向きに生きるきっかけの日にしましょう」

 おおよそこんな内容の法話だった。そうか、「命の日」か。

「命」という言葉を辞書で引くと、「人間や動物などが生きて活動するささえとなる、かけがえのない力」と書かれている。
 単に生死だけの意味合いではないのだ。

 この1月という月は、私にとっても「命の日々」に当たるのかもしれないなぁ。

 あれから10年。いろいろな意味で、世の中も劇的に変わった。
 10年前に入社して所属した部署は、消滅した。私の働く「命」は、当時とは全く違ったものに変化した。

 命のすさまじさを見せつけた母は、入院から1年後に亡くなった。
 いいも悪いもそれまでは、私は母の庇護のもとに生きていた。母も私を庇護することを生きがいとしていた。
 そんな母が、「命の別れ」という究極の子離れをやってのけたのである。

 この「命の別れ」をきっかけにして、私は30歳目前にして初めて自分の足で、自分の判断で、自分の人生を歩き始めたのである。

 そして、父の命とも向かい合うことになった。
 父はこれまで何度も死の淵まで行きかけて、そのたびに不死鳥の如くよみがえるということを繰り返している人である。
 いつも「こんな体になって、情けない、つらい」とつぶやいている。それでも前向きに生きている。

 そんな父の命の力にも、私はいつも圧倒されている。

 そんな両親の命の有り様は、私の命にも影響を及ぼしている。母が私に残してくれた命、父が私に残そうとしている命、2つの命が私の命の一部分でもある。
 そして私の命は、私とつながりのある人の命にも、何らかの影響を与えているのかもしれない。

 身近な人の命のことを、私とつながりのある人達に伝える。そのことで、その人やその人の周りの人達の命のあり方が変わることもあるかもしれないのだ。
 そしてその輪は、どんどん広がっていく。

 自分の心の持ち方ひとつで、体は生きていても命がない人もいれば、亡くなっても光り輝く命もあるのだ。
 でも人がそのことに気付くのは、死に向かい合った時だけなのだ。

 命って、すごく不思議だと思う。

 ここにいったいどれだけの人が命を携えてやってきたのだろうか。
 ずっとずっと昔に建設された、京都の古いお寺の冷たい畳の上に座っていると、そんな思いが浮かんでくる。

 ふと横を見ると、数珠を持って一生懸命手を合わせる、年老いた人達がいる。子供が泣いている声も聞こえる。
 外にはたくさんの鳩がいて、餌をついばんでいる。

 私が命と向き合うようになってから10年。今につながる私がスタートしてから10年。
 途中下車をしていた駅を通るたびに、あの日々のことを思い出す。

 1月は私にとって、命の日々だ。