「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/07/23(Tue)
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第54巻 「適切と不適切」
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 年齢を重ねるごとに、「言葉」の難しさにぶちあたることが多くなる。

 その難しさを初めて実感したのが、第15巻「悪循環な人たち」に登場したTちゃんのお母さん(私の従姉にあたる女性)の、苦悩に満ちたささやきを聞いてからである。

 従姉といっても、年齢は私のちょうど2回り上(つまり24歳差)で、親子ほどの年齢差があった。電車で2駅ほどしか離れていない場所に住んでいたので、まだ祖母が元気な頃は、Tちゃん兄弟を連れてよく我が家に遊びに来ていた。
 神経が細やかで、心配性で、歌謡曲が大好きなところは、私の母にそっくりだった。私の母と10歳ほどしか離れていないこともあり、彼女は私の母をとても慕っていたし、私のこともとても可愛がってくれていた。
 母が入院している時には、彼女はよく病院に顔を出してくれた。私がいつまでも結婚しないことを案じて、何度も見合いをするよう勧めてくれたのも彼女だった。

 彼女はとにかく前向きで、多趣味で、友達も多い人だった。でももともと、あまり体が丈夫な方ではなかった。
 その従姉が入院したという連絡がTちゃんから入ったのは、今から4年前の12月半ば過ぎのことだった。年末休暇に入ってすぐ、私は彼女の見舞いに行った。

 自分が病気だという訳ではないのに、病院の建物に入る前に感じる、あの憂鬱感は何なんだろう。体がずしんと重くなるという感じが、私はする。だから病院の帰りは、私は心底疲れ、気が付くと手にケーキや大福餅を持っていたりする。
 見舞いに行く立場の私がこうなのである。入院中の人たちがどれほど神経質になっているか、心がとんがった状態になっているか、想像に難くない。

 当時はまだ大部屋に入っていて、持続点滴をしてはいたけれど、彼女は比較的元気そうに見えた。でもその数週間後の手術で、もう手の施しようがないくらいガンが広がっていることが判明した。だから本当は、当時もかなりしんどかったのだと思う。

 隠し事をされるのが大嫌いだった彼女は、医者から自分が膵臓ガンであることを聞き出していた。彼女の口からそれを最初に聞いたのが、私だった。医者からその話を彼女が聞いた直後に、見舞いに行ったからだ。
 その後Tちゃんから聞いた話に寄れば、彼女は自分の家族に、ガンであることを自分からは話さなかったそうである。

「私、ガンやねんて」
「・・・えっ? なんでそんなことがわかんの?」
「お医者さんに聞いたんや。なかなかしゃべってくれはらへんかったけどな」
「・・・」
「そやけどな、私負けへんで。あんたのお母さんよりも長生きするで」

 ひそひそ声でこんな会話をしたことを覚えている。それから彼女は、こうも言ったのだ。
「そやけどなあ、みんな私にがんばれ、がんばれって言うんやけど、もう私、何をがんばったらええんか、わからへんわ」

 彼女は翌年の秋、この世を去った。奇しくも彼女が亡くなった年齢は、私の母が亡くなった年齢(59歳)と同じだった。だけど、「ああ、おねえちゃんは死ぬんだ」と私が実感したのは、この言葉を聞いた時だった。

 彼女のもとにはそれまでにも、たくさんの友人や親戚達が見舞いに訪れていた。人前では常に元気印の彼女は、あくまで退院してからのことを話していた。そんな彼女に、見舞客は決まってこう言葉をかけたようだ。
「がんばりや」「がんばって、はよ病気を治しや」と。

 明るく振る舞ってはいたけれど、従姉はつらかったのだと思う。もしかしたら従姉は、このセリフを聞く度に、自分の苦しみがわかってもらえないつらさに、あえいでいたのかもしれない。
 従姉が漏らした、「何をがんばったらよいか、わからない」という苦悩の言葉。
 これ以降、私は「がんばれ」という言葉を人に使うのが怖くなった。そして「がんばれ」という言葉の難しさを心底実感した。

 それ以前から、「がんばれ」という言葉にしっくりこないものを感じていた。肉親や親戚が見せる切ないがんばりに対して、ただ単純に「がんばれ」と声をかけることに、ためらいを感じていた。でも、自分の気持ちは伝えたい。そんな時、「がんばれ」に代わる言葉が、なかなか見つからないのだ。
「おだいじに」ではしっくりこない。
「早く治して、遊びに行こう」でもない。そんなことは、言われなくても病気の本人が一番感じていることだ。

 この「がんばる」という言葉は、たとえどんなにつらくても苦しくても、弱音を吐いたり泣いたりすることは恥ずかしいことである、と言われていた頃から、とても便利な言葉として使われてきたんだろうな。

 医療が飛躍的に進歩し、昔は不治の病と見なされていた病気が完治する時代になった。喜ばしいことだけれど、「治るかもしれない」という可能性が高くなったことによる、新たな苦しみも生まれた。
 昔よりも病気は多様化している。治療法もまた多様化し進歩し続けている。それなのに、その「新たな苦しみ」に対する言葉は多様化していない。旧態依然のままである。
 日本人ってもしかしたら、「励ます」という行為がとても苦手なのかもしれない。

 最近、昔のドラマや時代劇などの再放送を見ていると、「番組内で『不適切な表現』がされているけれども、原作者の意図やオリジナリティを考慮して、当時のまま放送しているのであしからず」という意味合いの断りの文書が、必ずといっていいほど映し出される。

 ネット上には、放送禁止用語や差別用語の数々をリストアップしているサイトがある。それを読んでいると、使用法によって適切・不適切が分かれる言葉や、普段何気なく使っている言葉の中にも、「不適切」とみなされている言葉がたくさんあるのに驚かされる。

 言葉というものは、生き物である。今までも時代の流れの中で、どんどん変化してきていた。消えた言葉だってあるし、新しく生まれた言葉もある。それは現在だってそうだ。
 でも問題なのは、「適切・不適切」の基準や根拠を知るためには、情報を得る私たちの側からアプローチしなければならないという点である。

 言葉が生まれたのには、理由がある。それと同様に、言葉が消えるということにも理由があるはずだ。
 現在は「不適切」とされている言葉も、以前の時代の中では確かに生きていた。それを、理由も明らかにせず「不適切」とみなしたのでは、その時代が存在したことを認めず、その頃に生きた人を軽んじることにもつながるのではないだろうか。

 「不適切」という理由だけで、言葉を消滅させると言うことは、自分たちが使っている言葉に誇りを持っていないのと同じだと、私は思う。
 過去に「不適切な言葉」が「適切な言葉」として存在したことは、恥じることではないし、抹殺するべきではない。
 歴史の積み重ねの上に、今私たちは立っているのだから。

 時や場所、時代によっても、適切な言葉・不適切な言葉というものは変化していく。
 神経をとがらせて「不適切な言葉」を排除するよりも大事なことは、「なぜ不適切なのか」を考えながら、言葉を紡ぐということではないだろうか。それが、他人へのいたわりにつながるのではないだろうか。
 不適切な言葉を排除し、言い換えるだけでは、言葉のしなやかな変化はあり得ない。そして、言葉の衰退が始まる。
 「適切な言葉」と「不適切な言葉」は、表裏一体なのだ。

 私の従姉にとっては、「がんばる」という言葉は、当時は「不適切な言葉」だった。だけど彼女がガンではなく、もっと元気で、退院のめどが立っているような状態だったら、「適切な言葉」だったかもしれないのだ。
 でも当時、「がんばれ」という言葉が彼女にとって「不適切な言葉」だとは、彼女からは見舞客に対して言い出せなかった。そんな心遣いを見せる見舞客もいなかった。

 誰もが、「がんばれ」という言葉を「適切な言葉」として受け取るとは限らない。
 だけどこの言葉が、「不適切な言葉」としてみなされることはない。何か矛盾を感じるのは、私だけだろうか。

 あの時の従姉に対して、私はどう応えればよかったのか、何が「適切」だったのか。
 彼女が亡くなってから3年経った今も、私は時々考えている。