「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

----------------------------------------------------------------
★★ひーエッセイ★★ '02/10/29(Tue)発行
----------------------------------------------------------------
第67巻 「『その場しのぎ』への怒り」
----------------------------------------------------------------


 今年の夏、いわゆる「昼ドラ」時間帯に「新・愛の嵐」というドラマが放送されていた。
 このドラマは、16年前に放送されていた昼ドラ「愛の嵐」のリメーク版だった・・・らしい。少なくとも、当初はそうPRがされていた。

 16年前まだ学生だった私は、この「愛の嵐」が大好きだった。当時録画したビデオを、今でも保管しているほどである。
 お昼のドラマといえば、当時はまだ「よろめきドラマ(この言い方もまた古いが)」が定番だったと思うのだが、それとは完全に一線を画していた。

 この「愛の嵐」は、エミリ・ブロンテ作「嵐が丘」を基にして制作された。「嵐が丘」とは、ヒースクリフとキャサリンという2人の男女の、激しい愛の物語である。
 「愛の嵐」は、時代背景が昭和初期の日本に置き換えられた。そして、幼い頃に捨て子と大地主の一人娘という立場で出会った2人の男女が、身分差や時代の流れに翻弄されながら、昭和初期〜戦中〜戦後を通して一途な愛を貫き通すという物語に変身したのである。

 16年経った今、改めて見てみても、時代考証がきちんとされ、とても丁寧に作られたドラマだった。
 主人公の男女を演じていたのは、当時はまだ無名の役者。この2人を、ベテランの役者たちが脇からしっかり支え、もり立てていた。
 その相乗効果で、主役・脇役それぞれが個性を放っていた。

 放送当時、このドラマは昼ドラとしてはとても高い視聴率を残した。その影響で後に「華の嵐」「夏の嵐」という作品が作られたほどだった。
 そんないきさつもあり、今回のリメーク版「新・愛の嵐」を私は楽しみにして見始めた。
 でも途中から、だんだん見続けるのが苦痛になってきたのだ。

 16年という時代の流れがあるのだから、役者やストーリーの流れが変わってしまうのは致し方がない。それに16年前よりも画像は美しいし、以前よりも激しい見せ場が毎回ある。
 でもなぜか、ドラマ全体が「軽い」のだ。

 世はリバイバルブームだ。このドラマを見ていると、そのブームに乗っかっての高視聴率獲得のための企画物だという、あざとさみたいなものが見えて仕方がないのだ。
 少なくとも、今回のドラマはリメーク版ではなかった。16年前のヒット作を、「その場しのぎ」で作ったとしか思えなかった。

 先日、テレビの歌番組を見ていたら、懐かしの映像として美空ひばりさんが北島三郎さんとデュエットしているVTRが放送されていた。
 その時、あらためて彼女のすごさに驚いたのである。

 北島三郎さんといえば、今や演歌の大御所、男唄の権化である。
 その彼を向こうに回し、美空ひばりさんは北島さんの持ち歌を堂々と彼女流の「男唄」として歌い上げていたのだ。

 今の演歌歌手が、演歌以外の歌を歌っているのを聞くと、どうしても不自然に聞こえてしまう。でも彼女に関しては、そんなことは皆無だ。どんな歌でも、完璧に自分のものにして歌いこなしてしまうのだ。
 まさしく、「女王」である。

 翻って、今の歌手は、軽い。作品も妙に難しいのだが、軽い。
 昔の歌は、メロディー自体はそんなに難しくなくても、どんなに素人が真似をしてもその歌手のようには歌えない、深さとか重さみたいなものがあった。

 一握りの「売れっ子プロデューサー」と呼ばれる人たちの手によって、同じような歌が機械的に作られ、世に送り出され、すぐに消えてゆく。どんな歌でも、売れれば全てOK。ヒットチャートの順位は、毎日猫の目のように変わる。
 発売されて1年も経てば、もう既に懐メロ状態である。

 CDが爆発的に売れた女性歌手達は、みんな「歌姫」と呼ばれる。でも、「女王」と呼ばれる人はいない。

 歌手も作品も、全てが「その場しのぎ」だと思うのは私だけだろうか。

 ドラマや歌などの芸能は、その国の文化の一部だ。「その場しのぎ」のドラマや歌が多いということは、この国の文化が「その場しのぎ」だということだ。

 視聴率も大事だ。でも私は、新しさばかりを追い続け、古くてもよいものは残していこうという努力を怠った結果が、今の「その場しのぎ」状態なのではないかと思えることに、腹が立つのだ。
 昔よりも、明らかに日本の文化が後退している。

 何だか今の日本は、その場しのぎだらけだ。私の身近でも同じだ。

 たとえば介護保険。
 見切り発車のような形で始まったこの制度、今もどんどん変貌を遂げている。

 家庭の事情等で、この制度を利用できる老健施設に入所を希望している人は、やはり多い。順番待ちの時間がどんどん長くなっている。
 だが今の状態では、より緊急を要する人がなかなか入所できないという、ジレンマもある。
 その状況を打開するために、徐々に「在宅で頑張っている人たち」を優先して入所させるという方向に変わってきているのが現状だ。

 老健施設という場所は、病院と家庭の中間施設という位置づけがされている。だからこの施設には、基本的に長期入所はできない。
 でも様々な事情で、家に帰ることが不可能な人も当然おられる。そういう人たちは、いろいろな老健施設を巡ることになる。

 でも老健施設側としては、「入所者を家に戻す」ということが大前提である。またそうしなければ、施設の信用にも関わってくる。
 だからこういう「施設巡り」をしている人たちが、徐々に排除されつつあるのだ。

 実際に先日、ある施設の相談員は「他の老健施設から直接入所されることはお断りします。最低3ヶ月以上、在宅での生活をされてからにして下さい」とはっきりおっしゃった。
 何もしなくても入所希望者がたくさんいる状態である。施設の言葉も強気である。

 老人が増えることは、もうずいぶん前から予測できていたことだった。それなのに、抜本的な対策は何一つ講じられることなく、今まで来てしまった。
 老人があふれかえった状態になって、慌てて制度化されたのが、今の介護保険制度。
 その場しのぎの極致だ。

 その場しのぎなので、とりあえず考えたのは介護される人のことだけ。介護をする人のことなど、念頭になかった。
 そして今やっと、介護をする人のことに焦点が当たり始めた。

 だが近い将来、「家族の中に介護をする人がいなくなる」という問題に、この国が直面するのは必至だ。そして、老健巡りをする人が急激に増えることも明らかだ。
 たぶんここ10年以内に。

 なぜなら、ひとりっ子家庭が爆発的に増えているからだ。
 たまたま私は母が早くに亡くなり、父が障害者なので、その問題に早めに直面しているが、私のような問題を抱える人が、絶対にあふれかえる。

 でも今、誰もそんなことを考えている人はいない。
 すべて、「その場しのぎ」だ。

 今の不景気問題、北朝鮮拉致家族問題。
 過去に、将来どうなるかを全て予測できた出来事だった。それなのに何もしなかった。やっかいな問題、長期的スパンを要する問題は全て先送りされてきた。
 その結果が、現在の「その場しのぎ」だ。

 文化だけではなく、国や自治体の方針さえ、今は「その場しのぎ」なのだ。

 今求められているのは、「経験者優遇」「即戦力」。
 どんどん世の中のスピードが速くなってきている今、何事に対してもなるべく早く「答え」を出さなければならない。
 どんなに長期的スパンを必要とすることでも、同じである。

 そしてまた、「その場しのぎ」が繰り返される。

 でも、どこかで誰かがこの「その場しのぎ」循環を絶たないと、いつまでたっても、今の日本の状況はよくならない。
 そういう意味でも、文化を後退させないでほしいのだ。
 その場しのぎの方針ではなく、人や状況に合わせた方針を貫いてほしいのだ。

 それにしてもなぜ、今の「その場しのぎ」状態に文句を言う人がいないのだろう。
 そして何よりも不思議なのが、この「その場しのぎ」で満足している人が多いということだ。

 今が良ければ、全て良しということなのだろうか。

 この国は、いったいいつになったら、あらゆる面で前進を始めるのだろう。