「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第23巻 ★★ミミズの思い出★★>
発行日:'01/12/10(Mon)


 「ミミズの煎じ薬」というものを、ご存じだろうか。

 幼い頃の私は、冬になると毎年のように風邪を引いていた。毎年の恒例行事のようなものだった。
 私が風邪を引くと、母はものすごくびびる。母親なら誰でもそうだと思うが、私の母のびびり方は特別だった。
 なんたって「風邪は万病の元」である。母はすぐ私を病院に引きずっていく。そして風邪が治るまでの間、私は薬漬けの日々を過ごすことになる。

 液状の薬は口当たりがいいのが多く、何より自分で計量して飲むのが楽しくて、欠かさず飲んでいた。でも粉薬は苦手で、近くに住んでいた母方の祖母が、よくオブラートにくるんでくれたのを覚えている。
 薬で胃が荒れるのを心配する母は、胃薬も一緒に飲むように命令する。そして、その風邪に発熱が伴うときは、母は迷わず「伝家の宝刀」を引っ張り出す。それが「ミミズの煎じ薬」だったのだ。

 今は漢方薬店に行かないと手に入らない(最近は買っていないので、今でも存在するのかは疑問です)が、私がまだ小さかった頃は、近所の薬店にも「乾燥ミミズ」が売っていた。そのへんにいるミミズをつかまえて、家の軒先にぶらさげて乾燥させていたのではない。断じて、ない。
 この乾燥ミミズを何匹か、水から煎じて飲むのだ。ちなみに、ミミズ本体は食べない。

 母の兄弟たち(つまり、私の叔父や叔母)も、幼い頃熱を出すとこの「ミミズの煎じ薬」のお世話になっていたらしい。「ああ、ミミズなあ。あれは効くもんな」と、こともなげに言われ、びっくりしたこともある。
 我が家にはかつて、山のような乾燥ミミズの在庫があった。

 この煎じ薬には、抜群の解熱効果があった。
 母や祖母曰く「おしっこといっしょに、熱がおりるんや。それで体にたまってる真熱が取れるんや」とのことだった。私の体験からも、熱の下がりが早いのは確かだった。

 だけど私は、この煎じ薬が大嫌いだった。
 母が煎じ始めると、狭い我が家に臭いが充満する。とにかく、臭い。たまらなく、臭い。深く臭いを吸い込むと、吐き気がしそうなくらいだった。
 「ああ、またミミズを飲まんとあかんのか」と思うだけで、私の熱はまた上昇する。

 味もくせがあり、まずかった。飲むには決死の覚悟が必要だった。ミミズからの脱走は不可能である。鼻をつまんで、目をつぶって、一気飲みしていた。
 ジュースに混ぜれば、少しだけ臭いが緩和される。でも母は、そのまま飲むことを要求する。そのまま飲む方が早く効くと、かたくなに言い張っていた。

 考えてみれば私の家族は、「健康」というキーワードで結ばれていたような気がする。
 アルコールをお茶代わりに飲んでいた父は、当然の帰結として定期的に大病にかかる。そして、体のあちこちを切ったり縫ったり貼ったりしていた。
 私は大病はしなかったものの、よく風邪を引くし、あまり丈夫な方ではなかった。

 そんな2人に挟まれた母は、「とにかく自分が健康でいなければならない」という義務感みたいなものがあったらしく、いろいろな健康法を実践していた。
 本やテレビやラジオや人づてで、健康に関するあらゆる情報を仕入れてくる。そして、体にいいといわれることは、とにかく一通り試していた。そして私にもお誘いの声がかかる。
 ちなみに父は、絶対に参加しなかった。

 今母が生きていたら、みのもんた氏を教祖様と仰いでいたことだろう。

 健康法のうちの一つが、「ヨーグルトきのこ」である。
 何年か前、一時これがブームになった時があったが、母が初めてこれをどこからか持ち帰ってきたのは、ブームになるずっとずっと前のことである。「体にええらしいから、これからあんたも飲み」と、いつものように強制である。

 ネスカフェエクセラの大瓶に入ったヨーグルトきのこが、確か2本はあったと思う。母がその瓶に牛乳を入れて発酵させ、次の日にそれを飲む。
 気候がよくなると、瓶半分くらいしかいなかったきのこが、1日で瓶いっぱいに「もこもこもこ」という感じで増える。きのこの量で、発酵度合いも大きく変わった。

 「健康のため」に、私にはそれまでも毎朝牛乳を飲まなければならないというノルマがあった。その牛乳が「ヨーグルトきのこで発酵した牛乳」にパワーアップしたのだ。
 当時、私は牛乳があまり好きではなかった。なのに、その牛乳が発酵し、酸っぱくて独特な臭いがするのである。ミミズほどではないが、私にとっては拷問以外の何者でもない。
 母が朝早く仕事に出かけていない日には、私はそっと流しに捨てていた。

 何のきっかけで飲まなくなったのかは覚えていないが、これを飲まなくてよくなったとき、心からほっとしたのを覚えている。

 それから、「酢大豆」である。
 母は酢の中に大豆をつけた、いわゆる「酢大豆」を作ってその酢を飲み、大豆も食べていた。当然、私にも強制した。

 私は、酢をそのまま飲むのは胃が荒れた感じになってつらかったので、少し蜂蜜を入れて飲んでいた。冬になると蜂蜜が固まってしまって困った。大豆は食べなかった。
 私が付き合わなかったので、最初母は機嫌が悪かった。「体にいいのに」と、ぶつぶつ文句を言っていた。

 母は入院する直前まで、この健康法は続けていた。亡くなってしまった後、ネスカフェエクセラ大瓶に入った酢大豆が、4〜5本残された。
 私は食べないので、なんとも寂しい気持ちで処分したことを覚えている。

 お風呂では亀の子たわしで体をごしごし洗っていた。痛そうなので最初はご遠慮申し上げていたが、そのうちに母の使い古しのたわしを使って私も体を洗うようになった。
 ちなみに、これは今でも続けている。今では、たわしじゃないと物足りないくらいだ。

 体が疲れたり冷えたりしたら、家で灸をすえていた。私はもっぱら、母のヘルプである。背中や肩には、私がすえていた。
 結構面倒だったけれど、もぐさに火を付けるのは楽しかった。おもしろいので一気に火をつけて、母の背中を火山のようにする。当然「何すんねんな!」とよく怒られた。

 母は、昆布茶(お茶ではないが)もよく作ってくれた。昆布と自家製の梅干しを水から煮出したものだ。
 ミミズとは違い、これはおいしかった。冷やして、毎日のように飲んでいた。「風邪の予防」という名目だったけど、効いた気はしなかった。風邪を引くときは、相変わらず引いていた。
 便秘に効果があると聞いて、プルーンを食べていたこともある。甘くておいしかったけど、やっぱり便秘は治らなかった。

 極めつけは「おしっこ」療法である。
 私も誘われたが、気合いを入れて真面目にお断りした。ぶつぶつ言っていたが、それでも自分だけ続けていた。

 確か、朝一番の自分のおしっこを飲むと健康にいいという話だった。どうしてそれが体にいいのかは、よくわからない。これも入院する直前まで実践していたので、母が亡くなった後、我が家のトイレには、コップがひとつ寂しく残されることになった。

 我が家の健康法お試しレースに参加しなかった父は、体は不自由だけれど、口は達者で元気である。
 片手間の参加だった私も、胃腸が少し弱いくらいで、元気である。
 一番元気で、一番体に気を遣っていた人が、あっという間に亡くなってしまったのだ。
 人の寿命って、ほんとにわからないものである。

 今思えば、母はいろいろな健康法に振り回されて、いつしか健康法に依存した生活を送るようになっていたような気がする。
 自分の体の変調に気づいてからは、その実践にも悲壮感が漂うようになっていた。その頃には、明るくミミズを煎じてくれていた笑顔は、もう見られなかった。

 風邪が流行するシーズンになると、私は「ミミズの煎じ薬」のことを思い出す。あの薬を飲む機会はもうないだろうけれど、煎じてくれていた母の後ろ姿と、煎じ薬の強烈な臭いと味は、私の記憶から消えることはない。