「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2004/08/24 発行
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第110巻 「父と車椅子」
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 父が入所している施設では、様々なイベントが行われる。家族が同伴できる日帰り旅行もその一環で、先月には大阪の天保山という所で行われた花火大会鑑賞ツアーが行われた。
 こういったイベントに父はよく参加しているのだが、ほとんどは施設スタッフの方に付き添いをお願いしている。だが今回、当日が祝日だったことと、私自身が花火大会を見たかったという理由で、参加することにしたのである。
 父の体が不自由になり、母が亡くなってからというもの、病院や施設間の移動時以外で親娘で遠出することなど、初めてのことだった。

 車椅子で移動する人が多いため、移動手段はリフト付きバス。この日は、マイクロバスよりも少し大きめの中型バスだった。
 リフトには1台しか車椅子が載らないため、参加者ひとりひとり順番にリフトに乗せてバスの車内まで上げ、所定の位置まで連れて行く。私の父のように車椅子からバスの座席に移動が可能な人には、狭い車内にも係わらず上手に介助する。若いスタッフ達がこの一連の作業を、何度も何度も繰り返している。
「近頃の若い者は」と言われたりするけれど、こんな大変な作業を一生懸命こなしている若い人たちだっているのだ。仕事とはいえ、頭が下がる思いだ。

 それにしても車椅子というのは、なんて不便な物なのだろう。
 人の体を支える物だから仕方ないのだが、場所は取るしかさばるし、携帯するにも重すぎる。移動するのも大変だ。エスカレーターはもちろん使えないし、エレベータを利用すると1人で数人分のスペースを占拠してしまう。トイレだってそうだ。

 そんな時、父はよく「(こんな体になってしまって)情けない」と言う。父が車椅子から降りている時、私が父の車椅子に乗ると「そんなもんに、乗るな」と怒る。
 それでもここ10年くらいで、環境は格段に整備されてきた。車椅子用トイレも増え、駐車場には車椅子専用のエリアが設けられるようになった。町中で車椅子に乗った人を見かける機会も、以前と比べればぐっと増えた。
 でも私は、どんな便利な設備にも「車椅子用」と宣言していることは、実はとても悲しいことなんじゃないかなと思う。

 施設から会場まで、バスで1時間ほど。車内では、付き添いのスタッフと永遠にかみ合わない会話を続ける人、家族となごやかにしゃべっている人、自分の世界に入ってしまい、1人でしゃべったり突然居眠りしたりする人、様々である。

 父はといえば、花火よりも何よりも好きなのが、ドライブである。さっき食べた食事のメニューは忘れてしまっても、30年以上前のトラック運転手時代のことは昨日のことのように覚えている。私を相手に、なんだかんだとしゃべりまくっている。
 車窓の景色だけで正しい地名を述べた時には、思わず「恐れ入りました」と言いそうになってしまった私である。

 花火鑑賞場所であるWTC(ワールドトレードセンター)ビルは、地上55階建て。西日本一の高さを誇るそうである。バスから降りた私たちは、ビル風が吹く中、上を見上げる。

「高いなぁ」
「ほんまに、高いのう」

 傍でビルの警備員さんが、そんな私たちの様子をじっと見ていた。

 数年前に記録的視聴率をたたき出した「ビューティフルライフ」というドラマがあった。美容師の男性と、病気で車椅子生活を余儀なくされている女性との恋愛物語だったのだが、第1話で男性が女性の視線について言及するシーンがある。
 車椅子から見える世界は、高さ約100センチの世界。高さ100センチと自分とでは、見える景色や世界が違うんだろうな、という意味合いのセリフだった。

 2人でビルを見上げた時、その時のドラマのシーンをふと思い出したのだ。
 父と私では、このビルの高さだってきっと違う。「高い」という感覚だって違う。でも今、確かにこの高さを共有したんだなって。

 花火大会鑑賞の前に、バイキング形式の食事を頂く。父が入所している施設を運営している会社は、他にも同様の施設を運営している。この日もあちこちの施設からたくさんの方が来られていた。
 父は食べ物の好き嫌いが非常に多い。この日の料理の中で父が食べられる物は、ほんのわずか。それでも私が取ってきた料理を、少しずつ口に入れていた。

 それにしても、よその家族の風景を見ていると、私と父との関係のあまりの違いに愕然とする。落ち込んだりもする。

 私の左隣には、父とは違う施設からの参加者とその家族が座っていたのだが、親子共々とにかく上品である。声を荒げることもなく、ゆったりと食事を楽しんでいるという風情である。
 普段の私はといえば、父に対しておよそ親に対しての言葉とは思えない、ぞんざいな言葉遣いをしている。そんな私に対して、父は「鬼みたいや」と冗談でよく言う。私の父に対する態度は間違っているのかな、と思ったりする。

 右隣に座っているのは、父と同じ施設からの参加者。子供夫婦が付き添っていたのだが、痴呆気味で親子の会話は成り立っていない。それでも夫婦揃って親を花火大会に連れてくる、というのはすごいことだなと思ってしまう。
 もし父が痴呆老人になってしまったとしたら、私はこんな風にイベントに連れてきたりするだろうか。時と場合、症状にもよるだろうが、たぶん参加させないような気がする。そう考えるのはなぜなのか、自分でもよくわからないけれど。

 食事の後、花火大会が始まった。WTCの対岸で、次々と打ち上げ花火が上がる。そのたびに参加者から、歓声が上がる。
 集中力がない父は、花火を見る傍ら、花火とはかけ離れた場所の夜景を見ていたり、自分の周りをチェックしたりして、絶えずきょろきょろと落ち着かない。
 この花火大会のことだって、一晩寝ればたぶん行ったことすら忘れてしまうのだろう。

 そんな父だが、いつまでも結婚しない私に「お前がこれからどうなるんかって考えた時、心配で夜も寝られへん」とか「わしが早う、死んだったらええのにな」とよく言う。この日も言っていた。そして時に、卑屈になる。
 顔の血色も体調も非常によくて、決して寝不足とは思えないし、「わしはまだまだ死なれへんのじゃ」とすぐに言い直したりするのだが、そんな言葉を聞くと痛い。

 だけどその痛みをこらえ、私は父を叱咤する。
 父は甘えに非常に弱い。あっという間に楽な方に流されていく。一旦流されてしまうと、元のペースに戻るために元気な人よりも数倍のエネルギーが必要だ。
 だから私は、甘やかさない。1人でできることは、なるべく自分でするように伝える。時と場合によっては声を荒げて怒鳴り倒す。

 父には最後の最後まで、父らしくあってほしいから。人間らしくあってほしいから。でもこれが正しい方法なのかどうか、今でもわからない。

 車椅子だから、体が麻痺しているからという理由で、私は父に卑屈になってもらいたくはない。もうたぶん自力で自由に歩けることはかなわないけれど、それでも「歩けるようになって、家に帰る」という希望だけは持ち続けてほしい。
 それが私に残された、父の子供としての役割だと思うから。

 花火大会から施設に戻ったのは、夜の11時。
「気を付けて帰れよ」という父の言葉を受け、家に向けて愛車の原チャリを走らせながら、父とのほんの数時間の出来事に思いを馳せていた。