「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/08/20(Tue)
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第58巻 「心の琴線」
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 高校時代、詩を書くことが私の趣味のひとつだった。

 今読むと稚拙な恋の詩ばかりだけれど、本当に毎日一生懸命書いていた。当時抱えていた貧弱な言葉の引出を、ひっくり返すようにして書いていた。書きたいことが毎日湧いて出てきていた頃だった。
 他にも、交換日記も書いたし、授業中に小さい紙に手紙を書いて友達に回したし、回ってきた手紙に返事を書いたり(いったい私はいつ勉強してたのやら・・・)して、忙しかった。

 自分で詩を書くばかりではなく、同じノートに自分が気に入った言葉も書き写したりしていた。
 当時流行っていた歌の歌詞や、漫画のセリフなどの抜粋がほとんどなのだが、一編だけ詩人が書いた詩を私は書き留めている。
 それは、坂村真民(しんみん)さんという詩人が書かれた「二度とない人生だから」という作品の一部である。パンフレットか何かで読んだことが出会いだったと記憶している。

     二度とない人生だから
     まず一番身近な者たちに
     できるだけのことをしよう
     貧しいけれど
     こころ豊かに接していこう
     (坂村真民さん作「二度とない人生だから」より抜粋)

 何年か経ってから、この方の詩集をたまたま本屋で見つけ、その中にこの詩の全文が掲載されているのを発見した。その詩集は、今でも私の手元にある。
 だけど高校時代にこのような詩が私の心にしみた、本当の理由は何だったのだろう。今となっては、知る由もない。
 高校時代ではなく、今初めてこの詩に出会っていたら、果たして心にしみたのだろうか。正直、疑問である。

 高校を卒業してから、私はぴたりと詩が書けなくなった。それは不思議なほどだった。
 もしかしたら私の高校時代は、心の琴線がぴんと張っていた時代だったのかもしれない。

 この「琴線」という言葉を初めて聞いたのは、岡村孝子さんという歌手の口からだった。彼女は時々、思いも寄らない言葉を使って、ご自分や作品を表現される。つい最近発売された新曲のタイトルは、「天晴(あっぱれ)な青空」である。
 時代劇以外で、「あっぱれ」なんて言葉、聞いたことない。

 それはともかく、彼女はあるコンサートで、こんな言葉を使って感謝の気持ちを伝えてくれた。確かもう15年ほど前のコンサートだったと記憶している。

「本日は私のコンサートにお越し下さいまして、ありがとうございました。これからも皆さんの『きんせん』に触れるような歌を、作っていきたいと思います」。

 当時は「きんせん」を漢字でどう書くか、はっきりとは知らなかった。漢字でどう書くかを知った時、いい言葉だなと思った。「琴線」という言葉が、私の心の琴線に大きく触れた瞬間だった。

 この岡村孝子さんの曲の中に、「電車」という作品がある。通勤電車に揺られながら、自分の不安定な心をも揺らしているような女性の心情を歌ったスローバラードだ。コンサートでも彼女は、よく歌っていた。だが私は、最初この歌が大嫌いだった。
 とにかくこの歌、歌詞もメロディーも「暗い」のである。聞いていると、何だか気分が陰々滅々としてくる。
 だが20代も後半に近づいた時、私は突如この歌が好きになったのだ。

     誰もが自分の生き方を
     見つけて歩いてゆくけれど
     私は変わらずに
     私でいるしかできない
     (岡村孝子さん作詞「電車」より抜粋)

 社会人になって数年経ち、少しずつ社会や会社の仕組みがわかり始め、毎日がテストのような日々が続く毎日。「若い」というだけで優遇された頃が、だんだん遠のいていく。年齢が上がるごとに、特別なキャリアがない限りは、会社内で必要な人間としてみなされなくなることが多くなっていく。
 この頃の私は、いろいろな事にぶつかり、精神的にもがいていた。この歌の中に出てくる「『けじめ』と名のついた卒業証書がほしい」という歌詞が、身にしみる日々だった。

 もがいたり悩んだりするけれど、結局「私は変わらずに私でいるしかできない」という言葉に戻ってくる。当時の私は、この言葉に救われていたような気がする。
 タイミングよく自分の琴線に触れる言葉に巡り会え、トンネルから抜け出すことができたのは、高校時代に心の琴線を張っていたおかげかもしれない。

 身近な人たちの言葉の中にも、私の心の琴線に響くような言葉がたくさんある。

 第46巻「30代」に登場したMちゃんが、20代前半の頃に勤務していた会社に、ある先輩女性がいた。
 その先輩は、とてもおしゃれだった。そのおしゃれぶりは、彼女曰く「とても大人な」ものだったそうである。これ見よがしなところはなかったけれど、着ている服や持ち歩いているバッグなどはとてもよい物で、とにかく隙がなかったそうだ。

 ある日Mちゃんは、仕事帰りにその先輩女性と喫茶店に行って、いろいろとおしゃべりする機会を持つことができた。彼女の身だしなみにあこがれていたMちゃんは、「先輩、いつもおしゃれしたはりますね。かっこいいですね」とほめた。するとその先輩は、「私ね、身だしなみに気を抜くことがでけへんのよ」とおっしゃったそうだ。
 不思議に思ったMちゃんは理由を尋ねた。すると彼女は、こう答えたそうである。

「だって、昔付き合っていた人と、どこで出会うかわからへんから」

 あっけにとられているMちゃんを尻目に、彼女は言葉を続けた。
「それがね、たまたま身だしなみに手を抜いてしまった日に、昔の彼と出会ってしまったのよ。向こうは気付いたかどうかわからへんけど、ものすごく恥ずかしかった。だからそれからは、また手を抜かないようにしているの」

 Mちゃんからその話を聞いた私は、思わず「ええ話やなあ」と叫んでしまった。Mちゃんも「私もその話し聞いて、身だしなみへの考え方が変わったわ」と言っていた。
 10年以上前の出来事を、未だにはっきり覚えているMちゃん。彼女にとってはこのセリフが、彼女の琴線に触れる言葉のうちの一つなんだなあと感じた。

 人によって、心の琴線に触れる言葉はそれぞれ違う。そんな言葉を私にも分けてくれるような人を、友人に持っている私はとても幸せな人間なのかもしれない。
 あまりにも心の琴線をわしずかみにされるような言葉だと、腹も立つし疲れもする。だけど、自分の心の琴線をふるわせる言葉にどれだけ巡り会えるか、自分の琴線をふるわせる言葉を繰り出す人にどれだけ出会えるかで、人の運命ってずいぶん変わるものなのだろうなって思う。

 今、若い人たちの中に切れやすい人が多いと言われているけれど、もしかしたら彼らは、彼らの心の琴線に響くような言葉や人に出会えていないのかもしれない。彼らの親たちは、頭の琴線の向上だけを目指し、心の琴線を響かせるような機会を与えなかったのかもしれないなと、思ったりする。
 真実を伝える自由も、本物を見せる自由も、選択する自由もあるのに。何でもある便利な世の中になったのに。自由だから、便利だから、かえって不便なのか。不自由なのか。
 もったいないなと私は思う。

 私が誰かの言葉に心の琴線をふるわせているのと同じように、私が発している言葉で心の琴線をふるわせている人がいるのだろうか。
 もしそんな人がどこかにいるなら、なんてすてきなことなんだろう。

 詩を書くことはやめてしまったけれど、心のアンテナはずっと立て続けていたい。
 それが、生きている価値のひとつだと思うから。