「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/10/08(Tue)
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第64巻 「私ならどうする」
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◆その1 もし私が、当事者なら

 先月からテレビや新聞は、いわゆる「拉致問題」一色となっている。

 外交というのは、国と国とのお付き合いである。お互いの国の事情などが複雑に絡み合うから、私たちからは到底うかがい知れない駆け引きや妥協が、水面下で行われているのだと想像ができる。
 今回の相手国は国交がないので、事務レベル交渉は余計に大変だっただろう。

 今回、相手国の「のっぴきならない事情」もあったのだろうが、それまで「拉致問題などない」と言い切っていた国が、事件から20年以上過ぎた今、やっと公式に「拉致問題の存在」を認めたのである。考えてみれば、歴史的なことである。
 だけど、その発言の後に次々と明るみになる衝撃の事実。報道を見聞きしていると、どうしても納得できないこともあるし、矛盾に満ちた点もある。
 しかし、今までただ足踏み状態だった問題が、やっと全容解明に向けて前進し始めたということも、また事実である。

 だけど、長い長い、長い年月が過ぎてしまった。

 何の関係もない市井の人たちを、たとえ自国のためとはいえ連れ去るということは、立派な犯罪である。だけど私は、拉致被害者やその家族達が失った時間は、永久に戻ってこないという事実の方が、もっと大きな犯罪なのではないだろうかと思ったりする。
 ましてや、彼らに罪があったわけでは決してないのだから。

 人は、たとえようもなくつらい出来事にぶつかると、精神的に大きなショックを受ける。人によっては泣き暮らし、人によっては落ち込んだりする。
 でも時間は、人に「忘れる」という感覚を与えてくれる。

 一度受けた悲しみや痛みを、人は完全には消し去ることはできない。でもどんなにつらくても、人は生きていかなければならない。
 日常生活を営む中で、時間はゆっくりと流れていく。つらかったことも少しずつ過去へと流れ、自分の心に占める大事なことの優先順位が変化していく。

 時の流れは、つらかった思いを心の中で昇華させ、思い出に変えてくれるのだ。そして、自分を納得させることができるのだ。

 だけどこの事件の被害者の家族達には、自分たちを納得させる機会さえもない。これが国内で起こった犯罪なら、言葉も通じるし、犯人が見つかれば何らかの形で怒りをぶつけるチャンスも残されている。
 この事件の被害者の家族達には、今までそんなチャンスすら皆無だったのだ。

 ある日突然、愛する人がいなくなる。理由がわからない。どこへ行ったのかわからない。生死さえもわからない。
 どこにいるのか見当がついても、その場所に行くことさえかなわない。連絡もとれない。会えるかどうかもわからない。
 元気なのか、何を食べているのか、どんな所に住んでいるのか、着る服はあるのか、お金はあるのか。何もわからない。

 確実なことは、何も、なんにも、わからない。

 被害者だって、ある日突然見知らぬ国へ連れてこられたのである。自分の育った国のこと、心配しているであろう親しい人たちのこと、繰り返し考えただろう。
 でも彼ら自身も、最初はどこにいるのかもわからなかっただろう。日本に帰れるかどうかもわからなかっただろうし、これから自分がどう生きていくのかすらわからなかっただろう。

 望みもしない運命を、何の関係もない人たちに押しつけられてしまった人たちにとって、時の流れは残酷だ。
 被害者やその家族達の壮絶なつらさに寄り添ったりすることなど、私にはたぶん永久にできない。

 わからないことだらけの20数年。あきらめきれない20数年。
 私がもし被害者だったら、もし被害者の家族だったら、そんな理不尽な日々の中で、自分からは決して望まない運命の中で、どう生きていただろう。

 想像すらできない。


◆その2 もし私が、親だったら

 私が小学生くらいの頃までは、人の集まる所には必ず「傷痍(しょうい)軍人さん」が何人かおられた。終戦後、既に30年ほど経過した時期である。
 白装束(それもかなり年季の入ったもの)に身を包み、負傷したと思われる箇所をさりげなくかばいながら、行き交う人たちからの浄財を待っている。
 彼らはたいがい、アコーディオンなどで軍歌をもの悲しく演奏していた。

 そんな人たちを見ると私の両親は、「ああいう人にお金を渡さんでもええ」とよく言っていた。特にいつでも極端な意見を放つ父は、激しい口調でこう憤っていた。
「あいつらは、働く気がないからあんなことをしてるんや。足が悪いって言うとっても、商売終わったらさっさと歩いとる」。

 そんな幼児体験もあり、私は今でも「路上募金活動」への寄付ができない。できないというより、好きではないのだ。
 集めた寄付金で飲食をしているという、よからぬ人たちも多少存在するという事実を報道で知ってからは、余計に躊躇するようになった。

 でも最近、海外でしかできない移植手術を子どもに受けさせるために、渡航費用や手術費用として必要なお金をカンパする目的で、街頭で募金活動を行っているグループを、よく見かけるようになった。
 示されている目標金額は、たいてい数千万円。べらぼうな金額だが、子どもの両親や、その思いに賛同し協力する人たちの努力で、何とか集められることも多い。

 移植手術で助かるなら、少額でも寄付してあげようという人たちが、たくさんいるのだ。不景気な世の中だけれど、日本もまだまだ捨てたものじゃないと感心する。また、人々が協力し合うことのすごさにも驚かされる。

 私も、この種の寄付を求められたことが何回かある。街頭での寄付が好きではない私の心も、ぐらぐら揺れる。
 それでも私は、寄付をする気にはなれないのだ。

 なぜなら私は、海外という慣れない土地に出向き、ドナーをひたすら待ち、移植手術をすることが、子どもにとって果たして幸せなのかと考えてしまうのだ。

 残酷だけれど、不治の病に冒される子ども達はたくさんいる。生まれた瞬間から、病気や障害を背負っている子どもだっている。本人もつらいだろうけれど、他の誰よりも親がつらいだろう。
 どうして自分の子ども「だけ」が不治の病に冒され、他の子ども達のように「普通に」成長していくことが許されないのか。手をこまねいて死を待つことしかできないのか。親として何とか子どもを助けてやれないのか。
 そんな親たちが、「移植手術をすれば助かる」という言葉にとびつかないわけがない。あたりまえのことだと思う。

 だけど私は、幼い子どもが一番願っているのは、家族の幸せだと思うのだ。
 海外での移植手術は、子どもにとっても家族にとっても、大きなリスクを伴う。募金活動で手術費用等を捻出しようとしている家族にとっては、自分たちの生活の枠の中での治療では、もちろんない。家族にとっては、はっきりいって無理があり不自然な生活となるだろう。
 病気の子どもは、それを本当に望んでいるのだろうか。

 確かに子どもには、未来がある。その未来を摘み取る権利など、どこにもない。
 だけど、自分たちの身の丈以上のことをすれば、今生きている家族に幸せは来ない。そのことを子どもは、必ず理解しているのだ。

 それでも、万に一つのチャンスを求めて海外へ行くという選択をする家族もあるだろう。家族の身の丈に応じた治療を子どもに施すという選択をする家族だってあるだろう。
 私自身は、海外に行ってまで移植手術をするのはどうかと思う。だけど、何が正しいのか正しくないのか、私にはやはりわからない。

 だけどもし自分にそんな子供が生まれたら、どうするだろう。募金箱を持って、街頭に立つのだろうか。

 自分のエゴイストぶりに、あきれながら。