「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/10/01(Tue)
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第63巻 「ほどほどな幸せは、どこにある」
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 父が今の老人保健施設(以下、老健と略します)に入所して、もうすぐ半年になる。

 第34巻「老健施設見学記」でも少し触れたが、老健は「病院と家庭の中間施設」という位置づけがされている。入院する必要もないけれど、家庭に戻るのにはまだ問題があるという人たちが、家庭に戻るために訓練をする施設という名目があるのだ。
 だから通常3ヶ月ごとにケアプランなどの見直しが行われ、施設によって違うけれど、大体半年で一旦区切りをつける(退所する)よう勧告されることが多い。
 最近ではどこも入所待ちをしている人が多いため、2ヶ月を過ぎたころから「退所勧告」を出すという老健もあるらしい。

 先日、父を担当して下さっている相談員さんと会う機会があったのだが、その際にやんわりと「退所勧告」が出た。我が家の事情、父の状態や性格などはおわかり下さっているので、あまりきついことはおっしゃらない。だが、相談員さんも仕事である。
「あー、ついにきたか」と思いつつ、今私は次に父を入所させてくれる施設を探し始めている。

 普段は気分が滅入るので封印しているのだが、この「移動」のための一連の作業を始めると、私はいつも悩む。
 父と私が、ほどほどに幸せと思えるような施設が、他にはないのかと。

 こういう「介護」の問題に関しては、何が正しいか正しくないかという答えは、どこにもない。各個人、各家庭によって考え方も違うし、抱えている事情も違う。
 だけど、亡き母がずっと行ってきたことを継承したとはいえ、父を病院や施設に入れっぱなしにしていることに関しては、私はずっと引け目のようなものを感じている。

 以前病院にいた時も今の施設でも「短期間でもお家に連れて帰ってあげたらどうですか」という提案を受けている。父は「要介護度2」という介護認定を受けている。だから「ヘルパーさんとかの力も借りれば、お世話ができるんじゃないですか」とも言われる。
 そう言われるたびに、私は針のむしろの上に座らされているような気分になる。でもこうも思う。理想と現実は違うと。

 父はクモ膜下出血で倒れて左半身が麻痺し、車椅子での生活になってから家には戻っていない。当然家に帰りたがっている。でも連れ帰って、一番負担がかかるのは私である。

 父は元々、じっとしていられる人ではない。でも車椅子の父が出かける時には、必ず付き添いが必要となる。仕事も思うようには出来なくなるだろう。
 気に入らないヘルパーさん(毎回同じ人が来るとは限らないのだ)だったら、きっと罵詈雑言を浴びせるのに決まっている。何しろ「瞬間湯沸かし器」の別名を持っている人なのだから。それに、飲酒・喫煙をしないとも限らない。
 何よりも、短期間家に戻って、また施設に戻るなんてことを、父が承諾するわけがない。

 私個人として考える父の理想郷は、様々な年齢の人がいて、リハビリ(歩行訓練)が毎日できて、敷地内ならある程度自由に散策できて、何か役割を与えてもらって毎日それを遂行できて、病気になればすぐ手当てもしてもらえるという場所である。
 これに一番近い場所が病院なのだと思う。父はもともと病気で体が不自由になったのだし、毎日リハビリをした方がよいのだ。でも老健では、要介護度の程度でリハビリ等のメニューが決まる。父は今、週に数回しかリハビリを行っていない。
 だけど、入院生活も半年が限界である。介護保険を使う病棟などは、要介護度が高い人しか入れないのが実情である。

 老健に入所しているのは、平均70代後半以上の高齢者である。大体どこの老健でもフロアを分けているが、当然痴呆老人もおられる。そうでない人でも、体が思うように動かず、お話も聞き取りづらく、トイレに行くのもやっとこさという人たちが多いのだ。

 老健のお年寄りは、年齢を重ねる中で衰えが出てきた、いわゆる「純粋老人」なのである。「生きたい」というパワーも穏やかだ。

 それに引き替え、父は60代後半。今入所している老健の入所者の中で一番の若手である。それに父は「純粋老人」ではない。病気をして体が不自由になり、そのまま年齢を重ねている「身障者老人」なのである。

 少々物忘れが激しい時もあるし、言葉が聞き取りにくい時もあるけれど、父の「生きたい」というパワーはまだまだ衰えてはいない。
 車椅子を上手に操り、施設内をいつもうろうろしている。最近ではもう職員さんも慣れて下さったけれど、入所当時は父がいつの間にかフロアから消えてしまうので、いつも探し回っておられたそうである。
 そんな職員さんに対して父は、「かまうな!」と罵詈雑言を投げつける。

 第50巻「ぼん、ぼん、ばあっ」に登場したNちゃんの家も、今似たような状況である。

 Nちゃんのお母さんは70歳になったばかりなのだが、数年前に脳に悪性腫瘍(ガン)ができて摘出手術を受けた。だけど、摘出した箇所からまたどんどんガンが大きくなっている。それを抑えるための治療も行われたが、体に負担がかかるのでもうできない。
 医者の見立てでは、この夏もつかどうかというものだったらしいが、ガンの進行は今のところくい止められ、現在は自宅で療養されている。

 Nちゃんのお母さんは、それまで大病をされたことがなかった。Nちゃんをはじめとした4人の子ども達はそれぞれ独立し、現在は夫婦2人暮らしである。
 病気をするまでは、カルチャーセンターに行って勉強したりして、元気に飛び回っていた人である。だけど今は、体の調子がよくないこともあり、家に閉じこもりきりである。

 だけどずっと閉じこもりがちだと、いっしょに暮らしているお父さんは身動きが取れない。自宅にやってくるヘルパーさんも、時間が来れば帰ってしまう。気も遣う。
 最後の手段で、老健の「デイケア」に行ってくれないかと頼んでも、お母さんは首を縦には振らない。

 ちなみに「デイケア」というのは「日帰り入所」のことで、在宅で生活している高齢者が主に利用している。施設で遊んだり、様々な行事に参加できたりする。希望すれば入浴も出来る。車での送り迎えもある。

 Nちゃんのお母さんがなぜデイケアに行きたがらないのか、私には何となくわかる。
 なぜなら、父も同じようなことを言うから。

 デイケアでの遊びや行事というのは、お誕生会、演芸会、歌謡ショーなどが多く、どうしても多数派を占める「純粋老人」向けのプログラムなのである。
 それに職員やボランティアの老人達を見る目は「慈愛」である。危険だからという理由で、絶えず誰かが見守っている。何も言わずにどこかに行こうとすれば、すぐに職員が追いかけてくる。

 私の父や、Nちゃんのお母さんのような「身障者老人」は、こういう「純粋老人」といっしょくたにされることが、嫌なのである。馬鹿にされていると感じるのである。
「病気になったから体の自由が利かないだけで、まだまだ自分はしっかりしている。この人達とは違うのだ」という、一種のプライドがあるのである。
 だけど今の老健は、こういう「身障者老人」には対応し切れていない。また、「身障者老人」に適している施設はない。

 いくらヘルパーさんが来てくれるとはいえ、気を遣い続ける日々の中で、Nちゃんのお父さんが今すっかり参ってしまっているらしい。
 Nちゃんのお母さんは、正直余命幾ばくもない。でも、お父さんの気苦労な日々がいつまで続くかわからない。お母さんの希望ばかり入れていては、夫婦共倒れにもなりかねない。

 子ども達も各地方に散らばり、それぞれの生活を営んでいる。いつでも親の元に駆けつけてこられるという訳ではない。Nちゃんも暇を見つけては実家に帰るようにしているが、遠方ということもあり、金銭面で大変である。
 Nちゃん一家も、今全員が愚痴をこぼしながら、頭を抱えている。そういう意味では、我が家も同じ立場なのだ。

 子どもなら、ある程度の年になれば自立していく。言い換えれば、その後の自分の人生の予定が立てられるのだ。
 でも高齢者介護は、いつまで続くかわからない。そして高齢者が、どう変化していくかも予測が付かない。予測が付かないから、その後の手だても考えにくい。

 病気などで体の自由は利かないけれど、生きる意欲が旺盛な老人への対応は、ある意味もっとやっかいである。
 介護する側、される側、どちらも悩み、いらだち、苦しみながら、その家族なりの対処方法を模索することになる。

 家族全員が満足はしていないけれど、不満でもない、そんな「ほどほどな幸せ」を感じられるような方法はないのだろうか。
 またしばらくは、私の堂々巡りの日々が続く。