「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★    2004/08/01 発行
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第109巻 「野球は日本の文化です」
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 第52巻「何はともあれ、野球です」でも書いたことがあるのだが、私は日本の国技は相撲でもサッカーでもなく野球だと、常々思っている。

 キャッチボールから始まって少年野球・高校野球・大学野球・社会人野球・プロ野球といった受け皿があり、夢見る野球人間を支えている。相撲では、こうはいかない。
 プロ野球選手になりたいという夢からドロップアウトしたおっさんたちが、たまの休日に集まって興じるのは草野球。おっさんには、サッカーは似合わない。というか、体力が衰えつつある彼等には、サッカーは所詮無理。

 野球の何よりの利点は、中途半端なスピード感。いつどこで山場がくるかわからないサッカーより、やたらしきたりが多い相撲より、適当に寝ころんだり、トイレに行けたり、周りの人とだらだらできる余裕のある中途半端さが、日本人にはぴったりなのだ。
 日本が日本である限り、野球は日本の国技であり続ける。私はそう思っていた。

 だが今、「プロ野球最大の危機」らしい。

 それにしても昨今のこの騒ぎは、尋常ではない。新聞もニュース番組もワイドショーも、専門家・素人が入り交じって、連日プロ野球問題を真剣に論じ合っている。今の日本人の関心事は国会よりも自衛隊よりも、プロ野球なのだ。
 まさに「国技」にふさわしい騒動と言えなくもない。

 私は、日本の野球は「文化」だと思う。この騒動は、日本の文化闘争なのだ。

 以前、関西ローカルのテレビ番組で、歌手のやしきたかじんさんがこうおっしゃっていた。

「野球がなくても、日常生活には何の支障もあらへん。野球なんてあってもなくても、どっちでもええもんなんや」。

 おっしゃる通りである。野球が今この瞬間に消滅しても、死ぬことはない。それなのに、なぜこんな大騒動になるのか。彼のこの言葉は、「野球はいったい誰のものなのか」という問題提起に等しい。

 選手への報酬を始め、チームや球団の運営には莫大な資金が必要だ。それを捻出しているのは、球団やチームを持っている企業だ。
 企業は、利益を追求するものだ。だから経営不振になれば、企業の都合で合併したりするのは致し方ないのだとは思う。1リーグ制も、時代の流れなのかもしれない。

 だが、某球団のオーナーが言うように、本当に選手達は企業の単なる1つのコマに過ぎないのだろうか。特にプロ野球を持つ企業が単なる損得勘定で、球団を運営してもよいものなのだろうか。

 アメリカから伝わった野球は、あの激しい戦争を乗り越えて、見事に日本に根付いた。日本にプロ野球ができて、今年でちょうど70年だそうである。よほど日本人の琴線に触れる競技だったのだろう。
 様々なスターが生まれ、名勝負や名シーンが生まれた。私などにはわからない日本独特の戦い方だって生まれたはずだ。そして日本の野球の隆盛は、今や韓国や台湾にまで広がったのだ。

 そしてあの応援合戦。楽器やら小道具やらを駆使し、歌を歌い、選手名を連呼したりする騒々しさ。社会人野球では、チアリーダーが登場する。高校野球などはふるさとの威信に賭け、老若男女が甲子園に集まってくる。
 何だか日本中のうっぷんやストレスがぱちんとはじけているようだ。

 これまで野球ファンは球団経営者を信じて選手をまかせ、応援のみに徹してきた。熱心な応援が選手を鼓舞させ、ひいきのチームの勝利を導き、優勝への階段を上るものなんだと信じ切っていた。そのために、声をからしていたのだ。

 野球ファン達が日本の野球の地位を上げ、文化の域に高め、成熟させたのだ。

 文化というのは、あってもなくても生きていくには困らないものだ。だから、生活水準が上がらないと文化は発展しない。言い換えれば、文化に興味を持つ余裕が日本に出てきたということなのだ。世界に通用する日本のスポーツ選手や芸術家や芸能人が近年増加していることが、その証だ。
 文化というのは、損得勘定で動くものではない。心の余裕が作り出すものだ。

 スポーツは文化であるということを見据えて戦略を立てているのが、サッカーだ。
 Jリーグは、今や着々とサッカー愛好者の底辺を広げている。サポーターと呼ばれるファン達が、チーム結成に携わることだってあるらしい。選手達も、自分の立場をよく理解している。決して自分が、企業のコマだとは思っていないだろう。
 自由に世界へ羽ばたき、その技術や精神を日本に持ち帰ってくる。それを許す土壌も固められつつある。
 このままでは近い将来、日本の国技がサッカーになる可能性もある。

 なのに、日本プロ野球の、このていたらく。

 同じ番組でやしきたかじんさんは、こうもおっしゃっていた。

「球団経営は、一種の道楽みたいなもんやろ。金が有り余って困っているという類の人がやらなあかんのとちゃうか。金は出しても、口は出さん方がええんとちゃうか」。

 テレビの前で、激しく同意してしまった私。

「たかが選手が」などと言い放っている某オーナーの言動を見聞きするたび、私はある種の痛みを感じる。
 こういうワンマン社長や雷親父の類は、本当に昔はたくさんいた。「つべこべ言わずに、オレの言うこと聞いとけ」とか「オレの言うとおりにしていたら、間違いはない」と言い放ちながら、回りの人たちを引っ張っていた。求心力もあった。今では「理不尽」だと言われるカリスマ性が通用した時代が、確かにあったのだ。

 だけどこれが通じるのは、文化的レベルが低い時代。先進国の仲間入りを果たし、生活水準が上がり、学校教育のおかげで知的レベルも上がった日本人。当然、視野も広がっていく。

 時代は確実に変わったのだ。

 某オーナーを始めとしたほとんどのお偉いさん方は、そのことに気付いていない。球団を持っているということは、日本の文化を担っているんだという誇りもない。日本の文化を支える一環として、お金を出せないものなのか。
 私には、それが痛いのだ。

 野球を文化にしたのは、野球を愛し、応援し続けたファンである。野球球団というのはもう企業の物だけではないのだと、野球ファン達はようやく気付き、声を上げ始めたのだ。その声に後押しされて、やっと選手達も動き始めた。

 この騒動は、まだしばらく続きそうである。
 どういう方向性で決着するのかはまだわからないけれど、この闘争は日本の文化の行く末を決めるものなのだと、私は思う。やれ1リーグ制だ、やれ合併だという単純な問題ではない。
 日本人が独自に作り上げた現代文化は、一体どこに行くのだろう。

 それにつけても、日本は本当に平和な国なのだと、つくづく思う。