「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/12/03(Tue)発行
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第72巻 「リセットは長風呂で」
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 私は長風呂をするのが好きである。

 時間に余裕がある時には、1時間以上入っている時もある。だけど、髪の毛や体を洗ったりする時間はほんの十数分。
 入浴中のほとんどを、湯船の中で過ごしている。

 入浴前にお風呂の窓は閉め、湯気を立てて浴室を暖める。
 そして、ちょっと熱めにわかしたお湯に入浴剤を入れる。温泉の素だったりバブだったり、気分に応じていろいろ変える。

 ちなみに今は、友達の旅行みやげでもらった「山梨限定・ワイン風呂」という入浴剤を入れている。その名の通り、ワインが配合されているらしく、お湯の色は赤ワイン色、浴室周辺には非常に甘い香りが漂っている。

 そうやって浴室を「即席サウナ」のような状態にして、胸までお湯につかる。体が赤みを帯び、心臓がどきどきし、汗が流れ出てくるまで、ひたすら待つのである。
 この入浴法、特に寒い冬には最高である。夏でも冷房で冷えた体には、とても気持ちいい。

 私がこんなお風呂の入り方にはまってしまったのは、「半身浴は体にいい」と世間で騒がれ始めてからだと思う。
 最初は正規の半身浴を行おうと試みた。すこしぬるめのお湯に腰までつかり、ゆっくり体を温める。これが半身浴の王道である。

 でも元来冷え性の私は、体が温まるまで結構時間がかかる。それに半身浴では、30分経っても汗が出てこない。冬だと風邪を引きかねないのだ。
 そこで、こんな「邪道」な入浴法を実践しているというわけだ。

 長風呂の友は、本である。
 私は月刊雑誌を数冊購入しているのだが、そのうちの一冊を片手にお風呂に入るのだ。読む雑誌がなくなると、手持ちの文庫本に、ビニール製のブックカバーをかけて浴室に持ち込む。

 書見台は、風呂蓋である。本がぬれないように注意しながら、腕をタオルで拭きながら、時間がくるまで読みふけっているのだ。
 おかげで私が持っている本は、浴室の湿気を吸い込み、雑誌はぱりぱりになり、文庫本はごわごわになる。

 普段はそんな長風呂タイムを楽しんでいる私だけど、たまに本を持ち込まずに長風呂する時もある。
 そんな時はたいてい、考え事で頭の中があふれそうになっている時だとか、気持ちがへこんでいる時である。そんな日はじたばたせず、湯船の中でぼよーんとしている。

 日常生活の中では、音が聞こえないことなんてあり得ない。外にいる時はもちろん、一人で暮らす家の中でさえ、絶えず何か音は聞こえる。近所からは、声も聞こえる。

 だけど1人でお湯につかっていると、音がしないのだ。
 時々、近所の家からけたたましい笑い声や、茶碗を洗う音が聞こえては来るけれど、だんだんそれさえも聞こえなくなってくる。
 唯一聞こえるのは、お湯が動く音。それさえも自分がじっとしていれば、聞こえなくなる。

 ぼよーんとした状態でいるとはいえ、頭の中では考え事が動き回っている。
 でも時間が経ってくると、だんだん自分が何を考えていたのかがわからなくなってくる一瞬がある。体がだんだん温まってきて、そのぬくもりが頭の方に回るせいもあるのだろう。

 頭の中から全てのことが消え、思考回路も止まってしまうのだ。
 私は自分がこういう状態に陥ることを、「頭の中が真空状態になった」と表現することにしている。
 俗に言う、一種のトランス状態と同じ類のものなのかもしれない。

 その「真空状態」はほんの一瞬で、私はすぐ我に返る。そしてまた、ぼーっと何かを考え始める。そしてまた、頭の中が真空状態になる。
 それは本当に、無意識な行動だ。

 考えや思いが頭の中をくるくる回って、まるで無限ループしているような時に、私はこの真空状態によく陥る。
 目の前がぼんやりし、視点が定まらなくなり、「ああ、私今、ぼーっとしているな」と思った瞬間に、また元の場所に戻っている。

 それはまるで、自分の心の奥へ奥へと、どんどん入って行くという状態に近いかもしれない。
 でもそんなことを繰り返していると、考え事が時々違う形に変化して戻ってくることがある。

 私はよく入浴中に、忘れていたことを思い出したり、新しいアイデアが浮かんだりする。

 会社勤めをしていたころ、上司に伝えなければいけなかったことや、やり忘れていた仕事のことなどを思い出すのも入浴中が多かった。
 このメルマガを発行して、自分のことを書こうと思いついたのも、長風呂の最中だった。
 仕事に関して新しい方向性が浮かぶのも、入浴中が多い。

 私は比較的のんき者だけど、それでも始終いろいろなことを考えている。
 その考え事に対して自分なりに方向性を決めても、それで解決される訳でもなく、やはり頭の中にはしばらく残っている。いつまで経っても方向性が決まらないことだってある。

 さらに都合の悪いことに、私は見聞きしたことを瞬時に消化して、その場で言葉に乗せたりして表現することが、とても苦手なのだ。
 一旦その見聞きしたことを持ち帰り、自分の心の中に落とし、熟成させて、心象風景にしてしまう。そして時間をおいてから、改めてその心象風景を見つめて考えなければ、自分の気持ちを表現することが出来ないのだ。

 だからすぐ、頭の中が一杯になる。でも私のCPUは、ふた昔前のパソコンなみの処理能力しかない。
 いつクラッシュするかわからないぎりぎりの状態で、頭を回転させている。

 瞬間のひらめきを形にできる人なら、頭の中が飽和状態になるということは、あまりないだろう。
 でも私は、そうではない。いつもいつも、なんだかんだと考えている。それがすぐに解決しないのだから、始末が悪い。
 その合間に、好奇心というものも入ってきたりするから、私の頭の中はいつもとっちらかっている。

 私にとっての長風呂は、私のCPUがショートして焼けこげる前に、リセットをかけるような役割を担っているんじゃないだろうかと思ったりする。

 自分をリラックスさせ、真空と飽和の状態を繰り返すことにより、考えにめりはりをつけさせるという、私なりの方法なのかもしれない。
 その証拠に、悩んではいても長風呂の後は、身も心も結構さっぱりしたりするから。

 そういえば最近、「リセットする」という言葉をよく耳にする。

 ファミコンなどのゲーム機には、リセットボタンというボタンが付いている。
 ゲームに行き詰まったりしてどうしようもなくなった時、そのボタンを押すと、今までの行き詰まりが全て消去され、はじめからゲームをやり直せるとボタンである。
 犯罪者からも、この「リセットする」という言葉はよく聞かれるそうだ。

 自分の人生をリセットするために、犯罪を犯す人がいる。でも実際には、自分の人生にリセットはかけられない。
 リセットできるのは、自分自身の気持ちだけだ。

 どこでどうやって自分の気持ちの塩梅を計るか、自分なりのリセット方法を体得していくのかを探すことが、人生なのかもしれないと思ったりする。
 全てが閉塞している今の時代、もしかしたらこれが一番大切なことなのかもしれない。

 ひらめいたり、気の利いたことが瞬時にはできず、落ち込んだりすることが多い私だけれど、考えや思いを頭の中で反すうさせ、リセットさせながら、私はこれからもいろいろなことに向き合っていくんだろうな。

 だって、私はこういう生き方しかできないんだもの。

 長風呂中は、ゆっくり自分と向き合う貴重なひとときだ。時間もそんな私に気を遣ってか、ゆっくり流れてくれる。
 これから先、どんなにあわただしい日々が訪れようと、長風呂でリセットするという余裕だけは、忘れないでいたいと思う。