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<ひーエッセイ 第14巻 ★★時の流れ★★>
発行日:'01/10/08(Mon)


 先日、すまのおばちゃんが亡くなった(詳細は、第12巻をご覧下さい)。
 入院から約2ヶ月。76歳だった。

 諸般の事情もあり、通夜・告別式は本当に地味なものだった。参列者は両日とも20人足らず。香典もなし、供花もなし。
 こんなに地味な式に参列したのは初めてだった。

 すまのおばちゃんは、私の母の姉にあたる。母の兄弟は、母を含めて7人。すまのおばちゃんが亡くなったことにより、存命なのは母のすぐ上の姉と妹の2人だけになってしまった。

 おばちゃんには、子供がいない。だから参列者のほとんどは、おばちゃんの兄妹の子供(私から見れば、いとこ)たちや、そのまた子供という具合であった。
 だけど彼らの中で、すまのおばちゃんと密接な関係にあったのは、ごく一部。どんな人かよく知らずに参列していた人たちが多かった。
 葬儀というよりも、「いとこ会」といった感じだった。

 読経が終わった後の通夜は、奇妙に明るい雰囲気だった。出前で取ったお寿司や、持ち寄られたおにぎりやおかずを食べながら、久しぶりの再会をお互いに喜び合っていた。
 皮肉なことなのだが、こんなに親戚が一堂に会するのは、冠婚葬祭の時だけだから当然かもしれない。私でさえ、小さい頃にすまのおばちゃんの所でいっしょに遊んだ従姉たちと、久々に再会できたのでうれしかったのだから。

 その夜の中心人物は、従姉の子供だった。女子高生だ。制服とルーズソックスという出で立ちのまま、京都から母親と一緒に参列していた。

 彼女は常々、この親戚同士で呼び交わされる愛称について、疑問を抱いていたらしい。
 彼女の叔父さんやお母さんに「にいちゃん、ねえちゃん」と呼びかける人がいるのはなぜなのか。
 外見上はどう見ても親子なのに、年下が年上に向かって「にいちゃん、ねえちゃん」と呼びかけるのはなぜなのか。

 既に亡くなってしまったが、私にも24歳年上の従姉がいたのである。私もその人のことを「おねえちゃん」と呼んでいた。
 そのことに対して私は特に疑問を感じていなかったが、よく考えれば不思議に思うのも当然である。

 母の兄妹が7人もいて、兄妹の一番上と一番下の年が20以上離れていることも原因のひとつだが、この兄妹の長男の華々しい結婚歴が、話しを余計にややこしくしている。

 大正生まれのこのおっちゃん、最初の結婚で昭和10年代生まれの子供を2人(年子)もうけて離婚、その後再婚して昭和20年代生まれの子供を2人もうけた。
 その後また離婚して再々婚、なんと昭和40年代生まれの子供を3人(この3人が、また年子!)もうけているのである。超絶倫パワー全開である。
 ちなみに、3人目の奥さんとも離婚している。

 この7人の異母兄弟たち、一番上と一番下の年の差は29歳! ほとんど親子である。
 そして最初の奥さんとの間にできた子供2人の子供たちと、3人目の奥さんの間に生まれた異母兄弟との年齢が、ほぼ同じなのである。

 わかってもらえますかねえ、この関係・・・。図で書けたらいいんですけどねえ・・・(^^ゞ

 このややこしい関係の説明を担当していたのが、その日参列していた一番年長の従姉(53歳・絶倫おじさんと2番目の奥さんの間にできた子供)だった。
 言葉で説明しきれなくなった従姉は、とうとう広告の裏に家系図を書き始めた。
 この時点で通夜であるはずの場は、爆笑の渦に包まれた場となった。

 家系図を書きながら、従姉は懇切丁寧に女子高生に説明している。他の人たちもその家系図をのぞき込み、説明を聞いていた。
 今日亡くなったおばさんの兄弟は7人であること、女子高生のおじいさんにあたる人は、その兄妹の上から3番目だったこと、1番上のおっちゃんが3人の人と結婚して合計7人の子供がいること、云々。

 女子高生は、素直な質問をぶつけてくる。
「兄弟は7人? なんで、こんなに間(年齢)があいてるの?」
「(おっちゃんが結婚・離婚を繰り返していることに関して)そんなら、このおっちゃん、悪い人なん?」
 説明者は、「そ、そんなことないんやけどな」って感じで、しどろもどろ。聞いている大人たちは大爆笑である。

 亡くなったおばちゃんの思い出話なんて、皆無である。だっておばちゃんに関する思い出話ができる人が、その場にほとんどいないのだから。
 なんてったって、参列者の平均年齢がものすごく若いのである。私自身は、そのことに衝撃を覚えた。

 私の母が亡くなったのが7年前。その時の葬儀の参列者とはまったく様相が違うのである。若い人たちも参列してくれてはいたが、年長者の親戚たちに押されていた。遠慮もしていた。気も遣っていた。

 わずか7年後、形勢は完全に逆転している。いつの間にか、年長者の親戚たちが若者に押されている。この親族の中心人物が確実に変わっている。今回の通夜でも、私ははっきりそれを見ることができた。

 母が亡くなった後、母の兄2人が亡くなった。そして今回のおばちゃんの死。
 世代交代というものは、組織という単位では意図的に行われるが、家族・親族という単位では人の死によって行われる。
 時代は確実に流れ、変わっていく。

 どこでも同じだと思うが、この兄妹間でもいろいろなトラブルが頻発していた。
 兄妹間でも歴然とした派閥があった。その派閥が違えば、めったなことでは連絡を取り合うことはなかった。兄妹の葬儀にも参列しない人もいた。金銭トラブルもあり、我が家もそれに巻き込まれた。

 だけど、自分たちの親や祖父母の世代で、そんな争いごとがあったということを知らない人たちが増えている。従姉の子供のそのまた子供も、続々と誕生している。
 時の流れって、本当に不思議だなと思った。そして、知らない人たちが増えることで、救われる人たちもいるのだ。

 翌日の葬儀でも、参列者は若干変わったが基本的な雰囲気は変わらなかった。骨上げを待つ間も、笑い声が絶えなかった。
 昔を振り返ることをする人はいなかった。現在や未来の話しで盛り上がっていた。

 私はこのすまのおばちゃんとの思い出がたくさんある。雰囲気があまりに明るいので、私は少しつらかった。誰かと少しはこの思い出を分かちあいたかったが、無理だった。

 風は少し強かったが、おばちゃんの葬儀の日はとてもいい天気だった。焼き場に併設されている待合室から外に出て、焼き場の煙突から吐き出される煙を見ながら、私はひとりでおばちゃんと向かい合っていた。

 沸き上がるような悲しみというよりも、もやもやとした悲しみを晴らそうと私は必死だった。ひとりでおばちゃんと向き合うことで、そのもやもやが少しは晴れるかと思ったけれど、いつまでも私の心に貼り付いていた。でも、とても静かな時間が流れていた。

 そうしている間にも、どんどん霊柩車がやってくる。そして、どんどん棺が焼き場へと吸い込まれていく。
 悲しみに包まれた人たちの回りを、何も知らずに子供がはしゃぎ回っている光景も見える。ああ、この家族たちも、ひとつの時代を終えたのだ。

 「死」をきっかけに、人は集まり、それぞれにその人への思いにけじめをつけ、過ぎた時代に別れを告げる。
 葬儀というのは、死者のためではなく、実は残された遺族のために考え出されたものじゃないかと、ふと思った。そしてもしかしたら、1人の死によって、その親族に訪れる新しい時代を迎えるために、遺族が無意識に必要としている儀式なのかもしれない。

 乾いていた今回の通夜・告別式。悲しみでさえ、どこか乾いていた。でもそれも、時の流れの結果なのかもしれない。