「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第21巻 ★★病院の裏側での日々★★>
発行日:'01/11/26(Mon)


 今年の6月に仕事を辞めた私は、8月から先週まで週2回の短期バイトをしていた。登録していた派遣会社から声をかけてもらったのが、きっかけだった。

 ちょうどこの頃の暑さは、すさまじいものだった。声をかけてはもらったものの、正直言ってこのくそ暑い中、週2回とはいえ外出しなければならないことに、私は躊躇した。
 だけど結局行くことに決めたのは、小銭稼ぎの目的以上の理由があったからだ。

 その頃私は、在宅での仕事の準備として、ホームページ作りにいそしんでいた。でもやはり、家に閉じこもっていると、何もかもが煮え詰まってしまうときがあった。
 それに、在宅での仕事を選択した私にとっては、人との接触は自分から働きかけていかなければ困難だ。家族や友人以外と接触できる、またとないチャンスだと思ったのだ。

 バイト先は、最寄りの駅から5つほど向こうの駅の近くにある病院である。
 この病院がある市では、夏から秋にかけて、30歳以上なら無料で受診できる市民検診を実施している。その市民検診の結果を、パソコンへ入力することが、私に与えられた仕事だった。

 病院の担当者との初顔合わせの日、派遣会社の担当者と2人でその病院に行った。受付の裏側にある事務所に通され、挨拶を交わした。
 だけど私はその担当者の顔よりも、事務所の散らかりように目を奪われてしまった。受付や待合室はこざっぱりとしていたので、そのギャップは相当なものだった。

 その事務所には机が5〜6個あったが、どの机にも書類や本や郵便物やメモが山のように積まれてあった。絶対にダニが巣を作っているのは間違いないだろう。いったいここでどうやって仕事をするのか、最初は不安だった。

 受付と事務所の境には棚があり、そこには患者さんのカルテがたくさん押し込まれていた。その棚の下にも箱がいくつも置かれ、その箱にもカルテがたくさん突っ込まれていた。
 どう見ても整理されているとは思えないのに、受付や事務の人たちは、あっという間に目的のカルテを探し出す。まさにあれは神業だ。

 机と椅子と書類と箱の山で足の踏み場もないような所を、わさわさとかき分けて奥に進むと、パソコンが4〜5台並んでいる。
 私が使うように指示されたのは、キーボードには手あかがつき、ディスプレイを自分の目線に合わそうと思っても動かない、古くて汚いパソコンだった。他のパソコンはウィンドウズなのに、それだけはDOS/V仕様だった。

 ぼろパソコンの横にはドットプリンターが、上にはレーザープリンターが置かれていた。そして、プリンターやディスプレイの上やその回りにも、書類が常に山積み状態だった。片づける必要なしに、私が作業を開始できるといったことは、皆無だった。
 飲み終わった「午後の紅茶・ミルクティ」の缶が何本も置かれていたこともある。どれがゴミ箱なのかもよくわからなかったので、私はその缶を仕事の邪魔にならない所に、縦一列に並べていた。

 初仕事の日、担当者から入力の仕方等の説明を受けた。彼から特に注意されたのは、ひとつだけだった。
「血液検査の結果の数字入力を、大きく間違えることだけはせんといてな。多少の入力ミスは、しゃあない(仕方がない)けど」
 私が帰った後、きっとその担当者がチェックをしていたのだろう。それにしても「多少はしゃあない」という指示なんて、聞いたことない。

 仕事は単純作業である。単純なので、ひとり黙々と作業していた。
 画面に必要項目(ほとんど数字)を入力し、それによって表示される検診結果を問診票に転記(途中からはプリントアウトに切り替わった)し、必要な場合(といっても、ほとんどの人が対象だったが)には健康指導箋もプリントアウトする。
 この作業の繰り返しである。

 高さ調節ができない椅子に座って画面をにらんで入力する。空調の風はそんな私を容赦なく直撃する。肩はこるし腰は痛いし、寒い。
 作業が終わる頃には、体中の関節が音をたてていた。

 受診する人の年齢層は、下は30代から上は90代まで。テレビや雑誌などで、今の日本人の健康状態を見聞きするが、あながち嘘ではないのだということが、このバイトをしてよくわかった。

 一番目立ったのが、中性脂肪やコレステロールの値が高い人が多いこと。これは、どの年代にも見られた現象だった。他は異常がないのに、この値だけが高めという人が、結構多かった。
 高血圧の人が多いというのも特徴的だった。最高・最低血圧とも高い人よりも、最高血圧だけが高いという人の方が多かった。中には、最高血圧が200を越えている人もいた。
 年齢が上がるほど、血糖値や肝機能の値が高い人が増えていく。だけど、30代にもこの値が高い人がいた。高齢者より数は少ないけれど、私の予想よりはるかに多い数だった。
 とにかく、「医者が指導する必要がない」という診断が出る人は、ごくごくわずかだった。

 市民検診を受診する人は、受診前に「問診票」に必要事項を記入する必要があるのだが、その書き方でも千差万別である。
 几帳面に自分の今の症状をぎっしり書いている人、1度に飲む酒量を記入する欄に「ビール350本(350mlを1本という意味だとは思うが)」と書いている人、まだ計測していない身長や体重を先に記入する人がいるかと思えば、身長も体重も計測していない人(いったい何しに来たんだか)もいた。医者が記入する欄に勝手に「異常なし」と書いている人もいた。

 最初のうちはデータも少なかったのだが、夏から秋に季節が移ると、受診する人の数はぐっと増えた。1日4時間の作業だったのだが、時間内に入力できないくらいの量が、10月に入ると回ってくるようになった。
 あまりに多かった一時期は、朝から夕方まで黙々と入力し続けたこともある。

 それでもこの頃になると、事務所の雰囲気にも、ぼろパソコンにも、高さの合わない椅子にも慣れてきた。受付の裏側なので、病院内のいろいろな声が私の耳にも入ってくる。
 病院といっても、規模的には診療所より少し大きいという程度の所だった。患者さんは、圧倒的に中高年の常連さんが多かった。

 受付担当者が「○○さーん」と叫ぶのを聞いて、「○○さん、今、便所行ってるで」と返事する、おばちゃんの声が聞こえる。
「整形(外来)が混んでるみたいやから、先にリハビリに行くわ」と、自分で行動予定を決めている、おっちゃんの声も聞こえる。
 受付のカウンターに財布から小銭をぶっちゃけて、「ここから(請求金額を)取って」と言っている、おばあちゃんの声も聞こえる。
「ちょっと、私の方が先に来たのに、なんで、後から来たあの人が先に呼ばれんのよ!」と怒っている、おばちゃんの声も聞こえる。
 受付嬢をからかって遊んでいる、おっさんの声も聞こえる。
「なんで診察が終わってからお金払うまでに、こんなに時間がかかんの?」とぼやき、会計待ちのカルテの山をのぞき込んで「へえーっ、こんなにあるん」と感心している、おばちゃんの声も聞こえる。
 受付の不手際に怒って帰ってしまった人へ電話をして、平謝りしている看護婦さんの声も聞こえる。

 笑い声、怒鳴り声、叫び声、いろいろな声をBGMに、私のバイトの日々はあっという間に過ぎていった。
 短期バイトだったけれど、病院の裏側から表側が見えるようなこの仕事は、結構楽しかったし発見もあった。

 だけど裏側から裏側を見ると、患者さんにとっては「病院」でも、職員にとっては「職場」であるというあたりまえのことに気付かされた。
 片づけられた事務所を見ることは、ついになかった。暇な時間に真剣な顔で、インターネットショッピングをしている職員もいた。

 そんな院内の内情を垣間見て、程度の差こそあれ、どの職場の実情も結局は同じなんだと、改めて考えさせられた3ヶ月だった。