「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2004/09/23 発行
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第111巻 「痛い夏」
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 先日、墓参りに行った。
 我が家の墓は、高台の公園墓地にある。彼岸だというのに非常に暑い日で、ツクツクホウシならまだしも、ミンミンゼミがやかましく鳴き続けるのには閉口した。だけど確実に、季節は秋に向かっている。

 今年は、本当に暑い夏だった。そして、痛い夏だった。

 以前勤務していた職場の先輩に、Aさんという方がいる。
 年上の男性にもかかわらず、私となぜかとても気が合い、年齢・性別を超えて、今でも親しくお付き合いさせて頂いているのだが、そのAさんのご両親が、現在病床にある。

 Aさんのお母さんが悪性の脳腫瘍で倒れたのは、今から約3年前のことである。
 摘出手術は行われたものの、再び腫瘍がどんどん大きくなるのは時間の問題で、余命半年という診断であった。そして医者からは、後悔のないように看病してあげて下さいという、最後通告ともいえる言葉まで飛び出していた。

 当然、Aさんの家族はパニックに陥った。しかし一番混乱していたのは、当のお母さんであったという。なぜなら、今まで入院した経験は出産の時のみという、超健康体であったからだ。
 そんなお母さんを家族は優しくいたわり、家族一丸となり誠心誠意看病した。その一方で、冠婚葬祭の互助会にも入会し、葬儀はホールで行おうという話までされていた。お父さんは墓地も購入された。
 ある意味、お母さんの人生のゴールに向けて、粛々と準備は進められていたのだ。

 だが、医者でさえ予想もしなかった事態が生じる。

 原因はわからない。
 手術後に行われた放射線治療が劇的に効いたのか、抗ガン剤が体に合ったのか、はたまた個人的に飲用していたアガリクスの効果なのか、とにかく腫瘍の成長がストップしてしまったのだ。余命半年という目標に向かってしゃかりきに頑張ってきた家族たちも、半年が過ぎ、1年が過ぎるとだんだん疲れてくる。
 うれしい誤算のはずなのに。

 家族の疲れの大きな原因の一つが、お母さんが現実を受け止められなかったことだった。
 大病を患うのが初めてなので、病気の体に慣れることができず、「どうして自分はこんな風になってしまったのか」と、1日中嘆き暮らしていたという。元気なときはカルチャーセンターに通い、とても積極的に行動していたのに、リハビリもしようとせず、ただベッドでぼんやり過ごしていたそうだ。そしてだんだん被害妄想にとらわれるようになっていく。

 そう、最初にあまりに家族が病気のお母さんを、かまいすぎたから。

 また、看病する側の生活ペースが、大きく乱れたことも原因だ。
 Aさんは4人兄弟だが、兄弟全員が地方都市にある実家から遠く離れて、それぞれの生活を営んでいる。地元では仕事がないからだ。
 しかし地方の特殊性なのか、インフォームドコンセントだ、打ち合わせだ、相談だといって、再三病院や施設から「日時指定」で呼び出される。当然ながら指定日は平日だ。融通はきかず、ひたすら「先生様」の都合に合わさなければならない。まるで大昔の役所、そのものである。

 それになぜか、必ず先生様は「男性」を列席させるよう求めるらしい。4人兄弟のうち、男性は2人。お父さんも既に高齢なので、そのたびにどちらかが会社を休んだりして付き添わなければならない。遠方なので帰省する費用もばかにならないし、何より再三帰省していては、休養も取れない。
 そして次第に、親子・兄弟の小競り合いも起こり始める。

 そんな山あり谷ありの状況を知らないまま、お母さんは老健施設と病院を定期的に移動する日々を過ごしている。現在は要介護5の認定を受け、ほとんど寝たきり状態。病状は一進一退を繰り返しているが、痴呆症状が現れているとのことである。

 そして今年に入ってすぐ、今度はお父さんに大腸ガンが発見された。そしてその後の精密検査の結果、末期の肺ガンで手術も不可能と診断された。行われた処置は、便をスムーズに出すための人工肛門の手術のみ。
 肺ガンは確実に着実に進行し続けていて、お父さんはたぶん今年いっぱいはもたないという見通しだそうである。

 Aさんのご両親は、現在同じ病院に入院している。忙しい仕事の合間を縫って帰省し、病棟を巡るたび、寿命の不思議さや親子・兄弟のあり方、介護の現実などをしみじみと感じているそうである。
 そしてAさんは、私に時々ご両親のことをつらつらと語る。10年前、毎日のように山のような洗濯物を抱えて、会社帰りに母が入院していた病院に通っていた私の様子を、そしてそれを赤の他人ごととして傍観していた自分のことを、最近しみじみと思い出すそうである。

 中学時代からの友人に、Bさんという人がいる。

 彼女は高校時代、とてもすてきな恋愛をしていた。私はそんな彼女が、うらやましくて仕方がなかった。波瀾万丈あったようだが、2人は周りから公認の仲として認められ、将来絶対に結婚するだろうと誰もが思っていた。
 Bさんにとっては、生まれて初めての恋愛だった。彼女はとてもかわいい人で、始終いろいろな男性からアプローチを受けていた。だが彼女は、ひたすら彼のことを思い続けていた。

 それなのに、高校卒業後に2人は別れてしまった。そして別々の人と結婚し、子供もでき、それぞれ家庭を持った。
 ありがちな話ではある。だが、ただの自然消滅ではない、何か大きな理由があることは、様々なエピソードやいきさつから明らかだった。それが何なのか、彼女の口から語られることは一切なかった。2人の仲を知っている人間にとって、長年の謎だった。

 そしてこの夏、Bさんともう1人の友人Cさんと私が、本当に久々の再会を果たした。その席でBさんは突然、私とCさんの前で、初めて別れの真相の一端を語ったのだ。
 彼女は約20年もの間、誰にも何も語らなかった。それなのになぜそれまで閉ざしていたパンドラの箱の蓋を開ける気になったのか、それはわからない。それに全てを語ってくれたわけではないので、まだ不明な点も多い。

 ただその告白で、明らかになったことがある。
 それは、彼女が高校時代の恋を精算できないまま、約20年もの間、彼への思いを引きずり続けているということである。
 そう、もうすぐ40代になろうというのに彼女の心は、未だに高校時代をさまよっているのである。

 そして私やCさんに、彼女は問いかける。「私、どうしたらいいんだろう」と。
 彼女の悩みの深さに対してより、私とCさんはその愚問に対して頭を抱えるのだ。

 そんな質問に対する答えが、私たちに出せるわけがないのだ。私たちにできることは、彼女の話を聞いて感想を述べることくらい。彼女がどうしたいのか、どう生きたいのかを自分で決断しない限りは、私たちには何もできないのだ。
 なぜなら私とCさんは、それぞれの時代にきちんとけじめをつけて、大人になってしまったのだから。

 でも彼女には、それがわからない。繰り出す言葉は、常に後ろ向きだ。このままではいけないと思っているのだろうが、私とCさんがどうアドバイスしようが、前を向こうとはしない。
 彼女の精神は、まだ、高校生の状態でストップしたままなのだ。

 Aさんの語りから、私は何とも言えない心の痛みを感じる。それは、私の母の死から今年で10年、私の父が車椅子生活になってから今年で20年という、何とも不思議な偶然と重なり合う部分があるからかもしれない。

 そしてBさんの問いかけにも、私は心が痛くてたまらない。彼女はいつになったら高校時代を乗り越え、真の大人の女性になるのだろう。
 彼女はもっとすてきな人生を送れていたはずなのに。もっと幸せになっていい人だと思うのに。

 暑くて痛い、今年の夏だった。