「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第46巻 ★★30代★★>
発行日:'02/05/28(Tue)


 今、80年代のヒット曲ばかりを集めたCDが、たくさん発売されている。収録曲は、私にとっては懐かしい曲ばかりである。なぜなら、80年代は私のような30代が中高校生だった頃だからだ。
 こういうCDを企画している中心人物たちは、たぶん私と同世代のはずだ。

 会社でも、20代の若い社員たちを実質引っ張っているのは、30代の中堅社員たち。日々子育てに頑張っているのは、30代の女性が多い。
 そう考えると、現在の日本を引っ張っているのは、30代だということになる。

 月に1〜2度、高校時代のクラスメートで、現在は東京に住んでいるMちゃんから電話がかかってくる。彼女は主婦であり、お母さんでもあり、月刊の4コマ漫画雑誌でレギュラーを持っている、プロの漫画家でもある。
 第11巻「私が会社をやめたわけ・しあわせだったんだ」の文中に登場した、「『Y氏の家に、襲撃や!』と憤ってくれていた人」とは、実は彼女のことである。

 電話がかかってくる時期は、月の半ば頃。連載漫画の原稿締切前と決まっている。次号に掲載予定のネタを私に話して聞かせ、私の反応をうかがい、感想を求めてくる。
 なぜ彼女が私にこういう「大役」を任せてくれるのか、一度聞いたことがある。

「それは何て言っても、今は大体家におるからやん。それに、他の人が電話に出るっていうことがないから、かけやすいねん」
「ふーん」
「それにな、私の知り合いとか友達の中で、あんたが一番客観的に話してくれるからや。感覚が普通やねん」
「ありがとう」
「皮肉屋さんってことではなくて、指摘屋さんみたいなとこもあるし。視点が面白い」
「・・・おおきに」

 Mちゃんは、人と話をすることで、自分の頭の中を整理していくタイプらしい。とにかく話題が豊富で、飛び出す絵本のような人である。話は発展して、本筋からどんどんそれていく。
 だから毎回、彼女とはかなり長時間しゃべっている。

 今月もいつも通り、電話がかかってきた。いつも通り、次のネタの感想を求められた。そしていつも通り、話は本筋からそれだした。
 Mちゃんは専業主婦となった今も、好奇心旺盛な30代である。肝心なことは抜けているけれど、しょうもないことだけ頭に詰まっている私から、彼女はいろいろな情報を聞き出そうとする。

「なあなあ、『DTP』って言葉、知ってる?」
「ああ、最近、はやりやな」
「知り合いが、マックDTPの教室に行き始めたんやけど、私、『DTP』って言葉すら知らんかってん。そしたら、『まうす』は?」
「え、『まうす』? パソコンについてる?」
「ちゃうちゃう。マイクロソフトなんとかっていう、資格らしいんやけど」
「あ〜、『MOUS』な。本屋さんに行ったら、ようけ問題集置いてあるで」
「なあ、こういう資格って、転職するような時には、習いに行ったりして取っとかんといかんもんなん?」
「うーん、私の個人的な意見やけど、取ったからいうて、就職に有利とは言いきれへんと思うで。履歴書に書いたら、採用する側は『パソコンに関して初心者ではないな』って判断する目安になるくらいのもんやと思うわ。英検2級取ったからって、英語を使う会社に就職できるってわけでもないやん。それと一緒や」
「なるほどなあ。最近本屋さんに行っても、(子供のために)まず絵本のコーナーに行くやろ。ばりばりのOLやったのに、こういう話題についていけんようになってしもうたわ。やっぱり意識しとかんと、感覚が衰えるなあ」

 一度話が本筋からそれてしまうと、「後は野となれ山となれ」である。
 彼女には、長年派遣で仕事をしている友人がいる。

「最近30代の女性が、会社で肩をたたかれること、ものすごう多いらしいな」
「そうやなあ、使う方は、若い子が使いやすいやろうから」
「だから今、派遣で仕事をしてる人が、すごい増えてるって、友達が言うてた。それに、習い事してるOLが、むっちゃ多いらしいわ。特に30代のOL」
「そうやなあ。不景気やし、やりたいことを見つけたい、何か身につけなあかんっていう気持ちで、行かはるんやろな。私もそんな時期あったわ」
「そやけど私、やりたいことを見つけたいっていう理由で習い事に行くより、もっと大事なことがあるんとちゃうかなって思うわ。なんか習い事に行くっていうのが、はやりみたいな感じになってるやんか。勉強することよりも、お金を払って友達を見つけに行く、みたいな感じに」
「そうかもしれへんな。習い事に行っても最後まで続けるのは、その中の1部。その習い事を仕事に生かす人は、またその中の1部。10年後にまだその仕事を続けている人は、またその中の一握り。結局ほとんどの人が、習い事教室に乗せられてるだけかもしれへん」
「やりたいことを、習い事教室で見つけられる人なんて、ほんのわずかやっていうことやなあ」

 私たちの話は、際限なくそれていく。
 彼女の子供は、この春から幼稚園に通い始めた。その幼稚園の通園バス待合い所で、毎日決まった顔ぶれのお母さんたちと顔を合わせるらしい。

「Aさんっていう家の子供、1週間の内で暇なんは、1日だけやねんで。後は全部、習い事の予定が詰まってるらしいわ」
「へー、子供も忙しいんやなあ。そんなに通とったら、かなりお金がかかるんとちゃう?」
「そうやねん。幼稚園とか習い事の費用とか、結構かかるで。それにAさんとこ、もう1人小学生の子供がおんねん。私の頭の中でざっと計算して、1ヶ月で10万くらいを子供につぎこんでると思うわ」
「10万! おっとろしいなあ」
「習い事とかに子供を熱心に通わしたはるお母さんは、『小さい子供は何もわからへんから、いろいろなことを経験させて、子供がやりたいことを親が探してあげる』って言うねん」
「ふーん・・・」
「でもな、そんなん、子供が勝手に見つけるもんと違うの? 例えば、子供が絵を描くのが好きらしいっていう片鱗を見せて、それが結構いけてると親から見て感じた時、初めて親が手をさしのべてやるっていう方が、私は正しいと思うんやけど」

 この言葉の後、彼女は突然こう言ったのだ。

「『やりたいことをさがしてやりたい』って子供を習い事に通わせる女性って、自分のやりたいことを子供に託してるだけやなあ。『やりたいことを見つけたい』って習い事に通う女性と、根っこは同じやねんな。両方とも、未だに自分の足で立ってへんのかもしれへん」

 彼女との電話を終えた私は、30代って何だろうって考え込んでしまった。
 高い理想と希望を持って、政治家を志したりベンチャー企業を立ち上げたりして、世の中に刺激を与えている30代は多い。
 けれど、世間を震撼とさせる事件を次々に起こしているのも、30代が多い。Mちゃんが指摘するように、未だに自分の足で立っていない30代も、また多いのだ。

 20代前半の頃の私にとっての30代とは、すべてにおいて自分とは遙かに遠い年代だった。数年後には自分も30代になるという事実すら、想像できなかった。30代の人たちを「おじさん、おばさん」と陰で呼び、ひとつ年齢を重ねるごとに「あー、私もまたひとつ、年とってしもうた」と、友人たちと言い合っていた。
 そんな私が、「私、もう年やねん」と20代の人たちの口から聞くと、「あんたが年やったら、私は何やねんな!」と叫びたくなってしまう。と同時に、20代だった頃の私の愚かさが、今頃身にしみるのだ。

 30代後半にさしかかった私は、40代という年代が射程圏内に入ってきた。だけど今、20代から見た30代ぐらいの距離感を、40代には感じないのだ。歴然と違うのだ。
 この距離感の違いは、いったい何なんだろう。私の中で、明確な答えは出ない。

 ただ思うのは、この「距離感の違い」は、30代として生きている間に認識しておくべきものなのではないだろうかということだ。30代の「覚悟」として。
 だけど、この「距離感の違い」を認識できない、あるいは認識することを避けている30代も、確かに存在するようなのである。

 30代という年代は、いつまでも「若さ」を武器に生きてはいけないという現実にぶつかる。それに伴い、それぞれが持つ本当の実力を世間から試されることになる。
 これからの生き方に直結する世代、それが30代なのではないだろうか。どういった中年になり、どういった老人になるかも、もしかしたら30代をどう生きるかで、大きく変わってくるのではないかと、私は思うのだ。
 もしかしたら、世の中を変える力にさえなるくらいの。

 30代は、「何がしたいか」よりも、「何をすべきか」を探す年代なのかもしれない。
 でも本当の答えは、30代を過ぎなければわからない。