「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第20巻 ★★フェチな父娘★★>
発行日:'01/11/20(Tue)


 以前NHKで放送されていた、「シャーロック・ホームズの冒険」という番組が、私は大好きだった。この番組は、コナン・ドイル原作「シャーロック・ホームズシリーズ」の小説を、イギリスのテレビ局がドラマ化したものだ。
 小説をドラマにすると、違和感があることが多いのだが、この番組に関しては大成功だったと思う。それに、日本語吹替えされた声優さんの演技もすばらしかった。

 この番組は、その後何回も再放送されたが、私は飽きもせずに毎回見ている。最近、「ミステリーチャンネル」というケーブルの番組でも放送されているのだが、それも私はほぼ毎晩見ている。
 私は、自分が気に入ったテレビ番組は、何度でも繰り返し見る。しまいには、ストーリー展開や台詞まで暗記してしまう。

 先日、この「シャーロック・ホームズの冒険」を見ていたとき、私は自分がなぜこんなにこの番組が好きなのか、ということに、ふと思い当たったのだ。
 ストーリー展開がおもしろいこともある。でもそれ以上に私は、このドラマから聞こえてくる「音」が、好きなのだ。

 ホームズさんやワトソン先生をはじめとする、登場人物の靴音、女性のドレスの衣擦れの音、馬車が走る音(とくに田舎道を走る時の音がよいのです)、全てが耳に心地いいのだ。
 特に「靴音」が、たまらなく気持ちいい。

 考えてみれば、私は小さいときから、靴音にうるさかった。いわゆる「靴音フェチ」だった。

 幼い頃「マグマ大使」というテレビ番組があった。主人公のマモルくんが3回「ぴこぴこぴー」という音色の笛を鳴らすと、マグマ大使がやってきて、怪獣と戦うという番組だった。ちなみに1回鳴らすとマグマ大使の子供「ガム」が、2回鳴らすとマグマ大使の奥さん「モル」が飛んでくる。つまり3回鳴らすと、マグマ大使一家が勢揃いするわけだ。

 そのマグマ大使の敵が「ゴア」だった。少々太めで、もじゃもじゃ頭に角が生えていて、しわしわの銀紙を貼ったような顔で、悪役なのに目が妙にぱっちりしていた。コウモリと目玉焼きの出来損ないみたいな形の宇宙船に乗っていた。

 そのゴア、考え込んだりするときに、宇宙船の中を歩きまわる。「かつん、かつん」という靴音で、方向転換するときには、なんか砂利を踏むような靴音をたてていた。
 私はその時の靴音が妙に好きだったのだ。番組の中味の記憶はおぼろげなのだが、その靴音だけは今でもはっきりと記憶している。

 当時の私はその靴音を再現させるために、両親の靴をこっそり履いて、狭い玄関を歩いた記憶がある。でも私が歩くと「ぺたぺた」という音がするだけで、納得のいく靴音は、ついに生まれなかった。
 サイズが合っていないせいもあったのだが、両親ともいわゆる「現場」仕事をしていた。だから、私が納得できるような靴音をたてる革靴やパンプスやハイヒールなどは、我が家にはなかったのだ。

 このような靴を履いて、自分も靴音をたてて歩いてみたいというあこがれを、私はずっと持っていた。
 フェチというのは、あこがれから始まることが多いのかもしれない。
 今でも、私が靴を選ぶ条件の中に、「耳に心地よい『こつこつ』という音をたてる靴」というのがあることは、言うまでもない。

 社会人になって会社に勤め始めてからも、靴音には敏感だった。
 入口に背中を向けていても、靴音を聞くだけで、どの営業マンが帰ってきたかがすぐわかった。靴音高く歩く人、かかとを引きずるような靴音をたてる人、静かに歩く人、いろいろいた。

 靴音を聞けば、その人がどれだけ自信を持って仕事をしているかということも、だいたい判別できた。営業事務の仕事をしていた私にとって、「靴音フェチ」はとても役立った。

 だけど私の父の「フェチ」は、何がきっかけだったのだろう。

 今年の6月、私の父の姉(つまり私の叔母)が亡くなった。夏に諸手続の関係で、その叔母の娘さん(つまり、私の従姉)と会った。待ち合わせ場所は、父の病室である。

 以前にも書いたが、私の母は私が「付き合ってもよい親戚」と「付き合う必要のない親戚」というのを、母なりの基準で厳格に分けていた。
 父方の親戚は、母の基準では「付き合う必要のない親戚」だった。そのため、私はそれまでその従姉とは、まともな会話をしたことがない。
 それに、その従姉がどこに住んでいるかも知らなかったし、彼女の名前さえはっきり知らなかった。

 その日は、父、私、従姉夫婦の4人でのにぎやかなひとときとなった。
 その時の従姉の話で、私は父の思いがけない「フェチ」ぶりを知ることになったのである。

 父は昔、運送会社に勤めていた。JRがまだ「国鉄」だったころ、父の勤める会社の事務所や倉庫は、全国津々浦々、どんな小さな駅にも必ず存在した。
 叔母夫婦の家が駅前にあったこともあり、父は独身の頃、叔母夫婦の家に居候していたことがあったらしい。

 今から40年以上前のことである。駅前といえども、店などほとんどなく、まだまだ田畑がたくさん残っていた。夜になると、街灯もほとんどないので、辺りは真っ暗だった。
 そのせいで、叔母の家の近所、つまり駅前でよく交通事故があったらしい。

 事故が起こると、車の急ブレーキの音と、「どん」という音が聞こえる。
「あれ、なんか聞こえたなあ」と叔母の家族が言う頃には、父の姿は既になかった。どんなかすかな音でも、父は聞き逃さなかったらしい。
「そら、もう、お兄ちゃん(父のこと)の早かったこと。気ついたら、もう(家には)おらへんかったわ」と、従姉は笑う。

 父の急行先は、交通事故現場である。到着は毎度必ず、父が一等賞だった。
「警察よりも、行くの早いで」と、父は自慢していた。

 暗闇の中とはいえ、その当時の車は結構スピードを出していた。それに、車への飛び込み自殺も結構あったらしい。
 だから、車にはねられた人の亡くなる確率はかなり高かった。車にはねられた死体は、ばらばらになって、時には腕や足などがあちこちに飛んだりする。
 真っ先に事故現場に到着した父は、頼まれもしないのにそれらを残らず拾い集め、死体を復元していたというのだ。

「どんな小さな破片でも、わしは見逃さんかった。とにかく、全部拾ったで」
「え、でも、そんなこと勝手にやってもよかったん?」
「わし、警官と一緒に拾っとった。警官もなんも言いよらへんかったで」
「・・・・・・」

 事故現場の処理が遅れれば、駅前だし、野次馬も集まって混乱する。また、荷物の搬出入ができなくなり、仕事にも差し支えが出る。警察に、一刻も早く現場検証をすませてもらう必要があったのだ。
 父が死体処理をしていたのには、そういう理由があったらしい。だけど、ガキ大将がそのまま大人になったような父のこと、「フェチ的根性」がそうさせていたんじゃないかと、そのときは思っていた。

 父の話は、更に続く。

「そういうたらなあ、前の日に一緒に仕事して、立ち飲み屋で一杯やってから別れたFっていうやつがおったんや。なんや様子がおかしいし、元気がないなあと思てたんや。そしたら次の日、トラックの中で首つって死んどったんや。朝、それを見つけたんも、わしや。そんで、トラックからFをわしがおろしたったんや」

 ここまで聞かされた私は、父は「死体処理フェチ」なのか何なのか、よくわからなくなってしまった。
 私の「靴音フェチ」とは、根本的に何かが違う。父の「フェチ」は、運命というものに向かい合っているような気がする。

 父は、死と隣り合わせの大病を何度も患った。「三途の川も2回見た」とよく言う。が、そのたびに不死鳥のごとく復活してきた。
 私はふと、こんなふうに思った。もしかしたら、亡くなってしまった人たちによって、父は「死体処理」させられていたのではないだろうかと。
 そして亡くなった人たちは、父の生命力を強め、父を生かす。そして時折、父の記憶を通じて彼らはよみがえる。「忘れないで」と。

 対照的な「フェチ」を持つ、私たち父娘。人間として背負っているものは、父娘であっても違うのだということを、今私はしみじみ感じている。