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<ひーエッセイ 第45巻 ★★私はひとりっ子★★>
発行日:'02/05/21(Tue)


 私は「群れる」という行為が、幼い頃から好きではなかった。

 学生時代、クラス対抗・男女別の球技大会がよく開催された。バスケットボールやポートボール、バレーボールなどが種目となることが多かった。だけど、闘志向き出しでボールを奪い合う友人たちの姿を見るだけで、運動神経が欠落している私は、一歩後退してしまっていた。
 こんな情けない私だったけれど、球技大会自体は嫌いではなかった。嫌だったのは、試合に負けた時である。

 負け試合が終わると、試合の中心人物となった面々がひとかたまりになる。彼女たちは試合後の興奮が治まらないまま、自分たちが負けたのは相手チームのせいだと叫び始める。相手チームがそばにいようと、おかまいなしである。

「あの子がつきとばしたから、あかんかったんや。あんなん、反則や。なんで審判は、反則を取らへんかったんよ!」
「あの子が私からボールをひったくりやってんで。信じられへんわ。あれがなかったら、勝っとったんやで!」

 私のような「運動神経欠落少女」がチーム内にいた時には、さらに悲惨である。彼女は自分を責め始め、奇妙なお涙頂戴合戦が展開される。

「ごめんな、私が足を引っ張ったから、この試合負けてしもうたんや(顔は既に反べそ状態)」
「ううん、そんなことないで。むちゃくちゃ頑張ってたやん。気にすることないって。負けたんは、あんたのせいと違う。(相手チームの)あの子が反則したからやで」
「ごめんな・・・・(号泣)」
「泣かんときーやー・・・(励ましている子も泣きだす)」

 群れて、相手批判をして、自分たちの不運を嘆く。私はその様子を、離れた場所でぼんやり見ていた記憶がある。

 社会人になってからも、「群れる」ことは苦手である。
 団体旅行をしても、自分の興味のある方へつい足が向いてしまうので、「協調性の輪」を乱すことが多い。自分から進んで、会社の同僚とアフター5や休日を一緒に過ごす時間を持つことなど、皆無だった。同僚と友達になろうと力まないし、人の噂話にも、さほど興味がわかない。
 だから、特に女子社員の間では私は扱いにくい存在だったようで、「何を考えているかわからない」と陰で言われていたようである。

 最近「ひとりっ子、大好き」という本を読んだ。ひとりっ子の性格傾向や男女別ひとりっ子の違い、ひとりっ子の育て方やひとりっ子の結婚について、著者独自の視点で書かれていて、大変おもしろく読んだ。
 この本には、群れるのが苦手であるとか、協調性がないとか、他人のことにさほど興味がないといった性格が、ひとりっ子的性格の典型だと、はっきりと書かれてあった。

 またこの本は、ひとりっ子の時代が訪れたと高らかに宣言している。
「わがままでマイペース」だが、「自己主張がはっきりしている」ひとりっ子。
「おとなしい」が、「冷静な」ひとりっ子。
「凝り性だが飽きっぽい」が、「柔軟性がある」ひとりっ子。
「協調性がない」が「個性派」ひとりっ子。
 著者は、ひとりっ子の欠点であると指摘されてきた個性が、今の時代に求められていると述べておられるのである。

 私はひとりっ子である。ひとりっ子以外の何者でもないと、この本を読んで改めて実感した。

 この本にも書かれているが、「ひとりっ子は、わがままである」とよく言われる。私も例外ではない。
 ひとりっ子はわがままだ、と言う人たちの理屈は、こうである。「兄妹がいる子供たちは、我慢することを知っているからわがままではない、だから子供には兄妹が必要なのだ」。
 でも私がひとりっ子であるということは、私自身のせいではない。あくまで親の都合である。

 幼い頃の私は、自分はわがままではないという、強烈な自負があった。
 母と約束した帰宅時間に1分でも遅れれば、家に入れてもらえなかったし、母の言いつけに背けば押入に放り込まれた。
 私の記憶にはないけれど、お仕置きとして足に灸をすえられたこともある。泣き叫んで暴れまくる私を、母と祖母が押さえつけ、足の親指の辺りにすえていたそうだ。私は未だに、当時現場にいた親戚からこの話を聞かされる。
「『かわいそうやから、そんなんやめとき』て言うても、『ここに灸をすえたら、おとなしくなるんや』って、ものすごい剣幕で怒られたわ」。
 こんなに厳しい目に遭っているのに、なんで私がわがままだと言われなければならないのかと。

 今考えれば、厳しいしつけをされていることと、わがままではないということは、別次元の話しなのだが、当時はそう思っていた。

 集団生活を始めるまで、私はたぶん自分が「ひとりっ子」であるということを、全く認識していなかったと思う。物心が付いたときから回りには父と母、そして祖母しかいなかったのだから。
 私は幼い頃からひとり遊びが好きで、友達も少なかった。家に友達を招待したり、友達の家で遊ぶこともなかった。母がとても嫌がっていたから。

 そんなわけで、私がひとりっ子であることを知ったクラスメートから投げかけられた質問の内容に、私はカルチャーショックを受けたものだった。それまで考えたこともなかったことだった。
「なあなあ、お兄ちゃんかお姉ちゃん、弟か妹、ほしいんは、どれ?」

 この質問を受けるたびに、私は「かっこよくて友達に自慢できるような、お兄ちゃんがほしい」と答えていたような記憶がある。だけど本心は、お兄ちゃんがほしいなどと思ってはいなかった。
 自分の家にもしお兄ちゃんが本当にいたら、大変なことになるんじゃないかと、幼心に感じていたのかもしれない。

 今思えば、母の教育方針は、「母の命令に絶対服従」することであった。そのことによって、友達や学校との間で私がぎくしゃくしようとも、おかまいなしだった。
 我が家の内情を知っている人たちは、私のことを「母の作品」と呼ぶ。そして口をそろえて、母にこう言っていた。

「この子、よう、ぐれんと(ぐれないで)育ったもんやなあ。普通はあんたみたいな育て方してたら、家出したり悪い仲間に入ったりして、不良になってまうで」。

 子供である前に、子供が親の作品となってしまう。特に母親と娘ひとりっ子は、擬似姉妹状態に陥りやすい。「ひとりっ子、大好き」にも書かれているが、そうする方が親は楽だからである。
 だけどもし、私が男性だったら、いったいどんな人生を送っていただろうか。母はどのようにして、私を育てていただろうか。幼い頃の私の危惧は、それほど間違ってはいなかったと思う。

 私は、両親にとっての初めての子供としてこの世に生まれ、そのままひとりっ子として大きくなった。甥っ子や姪っ子という間柄の人を持つことはないし、「叔母さん」と言われることもない。独身のまま生涯を終えれば、家自体も消滅してしまう。
 ひとりっ子は、その家系での最後の人間になる可能性だってあるのである。

 父は幼い私に、「お前は結婚する時、養子をもらわんとあかんぞ」とよく言っていた。普段はちゃらんぽらんな生き方をしているくせに、こういう所だけ妙にきっちりしているのが、父らしい所である。
 この言葉を聞いた母は、「何言うてんの。養子さんをもらおうと思うたら、ものすごいお金がかかるんやで。お金積まんかったら、こんな家に、誰が来てくれるかいな」と言っていた。
 ひとりっ子の人生というものは、兄妹がいる人たちに比べて、より両親の生き方や考え方に振り回されてしまいがちだ。

 ひとりっ子には、「決断」を迫られる時が実に多い。私自身も、母がガンで倒れた時、母の葬儀で喪主を務めた時、家の建て替えが必要になった時、母の死を父に伝える時など、実に多くの「決断」場面に遭遇した。
 決断までの過程の中では、いろいろな人が助けてくれる。だけど、いざ決断するのは私である。ひとりっ子たるもの、こういう時に頼れるのは自分だけなのだ。正直言って、つらい時もあったし、逃げ出したくなった時もあった。
 だけど同時に、私自身が家の舵取りをしているという実感は、快感である。この思いは多分、ひとりっ子でなければ味わえないものだ。

 こんな風に思えるようになったのは、母が亡くなってからのことだ。

「兄妹がいたらよかったのにね。そしたら、助け合っていけるのにね」と言ってくれた人もいた。
 だけど、兄妹がいた方が寂しくないし助け合っていけるという目線は、親からの目線である。ひとりっ子で育った子供は、ひとりっ子であるという環境に順応して育っていくのだ。
 それに幼い頃はまだしも、大人になってそれぞれが独立したら、血のつながった兄妹といえども、立場が変わる。心の支えにはなるかもしれないけれど、必ずしも助け合っていける間柄でいられるとは限らないと、私は思うのだ。
 兄妹がいるとかいないとかで、損得は決められない。

 ひとりっ子として生きていくことは、確かにリスクも多い。将来への不安も、より大きい。それでも私は、ひとりっ子として育ってきてよかったと思うのだ。

 自分の人生は、自分のものだ。それが実感できる「ひとりっ子」は、結構おもしろい。


*「ひとりっ子、大好き」は、著者・畑田国男氏、ISBN4-07-216177-2で、平成7年に主婦の友社から初版発行されています。