「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第30巻 ★★向き合うことへの不安★★>
発行日:'02/02/05(Tue)


 先日、父の入院している病院のケースワーカーから、電話がかかってきた。直接会って、話がしたいということだった。

 父が今の病院に転院してきてから、既に3ヶ月以上が経過している。そろそろ転院の話が出てきても、おかしくない時期なのであるが、ケースワーカーから話がしたいと電話がかかってくるというのは、初めてのことである。
 話の内容が、「在宅介護のすすめ」であろうということは、明らかだった。

 実は、6ヶ月以上同じ病院で入院生活を送るということは、現在ではとても難しいのである。

 診察や検査、手術や投薬といった、病院でのすべての作業、及びそれに付随する薬剤やレントゲンフィルムなどには、すべて点数がつけられている。この点数は、病院の規模や種類、職員の数等によっても違い、法則に従ってこと細かく決められている。
 その点数にのっとって計算された金額のうちの2〜3割(加入している健康保険によって割合が違う)を、私たちは病院に支払うわけである。
 残りの金額は、月に1度集計し、まとめて各健康保険組合に請求し、病院は診療報酬を得ている。

 入院の点数も同様に決められているのだが、入院日数が長くなればなるほど、点数は下がる。6ヶ月以上の入院に関しては、点数はマイナスになるのだ。病院としては、患者を回転させないと儲からないことになる。
 そんなわけで、入院から6ヶ月が過ぎると、退院か転院かの選択を迫られるわけだ。私の父はここ数年で、5つの病院に7回の転院を繰り返している。

 父が入院する病棟は、たいてい「療養病棟」と呼ばれるところだ。この病棟には、特に目立った病気やけがをしているわけではないが、自宅での生活は困難な人たちが入院している。そのほとんどが、お年寄りたちである。
 一般病棟とは違い、車椅子を使用する人が多いので、一部屋のベッド数は4床程度、廊下も車椅子でもすれ違うことができるように、比較的幅広にとられている。

 父のように車椅子なら自由に動き回れる人もいるが、当然寝たきりの人たちもいる。こういう人たちには、褥創(じょくそう、いわゆる床ずれのこと)ができやすいので、日に何回か体交(寝る向きを看護婦さんたちが時間を決めて変える)が行われている。

 身寄りのない天涯孤独の人たちもいる。この人たちには、帰る家もない。見舞いに来る人など、当然いない。彼らは、住民票のある市町村の福祉係の手によって、転院させられている。
 その作業は、彼らが死ぬまで続くのだ。

 7回も転院を繰り返していると、いろいろなお年寄りたちを見ることができる。
 いくら言い聞かせても部屋を間違える人などは、どこの病院にもいた。それもほとんど、異性の部屋にひょこひょこ入っていく。
 自分の要求が満たされるまで(それもだいたいが、しょうもない用事)、大声をあげて看護婦さんを呼び続ける人もいた。こういう人は、例外なく看護婦さんたちに嫌われていて、3回に1回くらいしか呼んでも来てはもらえない。

 おむつをせざるを得ない人だって当然いる。以前は父もおむつをしていたのだが、おむつ交換が終わった後、「消毒」といいながら消臭剤をまくじいさん(これが結構元気で、どこへでも歩きまわれる)が、同室にいたこともあった。
「好きでこんな風になったんじゃない」と、同室のおむつをしたもう1人のおじさんが、看護婦さんに泣きながら訴えていたこともあった。

 最近では父も、定期的に転院しなければならないということがわかってきて、「今度はどこへ行くねん? もうわし、家へ帰る」としょっちゅう私にもらす。「帰ったら、おとなしく寝てる」と、殊勝な事を言う。
 同室の人たちが、家族といっしょに退院していく姿を見ると、家へ帰りたいという思いが余計に募るらしい。

 ケースワーカーの方でも、父の様子を見て、家での生活が充分可能なのではないかと、考えたようだ。

 今は特に病気もなく、少し聞き取りづらいが、誰彼となくしゃべりまくっている。することといえば、リハビリだけ。元気だし、まだ若い。この年齢(66歳)で、このまま世間から隔絶された生活を送るには、かわいそうだ。今元気だからこそ、今後のことを真剣に考え、介護保険制度をフル活用して、何とか家での生活を送らせてあげたい。このまま何もせず、もっと年を取って、もし寝たきり生活にでもなってしまったら、転院もままならなくなってしまう。

 いったい私が、父に対してどういう考えを持っているのか、ケースワーカーは知りたかったようだった。
 ケースワーカーは、海老名香代子さん(林家こぶ平さんのお母さん)に、よく似たおばちゃんだった。

「お父さんが家で生活するという点において、何が一番問題ですか?」
と彼女に聞かれた私は、即答していた。
「私自身です」と。
 そして、こうも言った。「今の状態のまま在宅に切り替えたとしたら、私には、父と向き合う自信がない」と。

 父を家に連れ帰るためには、母が亡くなったということを告白することが、絶対に必要である。
 この告白を聞いた父がどういう反応を示すかということは、予想ができない。でも父の性格や、今までの言動から考えて、興奮して取り乱すことはまず間違いないだろう。

 母が死んだということを、現実のこととしてしっかり理解し、乗り越えた状態で戻ってきてもらわなければ、父もつらいだろう。父がつらそうだと、私もつらい。逃げ場がなくなり、親子共倒れになってしまう。

 真実を告白するためには、病院との連携が不可欠だ。父がショックから立ち直るまでに、どのくらいの時間がかかるかわからない。だけど、今のような最大6ヶ月スパンでの転院を余儀なくされている状態では、とても無理だ。
 母が入院したということを受け入れるまでにも、かなり時間がかかったのだから。

 帰れば帰ったで、また問題が発生するだろう。
 父はもともと、とても気ままな人である。お金は持ったら持っただけ、その日のうちに使い切る。小心者のくせに、けんかっぱやいところがある。自分の思い通りにならないと、すぐ暴れる。物も投げる。

 包丁を投げつけてきたときもあった。すき焼き鍋をひっくり返したこともあり、私はその時、やけどを負った。怒りがさめて冷静になると、小心者なので、私のやけどの具合を心配そうにのぞき込む。

 だけど、一度体験してしまった恐怖は、どんなに後で父なりのフォローをされても、私や母の心からは抜けない。
 母はこのときの恐怖で、ずいぶん長い間、家で鍋物をしようとはしなかった。私は、父が投げたことによって割れてしまった包丁の柄の形まで、未だに記憶している。

 体が不自由になってしまったので、思いのままの暴力はふるえなくなっている。でもだからこそ、何が起こるか想像もつかない、スリリングな毎日になることはわかりきっている。そしていざというとき、駆けつけてくれる親戚は、少ない。
 いくら昼間はデイケアや病院に通うとしても、夜、父の心の闇に向かい合うのは、私ひとりなのだ。

 海老名香代子さん似のこのケースワーカーは、私の話が進むにつれ、頭を抱え始めた。
「どこから手を付けたら、いいんだろう」と、つぶやいていた。
 ただ彼女は、私にこう言ってくれた。

「あなたの心の一方では、お父さんを家に連れて帰ってあげたいと思っているんですよね。でももう片方では、連れて帰ってきたら困るという相反する気持ちがある。そういうつらい気持ちを7年間も抱えて来たっていうのは、かなりのストレスだったと思いますよ。このままではいけないです。何とかしましょう。前進しましょう」。

 ひとりでの生活は、確かに気楽である。だけどその生活を壊されるのがいやだからとか、金銭的な問題で帰ってきてもらったら困るとか、そういうのでは絶対にない。私も2ヶ月ほど入院したことがあるから、父が家に帰りたいという気持ちは、痛いほどわかっているつもりだ。
 興奮するので父には内緒にしているが、私は数年前に家を建て替えて、父が使用可能な部屋を、既に準備しているのだ。

 今までは自分と向き合って、どうするべきなのかを悩み続けていた。だけど今後のケースワーカーの動きによっては、父と真っ正面から向き合って、大きな山を乗り越えなければならないかもしれない状況になってきた。
 ケースワーカーは、「力になります。病院の協力も仰ぎます。他のケースワーカーの意見も聞いてみます」とおっしゃるが、母のことを告白するのは、私である。

 正直自信がない。これからどうなっていくのか、考えるだけでも怖い。父にどういう影響をもたらすのかが見えないだけに、つらい。
 いったいこれから、私は父と、どう向き合っていけばいいのだろうか。