「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2004/06/30 発行
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第107巻 「発泡酒騒動」
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 父が今の施設で暮らし始めてから、1年が過ぎた。

 父は「自分は痴呆ではない」という、富士山よりも高いプライドを持っている。だから入所している痴呆老人を非常に嫌う。特に絶叫型痴呆の人が入浴中や食事中に叫んだり暴れたりすると、父は怒り出す。

「やかましい!」
「黙って食え!」
「どつくぞ!」

「瞬間湯沸器」の異名をとる父は、思考が口と直結しているため、頭では考えずにストレートに暴言を吐く。私を含めて、父の暴走を止められる人はいない。

 それでもこの1年で、父は新しい環境に慣れ、私も職員さんたちに慣れ、職員さんもこんなとんでもない父の扱いに慣れて下さった。ありがたいことである。

 昨年の夏頃、父はビールを飲みたいと言い始めた。
 病院ではないので、基本的に職員さん達は入所者や家族の意向に添ったケアをして下さる。だが父は、アルコール中毒症で入院した経験もある。幼い頃に父の醜態をいやというほど見せつけられた私は、正直ためらった。
 けれど、父の希望を突っぱねる気にはどうしてもなれなかった。

 そこで施設長さんと話し合い、「1日に飲む量は、発泡酒1本」「飲み過ぎを防止するため、父の冷蔵庫でビールを保管させない(施設の冷蔵庫預かり)」という原則で、アルコールを解禁することにした。
 こうして、発泡酒500ミリリットル缶1本が、父の夜のお供となった。

 それ以前に、近くのスーパーへの買い物という習慣も始まっていたので、父の買い物リストには「発泡酒」が加わった。
 本当はバラよりもケース買いの方が安いのだけれど、施設の冷蔵庫を父の発泡酒で一杯にするわけにもいかない。何よりも、当時父は買い物に行くことをとても楽しみにしていた。多少費用がかさんでも仕方がない。
 しかしこの私の「愛情」は、すぐに問題を引き起こすこととなった。

 最初は、毎週私が渡すお小遣いの範囲内で買い物をしていた父だったが、次第に知恵がつき始めた。
 入所者に小遣いを持たせていないご家族は多い。そういう方のために、買い物等で必要となったお金を施設側が立て替え、翌月に1ヶ月分まとめて家族が支払うというシステムがあるのだ。いわゆる「つけ」なのだが、父はこれを多用するようになったのだ。

 このエッセイでもさんざん書いているのだが、父は金銭感覚というものが全くない。それに加えてかなりの見栄張りである。
 秋から冬へと季節が移ると、健康管理の面から、施設側は入所者をあまり外出させたがらない。そこで職員さんが入所者の代わりに買い物に行って下さるのだが、父は断るということを知らない。

 職員さんの「スーパーへ行くけど、何か買ってくるものない?」という声掛けに対し、父は必ず何かを頼むのである。「せっかく聞きに来てくれているのに、頼まんかったら悪いから」という訳のわからない理由からである。
 そして在庫に関係なく、必ず発泡酒購入はリクエストの中に入っている。

 そんなこんなで、父が使うお金は右肩上がりに増えていった。
 毎週渡す小遣いは使い切り、つけの額も月を追うごとに増える。なおかつ、施設や旅行社が主催する日帰り旅行にも行きたがるので、月1度だけの限定で参加を許可していた。これが参加者1人平均10,000円。車椅子で放浪人の父には付き添いが必須なので、平均20,000円必要なのだ。
 入所前に予想していた必要額より、あまりにも多すぎる。

 職員さんからは「(父の)部屋のゴミ箱に(発泡酒の)空き缶が2本入っていることがある」という声が聞こえてくる。本人に問いつめても「わしは意志が固いんじゃ。絶対1日1本しか飲んでへん。そんなにぼけてへんぞ」と豪語する。
 だけど施設から送られてくる請求書に添付されているスーパーのレシート束を見ると、とても「1日1本」とは思えない本数が記載されている。
 やばすぎる。父の健康よりも心配なのが、家計である。何とかしなければ。

 そして今年3月。また支払額が増えていた。
 もう限界だ。こっ恥ずかしいけど、施設長さんに相談しよう。請求書を見ながら決意したちょうどその時、電話がかかってきた。施設長さんからだった。

「今、立て替え払いのレシートをチェックしてるんですけど・・・」
「増えてます?」
「はい、今月ご請求分よりも今の時点の金額の方が多いです」
「げっ・・・」

 つけ金額激増ぶりを心配してのご連絡だった。

 その場でいろいろと相談し、私と施設長さんの間で「つけ払いの撤廃」「発泡酒は家族が持ち込む」という2つの方針を決定した。そして次の訪問時に、私から父にこの方針を告げることになった。

「しばらくはすねるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
「いいですよ。そういうのは受け入れますから大丈夫です。なんたってお父さんには『おばはん』って呼ばれてますから」
「すみません。機嫌の悪い時は、そうお呼びしているみたいで」
「いいですよ。もう慣れましたから」

 施設長さんは、たぶん私より年下の女性である。しかしさすがプロ、父の気性はもうよくご存じである。
 それにしても、申し訳ない。

 方針決定後の最初の日曜日。父に伝えたら、予想通り結構すねた。

「わしは絶対、ビールは1日1本しか飲んでへん」
「そやけどな、このレシート見てみ。足し算したらどう考えても多いやん」
「誰かが飲んどるんや。わしは飲んでへん」
「ちょっとちょっと、何で人のせいにするんよ。あんたしか飲む人、おらへんやんか」
「わしは、悪うない」

 そう、父は「自分を中心に地球が回っている」と豪語する人。

 時間をかけてよくよく聞いてみたら、風呂上がりに飲んでいるらしいということが判明した。風呂は1週間に2〜3回、入浴時間は昼間。
 結局、やはり1日2本飲んでいる日があったということだ。

「ここに長いことおいてもらわなあかんけど、このまま払うお金が増えたら、やっていかれへん。家族はあんただけちゃうねんで。私がおんねんで。それを覚えといてもらわんと」
「わしは金を使うたらあかんのか。情けないのう」
「1週間に5,000円以上も使う人、おらへんわ。旅行代はまた別やねんで。お金は限りある資源やで」
「こんなんやったら、死んだ方がましや」

 微妙にかみ合っていないこの会話。かわいそうなのはあくまで自分。私の話など、半分くらいしか聞いていない人なのである。

 そして、酒の量販店のチラシをチェックし、安い店で発泡酒をケース買いして、毎週7本ずつ父の元に運ぶという仕事が新たに加わった。
 父はすねながらも、発泡酒を私が持ってくるという環境に徐々に慣れていった。職員さん達の上手なあしらいが父を落ち着かせたことは、言うまでもない。
 本当に困った親父である。でも「発泡酒を飲ませなければよかった」とは思わないのが、自分でも不思議である。なぜだろうな。

 きっと今日も、父は笑ったり怒ったりしながら、自分なりのペースで過ごしているだろう。そして私は次の日曜日、発泡酒を原チャリに積んで父のもとへ向かうのだろう。