「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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目からうろこがぼとりと落ちる
     ★★ひーエッセイ★★     2003/12/08 発行
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第101巻 「貧乏自慢」
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 最近はどこに食事に行っても、必ず子供がいる。おおよそ子供が来るような場所ではない場所でもである。大人が連れて来ているのだから仕方がないのだが、「子供のくせに、贅沢や!」などという所帯じみたことをつい口走ってしまう私。
 そんな時に同年代の友人がいようものなら、必ずお互いの「貧乏自慢」が始まる。

 ほとんど同レベルの「貧乏自慢」がしあえるような人というのは、お互い磁石のように吸い寄せられていくものである。
 なぜなら、普遍的な価値観が似通っているからだ。

 私が小学生だった30年程前までは、まだ今よりも「金持ち」「貧乏」というランク付けがはっきりしていた。子供の洋服や持ち物を見れば、その家の裕福度はある程度把握できたものである。
 それに裕福な子供は私立の学校に行くと、相場が決まっていた。超大金持ちの家の子供とは、そもそも出会う機会もなかった。

 その頃の我が家はどん底とまではいかないけれど、かなり質素な生活をしていた。
 一人っ子だった私が着る服は従姉のお下がりで、つぎあてた靴下もはいた。私の勉強机の横には洗濯物が吊され、真後ろでは家族がテレビを見ていた。時には、テレビの横にある古いミシンを祖母が使う。

 風呂場の壁面には、最近ついぞ見かけなくなった「たらい」がかかっていて、洗濯機で洗えないようなシーツなどは、母がそのたらいで洗っていた。夜の洗濯もしょっちゅうだったので、入浴中だろうが何だろうが洗濯機の排水が風呂場の洗い場に流れてくる。

 その合間には、父と母のバトルが繰り広げられる。

 そんな落ち着きのない我が家ではあったけれど、両親は時々外食に連れて行ってくれた。外食といっても、駅前にある屋台の中華そばと焼き餃子である。特にその店の餃子は手作りで、何だか大人の味がした。
 ラーメン屋がなくなってしまってからは、やはり駅前にあった小さな中華料理店に通った。その店のオムライスは、本当においしかった。
 それに、やはり駅前の立ち食いうどん屋さんですする、きつねうどん(後年天ぷらうどんにバージョンアップしたのだが)と、かやくごはん。

 ささやかだったけれど、私にとってはそれがごちそうだった。

 私の親は共働きだったので、私1人で夕食を食べることも珍しくなかった。インスタント食品が世の中に氾濫し始めた時代だったので、インスタントラーメン・カレー・ハンバーグ等々にずいぶんお世話になって育った。
 ハンバーグは手作りできるものだということを、私はずいぶん長い間知らなかったくらいである。

 高校卒業後、スーパーでアルバイトを始めた。アルバイト先の近所には、マクドナルドがあった。
 それまで「ハンバーガー」という物を食べたことがなかった私。ある日、バイトの帰りに意を決して「フィレオフィッシュ」を買い、電車の待ち時間にホームの片隅でこっそり食べた。

 揚げたてのさくっとしたフライとタルタルソース。それをパンと一緒に食べるという、初めての体験、新鮮な驚き。世の中にこんなおいしい物があるのかと、感動してしまった。
 家では母が食事の支度をして、私を待っていてくれる。バイト帰りにこんな物を食べてしまったら、お腹がかなりふくれてしまう。それでもフィレオフィッシュにはまってしまった私は、見ると食べずにはいられなかった。お腹がふくれていることが母にばれるのが怖くて、かなり無理して夕食を食べたことを今でも思い出す。

 同時期に出会ったのが、「ドリア」である。
 大阪・梅田の地下街に「ミツヤ」という喫茶店がある。そこに「ドリアセット(だったと思う」というメニューがあった。ナポリタンスパゲティの上にクリームコロッケがのっていて、その上にとろけるチーズを置いて焼き目をつけた皿と、ドリアの皿、それに飲み物がセットになっていた。2皿ともミニサイズなのだが、結構ボリュームがあった。

 チーズが、ご飯の上やスパゲティの上にのっかっている。目から鱗が落ちるくらいの、強烈な出会いだった。何ておいしいんだろうと思った。食べるたびに幸せを感じた。
 しばらくは「ミツヤ」に入るたびに、「ドリアセット」を注文していた記憶がある。それに、「ウィンナーコーヒー」という代物にもびっくりしたなぁ。

 そして社会人になり、もっとおいしい食べ物に出会った。
 我が家のすき焼きは、母が肉が嫌いだったこともあり、水炊きに似たものだった。まず母のために野菜だけを炊いて引き上げ、その後で再び野菜と肉を入れて父と2人で鍋を突っついていたのだ。
 本当の、ほんまもののすき焼きを食べた時の感動といったら・・・。

「うどんすき」などというものがあることも、知らなかった。会社のイベントで行った「中納言」の海老は、すごくおいしかった。フォークとナイフを使うような店に行った時は、周りをきょろきょろと伺いながら食事をしていたような気がする。

 そんな生活をしていた私だから、つい「贅沢な」という言葉が出てしまうのだ。今や「贅沢だ」と考えること自体が、古いのだろうが。
 だけど貧乏を知らない今の子供たちは、「金持ちでも貧乏でもない、普通の生活」が実は一番幸せなことなんだと気付かないまま、成長していくんだろうな。それはそれで、かわいそうなことだ。

 私の育った家庭は、決して裕福ではなかった。もっとかわいい服も着たかったし、家にピアノがあるような生活にもあこがれた。
 だけど両親は喧嘩ばかりしていたし、離婚だ何だと大騒ぎもしていた。父は酒の飲み過ぎによるアルコール中毒の幻覚症状がもとで、ご近所に迷惑をかけていた。母は今で言うリストラで、勤め先を解雇されたりもした。祖母(母の実母)はわがままを言って、母を振り回していた。

 つらいこともしんどいこともたくさんあったし、何でこんな家に生まれたんだろうと親を恨んだこともあった。大人の嫌な面を見せつけられて傷ついたことも多々あったけれど、今友人と笑って貧乏自慢をしあえることが不思議だ。
「あの頃は幸せだった」とは決して思えないけれど、悪くはなかった。そう思えるのは、時の流れのおかげもあるだろう。

 貧乏自慢ができることは、もしかしたらとても幸せなことなのかもしれない。