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<ひーエッセイ 第11巻 ★★私が会社をやめたわけ・幸せだったんだ★★>
発行日:'01/09/10(Mon)


 さて、退職届を提出したその後のことである。
 退職届と同時に、私は退職希望日の6月20日までの有給休暇願も提出していた。
 突然私が出社しなくなったのでびっくりはしたものの、結局は自分の思うとおりに事が運んだY氏は、かなりはりきって出社してきていたらしい。

 N氏からは、すぐ電話連絡が入った。
「届け、出したんやな」
「はい、出しました。すみません、何も言わずに」
「いや、わかるわ。今まで何回も引き留めてきたけど、今度ばかりは俺も引き留められへんわ」
「ありがとうございます。いろいろお世話になりました」
「俺も今回の件で、社長への見方が変わったわ。ショックやわ」

 N氏は、Y氏と分裂する際に私を連れて出なかったことを未だに悔やんでいるそうで、私に対する罪の意識がかなりあるらしい。1ヶ月に1度くらい、N氏は今でも「どないしてる?」と電話をくれる。

 社長からも何度かお電話をいただいた。「やめたいんです」「やめてもらっては困る」という押し問答を、40分くらい繰り広げた時もあった。

「そんなにあいつが嫌か?」
「はい、もう勘弁してください」
「なんでそんなに、あいつが嫌なんや? それまで仲良くやっとったやないか」
「・・・」
「あんたがいなくなったら、またYが何をするかわからん」
「・・・でも社長、Yさんが悪かったということで解決済みの話を蒸し返して、私を怒らはったじゃないですか。それもYさんの目の前で。あんなふうに言われたら、『会社としてはY氏をとった。もう何も言うな。嫌ならやめなさい』と取るのは、当然だと思うんですけど」
「そう取ったとしたら、心外や。私は、けんか両成敗の意味で言うたんやで」
「・・・(あかん、話にならんわ)」
「事務処理も滞ってるんや。そんなにやめたいんやったらやめてもええけど、引継はしてもらわな困る」
「Sさんがいたはりますやん。Yさんは、それを望んではったんでしょ?」
「いや、Sには6月20日付けでやめてもらう。決定や」

 このやりとりで、私には「Y氏の背任行為を報告した意味を社長はわかっておられるのか?」という疑問が一層深まった。言っても言わなくても結果は一緒だったのではないか、言わない方がよかったのではないかという思いは、未だにぬぐえない。

 Y氏を退職させるのに3ヶ月以上かかったのに、呼び戻すのに1ヶ月しかかからなかった。仕入先からの要請があれば、どんな人でも復活させるのか。会社としてのプライドはないのか。この会社では、何をしてもええんかいなっていう気にもなる。

 他の部署の責任者たちも、同じ考えを持ったようだ。そして、Y氏以外の人が同じことをやってたとしたら、即刻懲戒解雇だっただろうと言い合っていたらしい。
 社長のY氏への思いは、本当に特別なものだったのだ。今回の件で、私も骨身(脂身?)にしみた。

 そして、一番の貧乏くじを引いたS氏。S氏に退職勧告がされたことは、知ってはいた。でもY氏が止めると思っていた。
 S氏が入社した当時、人を増やす必要性などまったくなかった。それなのに、社長に頼み込んでS氏を入社させたのはY氏である。以来Y氏は、S氏を利用するだけ利用していた。そばで見ていて、「そこまでさせるか」と思うときもあった。
 借金の保証人にまでさせたのに、S氏をかばおうともしなかった。

 社長の突然の解雇宣告、それに対してのY氏の態度。さすがにS氏は落ち込んでいた。かなり抵抗もしていたらしい。でも結局、S氏は去っていった。私以上にY氏の行為の犠牲になったのは、S氏だったのだ。
 そして私もS氏と同じ日に、退職した。

 退職するまでの期間・・・特に昨年の春先くらいからはしんどくて、更に昨年の秋からは地獄のようだった。
 今思えば、中小企業ならどこにでもありえる出来事が勃発しただけのことだったのだが、私が持つ「常識」という概念ではとても考えられない出来事だった。私なりに悩んで、苦しんで、ストレスためまくった。

 いろいろな人に愚痴をこぼし、相談もした。でも、すっきりするのはその一瞬だけ。結局は、私自身が乗り越えていかなければならないのだ。悶々とした日々を送っていた。

 それまで弁当を作っていたのだが、体がしんどくて朝起きられなくなったため、いつしか昼食はコンビニ弁当になった。野菜ジュースを飲んではいたが、コレステロール値と中性脂肪値がはねあがった。慢性便秘に陥り、食欲はないのに体重が増えた。

 心の余裕もなくなり、いつもいらいらしていた。そしていつからか、「社長が今後のことを決めてくれないから、私の方向性も見えないんだ」と、偏った見方しかできなくなっていた。

 全ての面で悪循環にはまっていた私に、「物事を違う方向からも見ないと、結局何も見えなくなってしまうんだよ」という、ごくごく基本的なアドバイスをくれた人たちがいた。彼らのおかげで、私はある日ふと気づいた。
「社長が今後のことを決めても決めなくても、私のこれからの方向性を決めるのは私自身なんだ」っていう、あたりまえのことに。そして、私自身にも反省すべき点があったのだということに。

 このことに気づいたから、「私は会社の部品でしかない。私の代わりは他にもいる。会社のことより、まず自分のことを考えよう」と思えるようになったような気がする。そして、社長の言葉がきっかけではあったけれど、すぱっと会社をやめることができたのではないかと思っている。

 退職して、2ヶ月半経過した。やっと心がおだやかになり、落ち着きを取り戻した。胃腸の痛みも嘘のように引き、体重も減った。
 私にとってはきつい日々だった。けれど今回のことで、貴重なことを学ぶことができた。

 それまで私は、「幸せ」というものは人それぞれ全て違うと思っていた。どの人にも共通な「幸せの定義」みたいなものはないと思っていた。

 でも今回のことで、「この人の言うことなら、批判だろうが賛辞だろうが素直に受け入れることができる」って思える人が回りにいてくれることが、人間の幸せなんじゃないかなと思えるようになったのだ。
 もちろんそのためには、自分自身も変わらなければいけないけれど。

 私には幸い、こういう人たちがいてくれた。いてくれたからがんばれた。そして救われたのだ。

「今、そばにいてあげられないのが口惜しいです」というメールをくれた人がいた。
「Y氏の家に、襲撃や!」と憤ってくれた人もいた。
「できる限りの援護射撃をしますから、やめないでください」と言ってくれた人もいた。
「自分の信じた道を歩けばいい。それがどんな道だろうと(私のことを)信じているし、応援もしているよ」と励ましてくれた人もいた。

 「会社に行きたくない」と言いながら泣いたこともあった。自分を見失いかけたこともあった。けれど、私は幸せだったのだ。
 このことに気付いただけでも、私の退職までの苦しみは決して無駄ではなかった。

 会社をやめるという「大きな痛み」は伴ったけれど、この痛みのおかげで、次のステップに進むことができているのだ。それに、痛みはいつの日か必ず癒える。

 私はひとりじゃなかった。だから、ひとりで生きていけてたんだ。