「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/12/24(Tue)発行
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第75巻 「何が何だかわからない」
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 先々週9日の夜9時過ぎ、我が家の電話がぷるぷると鳴った。

「入力作業の短期バイトのお仕事があるんですが、ご都合はいかがでしょうか?」
 契約している派遣会社の人からだった。

「いつからですか?」
「しあさっての12日から27日までの約2週間で、日曜と祝日はお休みです。終業時間は9時から5時まで、残業は遅くならない程度にあるかもしれません」

 ”遅くならない程度の残業”っていうのが、よくわからんが。

「何を入力するんですか?」
「院外薬局の処方箋入力です」

 最近は、処方箋を患者に発行し、最寄りの院外薬局で薬を受け取るよう指示する病院が増えている。
 ちなみに院外薬局というのは、病院で発行される薬の処方箋にしたがって薬を調合してくれる薬局のことである。

 休みは日祝のみ、という条件に一瞬悩んだけれど、たかだか2週間である。
 院外処方箋の入力など初めての経験だが、他に数人仲間がいるようなので、思い切って引き受けることにした。

 仕事初日の12日。一緒に今回の業務につく人たちと最寄りの駅で合流し、派遣会社の責任者に連れられて、仕事先である院外薬局へと向かった。

 この院外薬局では、今まで使用していたシステムから、Windowsベースで動作するシステムを新しく導入された。
 本格稼働は、来年1月の予定である。

 本格稼働にあたって、旧システムに保管された膨大なデータを、新システムに移管する必要がある。
 私たち派遣組の仕事は、来月からの本格稼働に備えて、ここ数ヶ月の処方箋を入力するというものだった。

 仕事先に到着してまず紹介されたのは、このシステムを納入された会社の担当者Aさんだった。
 この業務のもともとの依頼者はこのAさんで、Aさんがこの院外薬局を通じて、私たちが所属する派遣会社に業務を依頼してこられたらしい。

 業務内容等の説明が一通り終わり、作業場所である事務所に移動した。そこには真新しいパソコンが数台並んでいた。
 そして早速、入力作業のスタートである。

 当然ではあるが、私たちはこのシステムを見たことも触ったこともない。だから当然、質問すべきことが次々と出てくる。
 インストラクターが1人ついて下さっていたが、私たち派遣組の指導と、薬局職員の方への指導と掛け持ちである。

 だが、来月から実際に運用するのは職員の方たちなので、インストラクターはどうしても職員への指導に張り付き状態となってしまう。
 しかし私たちも、質問しなければ作業が進まない。

 遠慮しながらも、インストラクターに入れ替わり立ち替わり質問をしていると、この事務所の責任者であるB氏が首を突っ込んできた。
 いろいろと質問をしている派遣組を見て、システム会社の担当者A氏に向かってB氏はこう言い放った。

「何や、この人ら、ほんまに大丈夫なん? できるの?」

 このB氏は、いつでもこのようなシニカルな言い方をされる人だった。
 そして彼の存在は、部屋の中に異常な緊張感と圧迫感をもたらしていた。

 どうもシニカルB氏は、このソフトへの入力のプロが来てくれるものと思っていたらしい。
 それなのに、私たちがインストラクターの回りをぶんぶん飛び回るせいで、薬局職員への指導に専念してもらえないことに、かなりいらいらしている様子だった。

 A氏は、「ソフトの使い方がわからないだけで、その他の専門知識は身に付いておられる方達ですので、大丈夫です」と、シニカルB氏に言って下さったが、完全に納得はされていなかったようだ。
 全ての言葉の端々に、私たちへの不信感が如実に表れていた。

 質問も休憩も思うようにできない重苦しい雰囲気の中、派遣組はインストラクターから伝授された知識を分け合いながら、入力を進めていった。
 だけど、薬の名前などの情報がまだ完全には揃っていない。せっかく入力しても、処方箋の金額や点数が合わないデータがどんどん出てくる。

 既に入力されている薬の名前も、検索キーワードが薬局側の意向で次々に変わる。昨日まで見つかったキーワードで今日検索しても、薬名が見つからないという事態も起こる。
 だけど、派遣組には何も連絡がこない。

 あまりの段取りの悪さに、何が何だかわからない。

 業務3日目、14日。初めての土曜日である。
 少しずつパソコンにもソフトにも慣れ始めた派遣組は、黙々と入力作業を行っていた。
 そんな私たちに、夕方4時半頃、シニカルB氏が声を掛けて下さった。

「もう、きりのええところで、あがって(終わって)下さいよ」

 まだ5時までには、30分ある。きょとんとした私たちは、お互いに顔を見つめ合ってしまった。
 そんな私たちを代表して、リーダー格である女性が、こう答えた。

「あの、まだ、5時になってませんので」
「何言うてんの。今日は2時までやで」
「え・・・?」

 私たちは、土曜日は2時にこの事務所が閉まるということを、誰からも聞いていなかったのだ。
 後でわかったことだが、派遣会社の担当者も聞いていなかったらしい。

 シニカルB氏は、私たちを責めるようにこう続けた。

「今日は、掃除やら何やらでこんな時間まで事務所あけてるけど、普段は2時で閉めてしまうんやで」

 通常2時で事務所が閉まるなら、2時になった時点で言って下さればいいことである。
 そして最後に、彼はこう言ったのである。

「まあ、あんたらが後のこと、何もかもしてくれるんやったら、別にやっとってくれてもええけどな」

 何でここまで言われなければならないのか、何が何だかわからない。

 業務4日目、16日の月曜日。
 この日から出勤し始めた派遣会社担当者が、処方箋の予想以上の多さにびっくりされ、あわてて人手を少し増やす手配をしてくれた。
 人員が少し増えたため、事務所内にある端末のほとんどを、派遣会社側が入力のために占有する状態になった。

 シニカルB氏は、この状態もおもしろくなかったようだ。

 この時点でもなお、私たち派遣組には、どこまでのデータを入力すればいいのかというノルマさえ、薬局側からもシステム会社側からも、はっきりとは示されてはいなかったのだ。
 今後の予定も立たないので、何がなんだかわからない。

 そして業務6日目、18日の水曜日である。
 作業開始から約1週間が経過し、パソコンにもソフトにもある程度慣れた私たちは、徐々に入力のスピードが上がり始めていた。
 派遣組のパワーが、やっと花開き始めたのである。

 薬局側職員も、ソフトの使い方の練習のために、端末を使用していた。だから当然、派遣側が使える端末の台数も時間によって決められていた。それにのっとって、派遣会社担当者は人員の調整をしていたのである。

 だが薬局側は、何の連絡もなしに練習生の人員を突然増減させる。
 薬局側の練習生が1人増えれば、派遣側が1人手持ちぶさたになってしまう。
 入力する人間が1人減ることは、入力量も減るということだ。

 だけど、その不手際に対して、薬局側もシステム会社側も、詫び一つ入れない。
 私たち派遣組の存在は、完全に無視された状態になっていた。

 いったい誰のための仕事なのか、何が何だかわからない。

 そしてこの日の業務終了後。
 外に出るとすぐ、派遣会社側の担当者は私たちにこう言った。

「この業務、とりあえず今日で終了です。ごめんなさいね」と。

 あまりの唐突さに、派遣組一同は一斉に「えーっ!」と叫んでしまった。
 何でもこの日、会社に客先から派遣打ち切り依頼が入ったそうである。派遣会社側はこの要請を受諾し、業務期間を半分以上残して、「撤退」という事態に相成ったのだ。

 何が、どこが、どう悪かったのか、約1週間作業していた私たちには一切説明はない。
 派遣会社側に迷惑をかける結果に終わったのではないかと、胸が痛む。

 帰り道をとぼとぼと進む私たちの口からは、自嘲に満ちた笑いと、この数日間でたまった愚痴が、次々に吐き出される。
 あの大量の処方箋、これからいったい誰が入力するのだろうか。

 担当者は、「これまでのバイト代は確保してますんで、大丈夫ですよ」とおっしゃって下さった。
 それに、こんなことはよくある出来事なのだそうだ。

 だけど、足下が寒くて風邪を引きそうになり、皮肉を言われ続けて毎日肝を冷やした挙げ句、結局追い出されてしまった私たちの1週間って、いったい何だったのだろう。

 ほんとにもう、何が何だか、さっぱりわからない。