「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/08/27(Tue)
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第59巻 「ある出会い」
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 私のHPに「プチバンおやじ」というコラムを最初に掲載したのは、6月中旬のことである。
 ある時、テレショップで「プチバン」という商品を紹介していた男性に、私は大いなる関心を抱いた。彼の類い希なる特徴を短くまとめたのが、このコラムである。

 これをいち早く見つけて読んで下さったのが、「プチバンおやじ」の友人兼ブレーンをつとめておられる、Oさんであった。彼を通じて「プチバンおやじ」本人に、このコラムの存在が知れることとなったのだ。
 このコラムは、かなり大げさに書かれている。人によっては、苦々しく思う内容かもしれない。

 だけどなぜか、「プチバンおやじ」はこのコラムをいたく気に入って下さったのだ。Oさんの言葉を借りれば「大変な喜びよう」だったそうである。
 偶然の出会いから、Mさんと私はメールのやりとりを始めた。そして「インターネットを使って何かビジネスにつながるようなことをしませんか」という、ありがたいお話を頂いたのである。文字通り、トントン拍子である。
 あまりの展開の早さに、私の頭の中は混乱していたというのが、正直なところである。

 そして先日、その「プチバンおやじ」こと、Mさんにお会いする機会に恵まれたのである。

 Mさんとお会いする前、Oさんから電話を頂いた。1時間ほどあれやこれやと話をし、的確なアドバイスも頂いた。
 その時Oさんは、Mさんを評してこうおっしゃった。

「彼はね、関東人には絶対に受け入れられないタイプなんですよ。彼の言うことに対して『そこまで言うなら、あんたがやれば?』って、関東人は突き放してしまうんですよ。それは頭に置いておかれたほうがいいですよ」

 Mさんは、かなり個性の強い人らしい。

 待ち合わせ当日、時間が近づくにつれ、私の緊張はどんどん高まっていく。私は比較的、人見知りをするタイプである。その日は何をしていても、「心ここにあらず」状態であった。

 待ち合わせ場所は、ある広告代理店の近所にある喫茶店だった。
 Mさんは近々またテレビに出演されることになっていて、その打合せの帰りに私と合流することになっていたのだ。
 待ち合わせ時間より10分ほど私は早く到着したのだが、打合せが早く終わられたMさんは先に来て待っておられた。遠目から見ても、私にはすぐMさんとわかった。
 だって、テレビに出演されている格好、そのものなんだもの。

 ご挨拶の後、Mさん行きつけのお店に案内して頂いた。歩きながらMさんは、こんなことをおっしゃった。

「大阪はすべてが『まずい』です。私は世界中で、大阪が一番『まずい』と思います」。

 道路事情が悪いとか、違法駐車がまかり通っているなど、大阪には悪い点も多々ある。だけど、食べ物までひっくるめて大阪全てを「まずい」という表現をされる方に出会ったのは、私は初めてだった。「そんなことはない、大阪の食べ物はおいしいですよ」と生まれも育ちも大阪である私は、思わず突っ込みたくなった。

 けれどMさんの言葉には、妙な自信が感じられる。突っ込む隙すら与えてもらえないといった感じだった。
 のっけから先制パンチを受けた気がした。

 到着したお店は小さな居酒屋さんで、10人も入れば満席になるような店だった。時間が早かったので、女将さんが開店準備をしている最中だった。

 Mさんは席に着くなり、カウンターの中にいた女将さんに「私は今日ね、彼女(私)に婚約を申し込むんです」と、大きな声で宣言した。そして、「プチバンおやじ」を印刷した紙を、その女将さんに読ませている。
 自分が書いた文を読んでいる人を直に見ることは今までなかったので、ものすごく恥ずかしくて、私はその場でじたばたしていた。そんな私の様子を見たMさんは、だめ押しで一言。
「この文、今打合せに行った広告代理店の人にも読んでもらいました」。

 私の顔は、燃えそうになった。

 Mさんは常にしゃべっている。話題はあっちに飛び、こっちに飛んでまた戻るといった具合である。その変換が唐突なので、私はついていくのが精一杯である。
 そしてお酒がすすむにつれ、Mさんの声はどんどん大きくなる。興奮した時のMさんの声は一段と高くなり、店の遙か先まで聞こえるんじゃないかと思えるほどだった。
 それに加え、Mさんはいわゆる「不適切な言葉」を気にせずどんどん口にする。この頃にはお客さんも増え、店内がにぎわいを見せていたので、聞いている私は思わず他人のふりをしようかと思った瞬間もあったくらいだ。

 これが自分の父親なら、「何言うてんの!」という言葉と共に、頭をぴしゃっとひっぱたいていただろう。

 あまりの毒舌ぶりに、お客さんがすーっと「引いていく」空気が、ぴんぴんと伝わってくる。でもMさんは、その雰囲気を把握しながらも、店内にいるすべての人に向かって、機関銃のようにしゃべり続ける。
 その話の内容は、どこまでが冗談か、どこからが本気なのか、関西人にとっても見極めに苦しむものだった。それが数時間続いたのである。
 Oさんのアドバイスは、本当に的確だったのだ。

 でも今思えば、私の緊張をほぐすためと、私という人間を見極めるための、Mさん独特のしゃれっ気だったのかもしれない。

 仕事の話はほとんどしなかったが、帰り際、Mさんはこうおっしゃってくださった。

「強制はしませんが、あなたに元手がかかるわけではないです。やってみなければわかりません。やってみてダメだったら、やめればいいんです。いっしょに、やってみませんか」。

 実はMさんにお会いする前から、私はお話をお受けする心づもりをしていた。だけど私は、お返事を先延ばししてしまったのだ。
 Mさんはたぶん、私の答えがすぐにほしかったのだと思う。がっかりしたような顔をされていた。

「帰りが遅くなったので心配だから」という言葉と共に、強引に押し込まれた帰りのタクシーの中で、私は重苦しい気持ちを抱きかかえていた。

 どんなに饒舌でも、Mさんがとても信用のおける方だというのは、話の端々で感じられた。Oさんという強力なブレーンもついている。
 そのうえ、私の自由な感性でMさんの世界を広げてほしいというリクエストなのだ。もしビジネスにつながらない結果に終わっても、私にとってマイナスにはならない。
 本当にありがたいお話なのだが、私は悩んでしまったのだ。

 Mさんの言動には、言葉では言い表せないくらいの気迫があった。長所も短所も掛け値なしに、自分を全てさらけ出して生きているという、大きな自信と自負をお持ちだった。
 15年以上のアメリカでの生活の中で培われたものだとは思うけれど、こういうタイプの方と接するのは初めてだった。
 翻って私はといえば、優柔不断で、「まあいいか、なるようにしかならへんし」とお気楽に生きている人間である。

 そんな私が、果たして彼の感性や気迫についていけるのだろうか。自分の力のなさは、自分が一番よくわかっている。不安でたまらなくなった。

 加えて、彼が私に寄せてくださる期待の大きさが、あまりにもすさまじかったので、とまどってしまったのだ。
 あのコラムは、本人が読んでくださると思わなかったから、また仕事ではなかったから書けたのだと、私は今でも思っている。それが「たまたま」、Mさんの琴線に触れただけなのではないかという思いが抜けなかったのだ。

 どんなに「気楽に取り組んだら」と言われても、「あらゆる意味でのきっかけになる」と言われても、どうしてもそんな思いになれなかったのだ。
 Mさんと会った翌日は、自分の気持ちが押しつぶされそうで、情緒不安定な状態に陥っていた。

 その翌日、小さな仕事が1本入ってきた。気持ちを切り替えて原稿を受け取りに向かう道すがら、私はふと思ったのだ。
 MさんとOさんは、私が私でいることを認めてくれる人なんじゃないかと。

 私が私だから、MさんとOさんは認めてくださったんじゃないかと、やっと思えたのだ。
 私以上のことは、私にはできない。でもそんなことは、お二人ともたぶん理解して下さっているのではないかと。

 自分が作った「作品」に対して、こんな形でほめていただくことは、私の人生の中にかつてなかったことだった。そして、私が私でよいと他人からおおっぴらに認めてもらうことも、今までなかったのだ。
 私はそれにためらい、素直になれなかった自分を、とても恥ずかしく感じた。

 家に戻ってすぐ、私はMさんに承諾の電話を入れた。Oさんにもメールをうった。

 偶然のつながりから始まった、新たなる偶然のつながり。絶妙なタイミングを目の当たりにした私は、今とても不思議なものを感じている。
 さあ、何を始めていこうかな。何が始まるのかな。