「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第17巻 ★★家族へのあこがれ★★>
発行日:'01/10/30(Tue)


 私は中学か高校生の頃、カラトのおばちゃん(第12巻をご参照下さい)一家から招待されて、神戸の新開地(しんかいち)で中華料理をごちそうになったことがある。
 招待の理由や料理の味など、詳しいことは忘れてしまった。強烈に記憶に残っていることは、1つだけだ。

 それは、一家4人が、同じ話題で会話をしているということだった。

 私の家では、見たことがない光景だった。もちろん、体験したこともなかった。4人の楽しそうな会話を聞いて、ものすごくうらやましかったことを覚えている。

 私が「家族」というものを強烈に意識したのは、たぶんその時が最初なんじゃないかと思っている。

 私の母は、母なりの基準で、私が交際する人を仕切っていた。だから最近まで、逢ったこともしゃべったこともなかった親戚が多い。

 友達に関してもそうだった。内気でおとなしいと心配していた割に、私が友達を作って遊ぶことをよしとしない風があった。
 友達の家に遊びに行くということも、母はあまり好きではなかった。小学生の頃、転校していく友達のお母さんから、「泊まりにおいで」というお誘いを受けたのだが、母は頑強にその申し出を断っていた。

 そんなわけで、よその家の「家族風景」というものを、私はそれまであまり見たことがなかった。
 幼い頃の私の家庭環境は、父が好き勝手し放題で、母はその後始末に走り回るといった状態だった。家庭内の空気は、常に張りつめていた。

 私の両親は、見合い結婚である。二人の仲は、結婚当初からうまくいってはいなかった。自由奔放な父と、神経質な母。二人の争いは絶えなかった。
 それでも両親は、両親なりに私を可愛がってくれていた。だけど私の家族は、3人別々の方を向いていた。

 「よその家はこんなんじゃないんだろうなあ。よその家の子だったらよかったのになあ」みたいな思いを、ぼんやりと持っていた私にとって、この出来事は、すごくショッキングだった。
 「家族」っていうのは、ほんとはこういうものだったんだって、実感した。

 でもそれ以降、私は「家族」というものをあまり考えることはなかった。適齢期に突入した私は、むしろ「結婚」に重点を置いて考えていた。
 両親の諍いを幼い頃から目の当たりにしていた私は、「絶対に見合い結婚なんてしない」ということだけは、心に決めていた。

 10代後半から20代前半にかけて、私は漠然と24歳くらいには結婚したいと思っていた。ちょうどその頃から、「24までは引く手あまたやけど、25過ぎたら売れ残り」という、いわゆる『クリスマスケーキ』のたとえ話が、世間でされるようになったからだと思う。
 でもその夢がかなわず、次の目標はなぜか「30歳までに子供を作る」になった。でも、それもかなわなかった。

 「夢」といっても、ほんの漠然としたものだった。この「夢」をかなえるための努力は、してなかった。努力する気もなかった。
 結婚なんて、努力してするもんじゃない、巡り会って好きになった人と、自然にするものだと思っていた。

 20代後半を過ぎても独身の私を、親戚の人たちは心配していた。
 「見合いして、早く結婚しなさい」と言う人もいた。「世話したるから、釣書を書いて送っといで」と言ってきた人もいた。
 しかし私はその申し出に、頑強に首を横に振り続けていた。ただ「見合いは嫌だ」という理由だけで。おかげで、かなりその人たちの怒りを買ってしまった。

 30代半ばを過ぎた今の私に、見合いを持ってくる親戚は、さすがにいなくなった。だけど、「あんたは、何を考えてんの」「早いこと子供産んどかんと、育てられへんで」という言葉は、時々頂戴している。
 中には、「頭のええ遺伝子を持ってる精子もろて、(体外受精して)結婚せんでも子供だけ産んどき」という、大胆な意見を述べる人もいる。

 友達の中にも、さりげなく合コンへの参加を勧めてくれる子もいる。
「そろそろ将来の事を、もっと考えなあかんで」と、同い年の友達(独身だけど)に説教されたこともある。
 一番とまどったのは、「結婚して家庭を持って、子供を産んでこそ、女は一人前なんだ」という趣旨の意見を、20代で結婚して、今は小学生の子供がいる同級生から聞かされたことだ。
 同級生から「あんたは一人前でない」と見なされていたのかと思うと、私自身のそれまでの生き方が否定されたような気になり、気が重かった。

 社会に出て10年以上経過し、私もそれなりに世の中にもまれた。男性と知り合ったりお付き合いする機会も、当然あった。
 そういう生活の中で、私が最近気付いたことがある。

 それは、私が望んでいるのは「結婚」ではなく、「家族」なのだということだ。

 中華料理店での家族の風景を、私は無意識のうちに、理想の家族像として脳裏に焼き付けてしまっていたらしい。そして自分もいつかこういう風な家族がほしいと、潜在的に思っていたのだ。

 「家族」を手に入れるには、結婚しなければならない。そのためには、相手が必要だ。だけどその手段として「見合い」を選ぶことは、私は未だにできない。

 「合コンとか見合いとかせんかったら、出会う機会がないやんか」と言う子もいる。
 実際そういう子は、何十回でもお見合いを重ねている。でも私は、しょせん合コンとか見合いは、「結婚」という目的のためだけに開催されるものだと思っている。
 結婚相手を鵜の目鷹の目で探すもんじゃないと思うし、それだけのために参加するなんて、私にはどうしてもできない。それが甘いと、よく言われるのだけれど・・・。

 結婚相手を見つけることよりも、結婚そのものに私は努力したいのだ。

 結婚して新しい家族を作るには、自分自身で決断し、その責任は自分で取らなければいけないと、私は思っている。だけど、見合いというのは、自分と相手の間に、全く関係のない人が介在する。私は、それがどうしても嫌なのだ。

 性格的なものだとは思うが、「ああ、この人を断ったら、仲人さんにまた手間をかけることになるなあ・・・」などという余計な気遣いを、私は絶対にしてしまう。
 私にとってこの気遣いは、結婚への決断に大きな障害となる。そんな気遣いをするくらいだったら、最初から見合いなどしない方がいい。

 私自身の未来への決断の中に、介在者は必要ない。決めるのは、切り開くのは、私なのだ。

 介在者なしで、自分が納得して選んだ相手と一緒にならないと、後悔するのは私自身だ。それに、そんな人とでなければ、本当の家族を作る努力もできないし、私のあこがれが満たされることはないだろう。
 そして、もし万が一別れるような事になったとしても、自分自身が選んだのなら、後悔することはないだろう。

 母のような後悔の人生は、私は送りたくない。

 他人同士なのだから、意見の対立もあるだろう。けんかもするだろう。
 でも私は、そういうことでさえ、あこがれているのだ。それによって、家族のつながりがより強固になるならば、家族が前進できる糧となるならば、決して無意味ではないのだから。

 最近、私は買い物先で「奥さん」と呼ばれることが多くなった。
 言い直すのも面倒なので「はいはい」と返事をしているけれど、こういう時、私は何だか、とても寂しい。

 運という物が持って生まれたものならば、私からは「家族運」というものが欠落しているのかもしれないと思うときがある。
 小さい頃、両親が家にいても、つらい思いをしたことがよくあった。とても寂しい思いもした。
 だからこそ、いつか中華料理店で見たような家族を、いつか持ちたい、作りたい。家族で、同じ思いを、共有したい。
 最良のパートナーと一緒に、あこがれを実現させたいと強烈に思っている。

 でもこの頃、ふと思う時がある。もしかしたら、私以上に両親が、「家族」にあこがれていたんじゃないかな、と。