「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/07/16(Tue)
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第53巻 「偶然とタイミング」
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 この間の日曜日の朝、「いつ見ても波瀾万丈」というテレビ番組をぼんやり見ていた。
 この番組は、毎週各界の有名人がゲストとして登場し、そのゲストがそれまで歩んできた人生を、再現フィルム(少々オーバーなデフォルメがされている)を見ながら振り返るという番組である。
 この日のゲストは、バイオリニストの佐藤陽子さんだった。

 彼女の人生を振り返るときに欠かせない人が、版画家の池田満寿夫さんである。
 池田さんと佐藤さんは、諸般の事情で入籍という形は取れなかったけれど、夫婦として世間に認知された理想的なカップルだった。公私ともに支え合って生きておられた。テレビにもよく出演されていたが、お二人は本当に仲が良かった。
 池田さんはご病気で、既に5年ほど前に亡くなられている。

 池田さんも生前、この番組に出演されたことがあるらしい。その時のVTRも流されていた。
 池田さんとの出会いから別れまで、佐藤さんは時折涙を浮かべながら、いろいろなことを話されていた。お二人が本当に心の深い部分で理解し合っていたのだということが、よく伝わってきた。

 池田さんが亡くなったのは、本当に突然で、あっけないものだったそうである。何しろ亡くなられた夜、お仕事から帰られた佐藤さんを、池田さんは玄関で出迎えられたのだから。
 その後、突然昏倒し、「あっ」という言葉を残して、息を引き取られたのだそうだ。
 佐藤さんは、「『あっ』って叫んだ時、彼は生きることをあきらめたんですよ、きっと」と、淡々とおっしゃっておられた。

 池田さんは亡くなる半年ほど前、脳梗塞で倒れられた。でも症状はとても軽く、すぐ様態が落ち着いてしまったので、2週間ほどで強引に退院してしまわれた。
 そして、医師から「ゆっくり休みなさい」と言われていたにもかかわらず、病気になる前と同じペースで仕事を再開された。山のようなお仕事が、池田さんを待っていたからだ。

 これらのお話の中で、佐藤さんはこうしみじみとおっしゃった。
 今思えば、池田さんの脳梗塞がもっと重くて、ばたんと倒れるような症状だったら、もっと違った結果になっていたのではないか。
 池田さんが亡くなった日に地震があったため、マンションの外にたまたま出ておられた管理人さんと出会い、しばらく立ち話をしてから部屋に帰ったのだけれど、今思えばその地震が起きていなければ、管理人さんとも会わなかっただろうし、もっと早く家に戻れていて、もっと違った結果になっていたのではないか、と。

 佐藤さんのつぶやきは、「たら、れば」に近い世界ではある。言ってみても、考えてみても仕方のないことだと、佐藤さん自身もよくわかっておられるのだと思う。
 けれど、5年以上経った今でも、佐藤さんは池田さんの死について考え続けておられるのだ。そして同時に、「タイミング」の難しさというものについて、冷静に考えておられる。

 考えてみれば、人って、偶然とタイミングの繰り返しの積み重ねの中で、生きているんだなあ。

 私がこのメルマガを発行することを思いついたのは、会社をやめて気持ちが穏やかになったからである。何かを書いてみたいという思いが高まったからだ。
 でも会社をやめていなければ、メルマガを発行しようなどとはきっと思わなかっただろう。顔も名前も知らないけれど、私のつたない文章を読んでくださっている、たくさんの定期購読者の方々とも出会うことはなかった。

 それに、定期購読者の方々が、どういうふうにして私が発行しているメルマガを知ってくださり、定期購読のボタンを押してくださったのか、読んでくださっている場所も立場もいきさつも、何もかも全て違うのだ。
 皆さんと私とのタイミングが合致した、本当に偶然の産物なのだ。

 会社をやめたのも、たまたま上司が背任行為をして、それを私が社長に報告したことがきっかけだった。
 でも上司が背任行為をしていなければ、今頃私はどうしていただろう。
 上司の背任行為を社長に報告せずに黙認していたら、今頃私はどうしていただろう。

 生まれた瞬間から出会う、偶然とタイミングの積み重ねは、遭遇する出来事、出会う人、自分の居場所、何から何まで変えていくのである。
 もっと突き詰めて考えれば、父と母が結婚していなければ、私という細胞もこの世にはなかったのだ。

 私と両親との関わり合いもそうである。
 頭が痛いと寝込んでいた父。気分が悪くなったのが通勤途中ではなくトラック運転中だったら、私たち家族はどうなっていたのだろう。他の家族の運命をも変えていたかもしれない。

 父に付き添って、大学病院に一緒に行ったのは私なのだが、それはたまたま、学校が休みだったからだ。
 休みでなかったら、父があっという間にストレッチャーに乗せられて、どこかへ運ばれていくことも見ることはなかった。
 何の説明もなしに「早くお母さんを呼びなさい」と医師に言われることも、「母は今、仕事中です(仕事場には電話をしないように言われていた)」と正直に答えた私が、「お父さんは緊急手術をしないといけないんだよ!」と医師から叱りとばされることもなかった。

 父の手術が失敗していたら、成功していても寝たきりになってしまっていたら、左半身ではなく右半身が麻痺していたら、私たち家族はどうなっていただろう。

 母が「胸にしこりがある」と言った時点で、強引に病院に連れて行っていたら、母にガンだとはっきり告知していたら、母がガンと闘いながら今も生きていたら、母と私はどうなっていただろう。

 少なくとも、今の私とは違う私が、存在していただろう。その私を、今の私の目で見たとき、いったいどんなふうに感じるのだろう。

 どんなに世の中が進歩しても、偶然を予知することは不可能だ。だけど、偶然を必然に変えることは可能だと思う。そしてそれもまた、偶然とタイミングである。
 なぜなら、人には「価値観の変化」というものが存在するから。

 佐藤さんは、偶然を必然に変えられたのではないか、変えることができていたら、池田さんが死ぬことはなかったのではないかと自問自答しておられるのではないかと、私は感じた。

 たまに友達から、「もし昔に戻れるとしたら、いつ頃に戻りたい?」と聞かれることがあるのだが、私はいつも答えに窮してしまう。どの時代に戻ったとしても、きっと何も変わらないだろうなって思うからだ。一瞬をリセットして、全てを変えられるわけではない。偶然とタイミングの組み合わせは、数限りなくある。
 もし戻れるとするなら、私は私という人間が存在する前に戻って、全く違う偶然とタイミングに司られた人生を送ってみたい。それまでの記憶は、当然全てリセットして。

 司会者から「池田さんから受けた、一番大きなものは何ですか」と聞かれた佐藤さんは、「月並みですが、愛ですね。そして、感謝する心です」とはっきり答えられた。その姿は、とても凛としていた。ああ、何て大人の女性なんだろうって、感動してしまった。
 サッチーや元彌ママとは違い、彼女は本当の大人の女性だ。

 司会者からのその日最後の質問は、「佐藤さん自身の今後の夢は何ですか」というものだった。
 彼女はそれに対して、音楽家としてこれからもバイオリンを弾き続け、そして池田さんのパートナーとして、彼が残した思いや作品を守り、いろいろな人に見てもらえるような機会を作っていきたい、という意味合いのことをおっしゃられた。

 パートナーが突然亡くなってしまったという偶然。でもその偶然を必然に変えて、自分を保ちながら前向きに生きておられる姿。こんな大人な女性に、私もなれればいいなあと思った。
 久々に感動し、偶然とタイミングについて考えさせられたひとときだった。