「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/08/06(Tue)
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第56巻 「堂々巡り」
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 先日の夜、第15巻「悪循環な人たち」に登場したTちゃんから電話がかかってきた。彼は現在32歳で、父親と2人暮らしである。

「俺、見合いの話があるねん」
「へえ、よかったやん」
「それがな、大きな問題があるねん」

 今回の見合い話は、彼の友達を通じて持ち込まれたものだった。その友達の知り合いの年配の女性が、Tちゃんの人柄を気に入り、間に入ってくださることになったそうだ。
 相手の女性の父親は一部上場企業の役員で、親戚には有名団体の役員をされている方もいるとかで、いわゆる「お家柄がよい」女性なのである。

「そのおばさんな、釣書を書いてって言わはるねん」
「そりゃ正式な見合いやし、当然やろ。見合いはまず、家のつながりやからな」
「そうやろ。そやけど、そこが問題なんや」

 Tちゃんには、Yちゃんという障害者の弟がいる。体は健康そのものなのだが、軽い脳障害があるのだ。原因は不明だ。
 彼はとにかく落ち着きがなく、特に幼い頃はじっとしていることができない子どもだった。自分の興味のあることにはのめり込むが、それ以外のことは全くできない。当然、一般企業でのサラリーマン稼業などは務まらない。
 言葉も聞き取りづらく、彼が早口でしゃべりだすと、普段そばにいる親でさえ聞き取れない。他にもいろいろと、問題があるらしい。

「弟のことが原因で、前にも見合い話がこわれたことがあるねん」
「ふーん、そうやったん」
「今回、間に入ってくれる女性は、うちの事情をあんまり知らへん人やねん。そやから『僕の母親はもう既にガンで亡くなってるし、弟はこんな感じの障害者です。それでも大丈夫でしょうか』って確認したんや。彼女は『わかりました。だけど相手方に話をする時に釣書は必要なので、とりあえず書いて下さい』って言わはったんや」
「そりゃあ、釣書は絶対必要やわな」
「俺もそう思うねん。そやけど、お父さんは違うねん。弟のことを充分に理解してもらってから、釣書を書くべきやって言うねん」
「・・・うーん、お父さんの気持ちもわからんでもないけどなあ」

 Tちゃんの言葉を借りれば、彼の家族はYちゃんを「障害者」だとは認めようとはしなかったらしい。Yちゃんの障害を、見て見ぬ振りをしていたと言えるのかもしれない。
 Yちゃんは身障者手帳を持ってはいたが、義務教育期間中は普通校の普通学級で勉強していた。彼の家族は、あくまで「普通校」にこだわっていたのだ。その結果として、彼のような障害を持った人たちのための高校には進学ができなかった。それに大阪にある普通高校には、彼を受け入れてくれる学校はなかった。もし受験していても、合格できなかっただろう。
 だけどあくまで「普通」にこだわっていたYちゃんの家族は、彼を受け入れてくれる「普通校」を探し回った。見つかった学校は、家からははるか遠く離れた場所だった。Yちゃんは結局、その学校に進学した。

「結局、あんたの家族は全員、Yちゃんを『家族』として認めてへんかったんやな。ずっと」
「・・・そうかもしれへんな」

 あくまで「普通」にこだわってきた状態を続けてきたので、Tちゃんたちのお父さんは、Yちゃんが世間の中でどういう風に見られているのかを直視するのが、つらいのだ。
 そのつらさから逃れるために、Tちゃんに「あとはお前がやっといて」を連発して、自分では何もしようとしない。

「釣書かって、見合いがしたかったらお前が書けって、お父さんは言うねん。そんなこと言われても、自分のことは書けるけど、お父さんや弟のことなんて、詳しいこと俺にはわからへん。10年近く、仕事で横浜におってんから。そう言うたら、ぶつぶつ言いながら逃げよんねん。要するに、弟のことを他人に知られるんが、お父さんは嫌なんや」
「あんたがしっかりしてるから、お父さんはあんたに甘えてはんねんで」
「ねえちゃん、俺、どうしたらええと思う? 見合いするべきやと思う?」

 えらいことを相談されたもんである。私は貧弱な頭を、必死に働かせた。その間も、Tちゃんはしゃべり続ける。

「見合いを俺自身が断るっていう展開を、お父さんは一番望んでると思う。弟のことを他人に知られることもないし、いざとなったら『結婚でけへんのは、お前がしっかりせえへんからや』って、俺のせいにできるし。それにな、釣書をもし出したとしても、十中八九、断られると思うねん。俺がもしその女性の親やったら、やっぱり躊躇すると思うもん。それを目の当たりにしなあかんこと、お父さんは嫌がってるねん」
「そやけどさ、これから同じようなこと、また絶対あるで。別に見合いが嫌ってわけでもないんやろ? それやったらこれからもまた、出会いのチャンスを棒に振るってことになるで」

 Tちゃんの悩みも、私の言葉も、堂々巡りである。

「俺、子ども好きやし、結婚して子どもがほしいとも思う。そやけどもし、弟みたいな子どもが生まれてきたらどうしようって思うと、正直むちゃくちゃ怖いねん。弟ができたとき、まだおじいちゃんもおばあちゃんも生きとったから、『誰がこんな遺伝子を持ってたんや』って言うし、家中が疑心暗鬼になってた。お母さんもつらかったと思うわ。家族の中に障害者がいるっていうのは、想像以上に大変なことなんや」
「・・・」

 Tちゃんの悩みの堂々巡りは、未来にまで及んでいるのだ。

「俺のお母さんは死ぬ前、俺に何もかも託しよった。お父さんや弟にはお礼や励ましの言葉を言うとったのに、俺には『あんたがしっかりせなあかん』って怒りよったんや」
「そやけどお母さんには、あんたしか頼める人がおらんかったんやがな」
「そうかもしれんけどな、俺、恨むわ。俺と俺と結婚する女性は、俺のお父さんと弟という2人を、これからすべての面で支えていかなあかんねんで。弟はたぶん、もう結婚もでけへんやろうし。お父さんは、弟の面倒を一生俺が見るのが、当然やと思ってるし」

 私の母と彼のお母さんは、とても似たような性格をしていた。言葉や態度は違ったけれど、子どもに自分の希望を何もかもすべて託すという態度は同じだった。
 だから私には、他人から見れば「慎重すぎる」と言われるような彼の悩みの堂々巡りが、痛いほどわかるのだ。

「こんなこと言うたらあかんけどな、弟やお父さんがおらへんかったら楽やろなって、俺真面目に思うわ。これからのこと考えたら、むちゃくちゃ重い」
「そうやなあ、否定はでけへんなあ。私かって父親がもしおらんかったら、楽やろなあって思うことあるもん。そやけど、逃げられへんしなあ」
「そうやねん」
「つらいかしらんけど、私やったら釣書を出すと思う。Yちゃんの存在を改めて直視せなあかんことは、お父さんにとってはショックやと思う。そやけどなあ、家族やんか。年齢も年齢やから、乗り越えるん大変やろうけれど、いつかは向き合わないかんことやし。それにお父さんのショックのことばっかり考えてたら、いつまでたってもあんたが幸せになられへんで」
「・・・うーん・・・」
「もしかしたら、相手さんが案外気にしはらへんかもしれへん。女の子があんたのこと、気に入ってくれるかもしれへん。そんなこと、進んでみんと、わからへんやん。見合いやからまず『家族のつながり』をクリアせんとあかんけど、そこからは2人の問題やん。今あんた、『木を見て森を見ず』状態に陥ってるで」
「うん、そうやねんけどな」

 自分の幸せと家族の存在を、自分の中でどうバランスをとっていくか。Tちゃんの心の中ではいつも堂々巡りとなっているのだ。

 彼は、家族全員が丸く収まるような解決方法を模索しているんだと思う。でも結局、この世の中は、誰かの犠牲のうえに成り立っているんじゃないかと、私は思うのだ。
 私だって、父を家に連れ帰れば、私自身の生活が立ちゆかなくなるという理由で、父を施設に入れているんだもの。
 でもそう割り切っているつもりでも、気が付けば私も堂々巡りの中に立っていることが、よくある。

 Tちゃんにしたって、誰かが「犠牲」にならなければ、幸せにはなれない。犠牲になった人も、また他の誰かを犠牲にして幸せをつかむのだから。
 その思いと向き合うことはつらい。だけど向き合わなければ、堂々巡りからは抜けられない。

 彼が見合いをするかしないか、間に入ってくれる女性に釣書を渡すか渡さないかを決めるのは、彼自身だ。私には手出しができない。堂々巡りから彼が一歩踏み出すのは、いつのことだろう。
 彼がどんな結論を下すのか、またいつか聞いてみようと思っている。