「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第39巻 ★★思い出に変わるならば★★>
発行日:'02/04/09(Tue)


 「Good-Day〜思い出に変わるならば〜」という歌がある。シンガーソングライターの岡村孝子さんが作られた、10年くらい前の作品だ。
 彼女は今から20年前に、「あみん」というグループからデビューし、「待つわ」という曲で一時代を築いた人である。

 孝子さんの歌の世界にはまって以来、彼女が発表した曲は全て耳にした。
 でも実を言うと、初めて聴いた当初は、この歌をあまり好きになれなかった。というよりも、私自身の心に響いてこなかったと言う方が、正しいかもしれない。
 その気持ちに変化が生じたのは、母が亡くなる前後のことだった。

 最後のページを涙で綴った
 駆け抜ける季節にピリオドつけてる
 争った日々も微笑んだことも
 もう二度と帰ることのない時間(とき)の中
 思い出に変わるならば
 さよならも 越えられるね
 Good-Day 今日の風に吹かれ
 生まれたての私になる
 (岡村孝子さん作詞 「Good-Day〜思い出に変わるならば〜」より

 私の母は、ガンで亡くなった。ちょうど1年の闘病生活だったのだが、母は最後まで本当に頑張っていた。だけどつらそうだった。私も会社帰りに、ほぼ毎日病院に通い、母の悲しみを一身に背負っていた。母も私も、心身共に疲れ切っていた。
 どうせ助からないのに、こんなに苦しまなければならないのなら、なるべく早めに母に最期を迎えさせてやりたいという思いを、一時真剣に私は抱いていた。

 そういう気持ちを持っていた時期に、たまたまこの曲を聴いた。興味がなかった曲なのに、なぜか泣けて仕方がなかった。

 母の四十九日法要を済ませた後の半年間くらい、感情の起伏が激しい日々が続いた。母の夢もちょくちょく見た。それは決まって、母が家に戻ってくるという夢だった。
 母が亡くなったということが理解でき、思い出に変わり始めたのは、一周忌を迎えた頃くらいだった。

 母が亡くなった当時、入院中だった父の心の状態が不安定だったため、私は母が亡くなったことを父に伝えることができなかった(詳細は、第24巻「告白」をお読み下さい)。
 そのまま告白するきっかけがつかめないまま、母が亡くなって8年という時間が経過した。

 今年に入って、現在父が入院している病院のケースワーカーさんに、母のことを告白したらどうかとアドバイスされた。私はずいぶん悩んだ。
 本当のことを告白することが、父にとって果たしていいことなのだろうか。真実を知ることで、父が急変したりはしないだろうか。
 さんざん悩んだ挙げ句、母が生前、とても頼りにしていた知り合いのおばさんに相談してみることを思いついた。

 そのおばさんは、私でさえ知らないような母の悩みや苦しみや秘密も、全て母から聞いていた。父とのことも、当然知っていた。母の本心をよくわかってくれていた、数少ない人だったのだ。
 そのおばさんに電話をし、私の悩みをうち明けてみた。最後まで私の言葉を静かに聞いてくれたおばさんは、明快にこう答えてくれたのだ。

「お父さんに、もう言うてもええんとちゃうか。もうずいぶん長いこと、お母さんの顔を見たはらへんから、ずいぶん記憶が薄らいできてるんとちがう? それにお母さんやったら、もうとうに(とっくに)言うてたやろなあ。あんたやから、黙ってたんやで」。

 そしてこうもおっしゃった。
「どんな形であれ、縁があって夫婦になったんやから、お父さんもお母さんのことで、泣いてもらってもええんとちゃうか」と。
 この言葉が、私のためらいを払拭する大きなきっかけとなった。

 その後、再びケースワーカーさんと向かい合った。きっかけをつかんだものの、まだ迷路を抜け切れていない私の様子を見て、ケースワーカーさんはこう言った。
「あなたは今、遠くのことばかりを考えて、今すぐにしなければならない目の前にあることを、何もしていない」と。

 私はこの言葉を聞いた瞬間に、父に本当のことを伝えようと決めたのだ。

 そして先週半ば、入所申込をしていた老健施設から、今週末には入所できるという連絡が入ってきた。父への告白のチャンス到来である。

 最近の父は、時間の感覚がかなり衰えている。今の病院にもう長くはいられないということは理解しているので、次にどこへ行くことになるのかが、気になって仕方がないのだ。
 私が「次に行く所を、近々見に行くから」と言えば、父の頭の中では「近々」が「今日、明日」という言葉に変換され、なおかつ、自分も行くものと思い込む。そして「もうすぐ新しい施設に移りまんねん。お世話になりました」と、いろいろな人に挨拶して回っている。
「違う、まだ私が見に行くだけや。そんなん、今日言うて明日移れるんやったら、誰も苦労せえへんがな。順番や」と言うと、「そうか、わし、あほやな」と一瞬反省する。でもしばらくすると、また同じことを繰り返しているのだ。

 父への告白を前に、ケースワーカーさんは作戦を立ててくれた。それは、「新しい施設に移って、家に帰るための準備をいよいよ始めるんだけど、その前に知っておいてほしいことがある」という風に、あくまで前向きな話を前面に押し出してから、告白をしようというものだった。
 作戦遂行にあたり、私はケースワーカーさんに、まず先陣をきってもらうようにお願いしてみた。最初は渋っておられたが、結局彼女は私の願いを聞き届けて下さった。
 これは、先に書いたおばさんの入れ知恵でもあった。

「どんなにお母さんの記憶が薄くなってきてるとはいっても、やっぱり聞いたらショックを受けはるで。興奮しはるかもわからへん。あんた、それを受け止められるか? 1人で抱え込めるか? ケースワーカーさんを利用しなさい。ああいう人も商売や。こんなこと、慣れたはる。それにお父さんも、あんたから突然聞くよりも、ショックが薄いんとちゃうか」。

 先週の土曜日、ケースワーカーさんは父に、母が既に亡くなっていることを話してくださった。
 やはり父はかなりショックを受け、「あんなようしてくれた(よく尽くしてくれた)やつは、おらんかった。最後に、一目会いたかった。悪いことをした」と言いながら、泣きじゃくっていたそうである。
 そして父は、こうも言ったそうだ。「(母のことを)娘に聞くと、なんかはぐらかしよるから、もしかしたらっていう思いもあった」と。

 その次の日、私は父の所に行った。父はいつものように、車椅子に座っていた。でも、やはり元気がなかった。声も鼻声だった。

「おかん(母)のこと、ほんまか?」
「ケースワーカーさんから、昨日聞いた?」
「うん」
「うん、ほんまや。ごめんな、ずっと黙っとって」
「いや、わしの方こそ、すまんかった。つらい思いさして」

 父も老いたものだと思う。昔は自分から「すまんかった」などとは、絶対に言わなかった。それに、ちょっとしたことですぐ泣くようにもなった。

 その後、葬儀には誰が来たのか、どこでしたのか、何の病気で死んだのか、どこで死んだのか、最後は苦しんだのかと矢継ぎ早に聞いてくる。私はそれに、ひとつひとつ答えていった。
 話をするうちに、母が2〜3日前に亡くなったと誤解していることが判明した。やはり、時間の感覚と記憶が鮮明ではなくなっている。
 そんな父の目は、話している間中、ずっとうるんでいた。

「そうか、あいつはもう墓に入ってしもうたんか。わしの方が先に逝くと思っとったけどな。次はわしの番やな」
「いやいや、あんたはまだまだ死なへん。今まで死ぬチャンス、なんぼでもあったのに、こうやって生きてる。他の人の分まで、きっと生きる」
 父は私のこの言葉を聞いて、やっと笑顔を見せた。

 私を病院の玄関まで送ってきて、ひとりで病室に戻っていく後ろ姿は、とても寂しそうで、小さく見えた。前日にずいぶん泣いて、少し落ち着いたとは言うものの、ショックからはまだ立ち直っていない様子だった。
 家に帰って、ひとりになって、私も泣いた。

 この8年間、私は父のために真実を隠してきたのだと思っていた。でも同時に、私にも時間が必要だったのだ。
 母が亡くなった悲しみにおぼれ、もしも父が最悪の事態に陥ったとしても、それが父の運命なのだと思えるようになるまでの時間が。

 告白したことが、父にとって幸せだったのか、今はわからない。
 もう母のことを父に隠す必要はなくなったけれど、私の心には、まだどんよりとした雲がかかっているようだ。
 だけど、告白できずにいた私の8年間は、決して無駄じゃなかったと、今は信じていたい。8年待った今だから、父が母のことを思い出に変え、別れを乗り越えることができるのではないかと。

 母のことを、父娘2人共通の思い出に変えながら、父がさよならを越えていくことができるよう見守っていけたらと、私は今思っている。