「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第29巻 ★★さよなら、ASAYAN★★>
発行日:'02/01/29(Tue)


 テレビ東京系で毎週日曜日に放送されている「ASAYAN」が、3月で放送終了するという新聞記事を、先日読んだ。「視聴率低迷」が、打ち切りの理由だそうである。

 「とうとう終わるのか」っていう感慨と、「何だかちょっと寂しいな」っていう寂しさが入り交じった複雑な思いを、私は今抱いている。
 実は、私が毎週必ず見ていたテレビ番組は、これだけだったのだ。見られない日は、録画してまでも見ていたくらい、お気に入りだった。

 この「ASAYAN」は、いわゆるオーディション番組である。10年前にスタートしたころは、違うコンセプトの番組だったのだが、途中から小室哲哉氏が登場するようになって、今のような番組形態になった。
 私は彼が企画した「コムロギャルソン」というコーナーがあった時代(ずいぶん前・・・)からの、筋金入りの視聴者である。

 初代ナレーターは、川平慈英氏だった。もともとは彼の「そおなんです!」という絶叫がおもしろかったのが、この番組を見始めたきっかけだった。
 ニュースステーションで有名になったらしいが、私が彼を知ったのは、「ASAYAN」だった。

 二代目は松尾貴史氏。川平氏の流れをくんだナレーションだった。
 現在は三代目、やまだひさし氏。去年の4月から担当しておられるが、「俺、やまだひさしが、ナビリング」「ちょっと、すごいんじゃ、にゃいのお」という口調に、未だに慣れることができず、さぶいぼ(鳥肌)が全身に立つ時がある。

 この番組からは、たくさんの芸能人が誕生した。
 3人組ダンスユニット「dos」(小室氏は後に、このメンバーのうちの1人を嫁にした)、今NHKの朝の連ドラに主演している池脇千鶴ちゃんも、この番組の出身である。裁判沙汰になって芸能界から干されたが、先日吉本興業入りが決まった、鈴木あみちゃんや、去年大ブレークした、ケミストリーもそうである。
 でも番組史上、最も大スターに成長し、「ASAYAN」の番組名を一躍有名にしたのは、モーニング娘。だろう。

 もともと私は、このようなオーディション番組が好きである。なぜなら、小中学生の頃、漠然と歌手にあこがれていたからだ。

 私の母は、歌が大好きだった。美空ひばりのファンで、彼女が死んだときは「ひばりが死んだ」と、肉親が死んだように悲しみながら、死後発売された全曲集(CD十数枚組)を買い求めていた。母の退職後の夢の一つは、「紅白歌合戦を生で見たい」だったのだ。
 そんなわけで、我が家には常に歌が流れていた。結果として私も、歌が大好きになったのだ。

 歌手にあこがれる大きなきっかけとなったのが、30年近く前に放送されていた「スター誕生!」というオーディション番組だった。
 毎週日曜日、午前11時頃からの生放送だったと思う。司会は萩本欽一氏だった。

 予選会で選ばれた人たちが毎週数人出場し、大勢のお客さんと、審査員(プロの作詞家や作曲家たち)の前で歌を披露する。審査委員には、阿久悠氏や都倉俊一氏、松田トシ女史などが名を連ねていたと記憶している。

 歌い終わった後も、ばりばりに緊張している素人たちに、この審査員たちは、本人の目の前で容赦のない批評を加える。
「もっと練習しなきゃだめ」「気持ちが伝わってこない」などという言葉が、泣きそうな顔をした素人の顔とともに、そのままテレビから流れてくる。
 毎週私は、どきどきしながらこの番組を見ていた。

 今思えば、「歌手になりたいなら、相当の覚悟をしなきゃだめ」というアドバイスが、言外に含まれていたのだとは思う。だけど幼い私にとっては、審査員たちの言葉は、すごく怖く聞こえた。特に一番厳しかったのは、松田女史だった。
「あんなきついこと言わんでもええのに」と、私は素人に同情の気持ちを寄せたものだった。

 審査の後、その日の合格者が発表される。選ばれる人数は決まっていない。2人選ばれる時もあれば、合格者なしの時もあった。
 合格者が出た時は「ばんざーい」、合格者なしの時は「ばんざーい、なしよ」と、欽ちゃんの号令で会場にいる人全員で唱和して、番組はお開きとなる。

 ここで合格した人たちは、年に数回開催される、決戦大会に出場する。
 会場には、レコード会社やタレント事務所のスカウトマンたちが集まる。スカウトマンたちは、スカウトしたいと思う人に対して、自社名が書かれたプラカードを上げる。上がれば合格で、プロ歌手への道が広がる。上がらなければ、当然不合格。

 うれし涙と悔し涙が、画面から飛び出してきそうな勢いで流されていた。

 「合格すれば、歌手になれる」。単純にそう思いこんだ私は、この「スター誕生!」の予選会に、中学生の頃1度だけ応募したことがある。もし選ばれたら、その当時ヒットしていた「みずいろの雨」を歌おうと、密かに考えていた。
 松田トシさんは怖いけれど、歌手になるならこれしかない。当時の私は、それなりに真剣だったのだ。

 今考えれば、私はその時の状況から、逃げたかったのだと思う。逃避のきっかけを、何とかしてつかみたかったのだ。

 ちょうどこの頃、我が家は荒れに荒れていた。父は酒の飲み過ぎでアルコール中毒に陥るし、給料をまともに持って帰って来ない。もらったその日に博打をして、給料すべて使い果たしたことも、一度や二度ではなかったらしい。
 両親のけんかは絶えず、離婚の危機もあった。両親の間で、私は振り回されていた。

 だけど私は結局、予選会に行くことができなかった。家に届いた「予選会開催のお知らせ」のはがきが、母に見つかってしまい、強硬に反対されたからだった。
 「予選会だけなら、試しに行っといで」などという心の余裕は、母にはなかった。

 歌手になりたいという夢を、あきらめたわけではなかった。でも「何が何でも、歌手になるんだ」というような強烈な思いではなかったのだ。
 私は夢をあきらめたというよりも、両親からの逃避行をあきらめたのだ。

 「ASAYAN」に出演することは、大きなチャンスでもあるが、プロになれるかどうかわからない時点から、番組に振り回される運命に立たされる。
 モーニング娘。が生まれた時もそうだった。

 彼女たちの初代メンバーは、5人。学生4人と、社会人1人。学生の中には、中学生も含まれていた。5人とも、ずぶの素人だった。彼女たちは、テレビの中で大人たちの勝手な意向に振り回されていた。

 ダンスもレコーディングも、何もかもが初体験。自分たちの生きてきた中で培ってきた基準とは、大きく違うこともあっただろうと思う。
 毎週誰かが、必ず悔し涙を流していた。

 それでも「歌手になりたい」という夢を持っていた5人の瞳は、とてもきれいだった。
 歌が抜群にうまいわけでもないし、ダンスだって中途半端。飛び抜けた美人や、抜群のスタイルの持ち主なんて、いなかった。
 でも本当に歌が好きで、「プロの歌手になりたい」と真剣に考えていることが、画面からひしひしと伝わってきた。

 ケミストリーがデビューするきっかけとなったオーディションの時も、そうだった。
 最終候補者は彼らを含め、5人。オーディション終了までに、約1年の歳月が費やされた。

 モーニング娘。の時のような号泣シーンはなかったけれど、やはりこの5人も歌が大好きで、大好きな歌を一生大切に歌い続けていきたいと考えていることが、画面から静かに伝わってきた。
 テレビに振り回されながらも、ひたすら走っていた。5人の瞳、そして彼ら同士の葛藤さえも、輝いていた。

 「ASAYAN」は、あきらめてばかりいた子供時代のことを、久々に思い出させてくれた番組だった。
 ピュアな気持ちは、どんなに年を重ねても、心の片隅にいつまでも残しておいた方がいいということを、私は出演者たちの瞳の輝きから教えてもらった。

 「歌手になりたい」という当時の私の夢は、とても幼稚だったし、卑怯なものだったかもしれない。だけどあのころの思いを、忘れたくはない。
 なぜなら、それが、私にも未来があると思えた瞬間だったのだから。

 幼かったあの頃、私は自分のことを好きにはなれなかった。だけど今は、あの頃の私をとても愛おしく感じる。
 こう思えるようになったきっかけのひとつを、私に与えてくれた番組が、もうすぐ終わろうとしている。