「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

<ひーエッセイ 第9巻 ★★私が会社をやめたわけ・告発編★★>
発行日:'01/08/27(Mon)


 11月下旬に社長に退職届を提出したY氏、しばらくの期間は書類整理をしたり、私物の片づけをしたりしていた。しかし12月の声を聞く頃、その作業をぴたりとやめた。

 そしてFAXソフトを使って、自分のパソコンからFAXを送信するテストを繰り返すようになった。
 私の席は、FAX用紙の吐き出し口の前。いったい何をしているのか見てやろうと思うのだが、Y氏が脱兎のごとくFAXのそばまで来て、吐き出された用紙を奪い取っていくので、見ることができなかった。

 その作業が終わると、Y氏は「パソコン、落とさんといてな」という言葉を残して、自分のノートパソコンを立ち上げたまま帰宅するようになった。

 そして暇さえあれば、広告書籍媒体から会社に届いたユーザーの情報を、自分のパソコンに入力するようになった。またY氏は、それまで取引をしたことがない所や、問い合わせすら来たことがないような所に営業に行くようになった。
 Y氏はそれまでそんなことをしたことはなかった。大きい物件の問い合わせや注文をくれた所にしか、営業に行かない人なのだ。出張までするようになった時点で、「なんか変だな」と私は感じていた。

 そんなある日、私は1人で事務所に残って仕事をしていた。私が使用するパソコンの横にあるターミナルアダプタが、「かちっ、かちっ」と音を立てた。
「何だろう?」と思い、何の気なしにY氏のパソコン画面を見た。そのとき、Y氏のノートパソコンの画面がFAX受信画面に切り替わったのである。
 その画面を見た瞬間、ここ最近のY氏の行動の謎が1本の線になって、私の頭の中でつながったのだ。あまりのことに、私はあきれて声も出なかった。

 Y氏は、パソコンに入力したユーザー宛に、会社のISDN回線のうちの1本を占有してFAXでダイレクトメールを送信していたのだ。FAX送信元の宛先には、Y氏が設立した個人会社名が明記されていた。FAX番号として記載されていたのは、会社が使用しているISDN回線のうちの1本の番号。
 FAXソフトを立ち上げたまま帰っていたのは、そのダイレクトメールのレスポンスを受け取るためだったのだ。

 つまりY氏は、会社の経費や資産を流用して、自分の個人会社のPRに努めていたのである。

 ちなみにY氏は、私の所属していた事業部のトップという立場だけではなく、取締役にも就任している「役員様」である。
 私の「背任行為(詳細は、前号をご覧ください)」とは比較にならないくらい超立派な「背任行為」を、私は偶然発見してしまったのだった。

 このY氏の「背任行為」を発見したときから、私の退職へのカウントダウンは始まったのかもしれない。

 そのすぐ後、Y氏が退職届を撤回したという情報が私の耳に入ってきた。Y氏は社長に、こうおっしゃったそうである。
「一から出直して頑張ります。これからも仕事をさせてください」
 私はその情報を聞いたとき、めまいがして倒れそうになった。自分の会社が軌道に乗るまで、会社を利用しようという魂胆がみえみえだったからである。

 事業を興して自分が社長になりたいという気持ちは、わからないでもない。在職中に独立の準備をスタートさせる人も多いと聞くから。
 だけどせめて、社外で準備をスタートさせてほしかった。自分の立場を、わかっておいてほしかった。

 Y氏は退職予定日となっていた12月20日以降も、しれっとした顔で出社してきていた。あれだけきっぱり「私の決心は固いです」と言い切っていたのに。並の根性ではない。
 このことに関して、Y氏からの私たちに対する弁明は、何もなかった。そして、誰も、何も、聞かない。

 その後もどんどん、Y氏の背任行為の証拠が手に入った。私が証拠を集めようと努力したわけではない。勝手に転がり込んでくるのである。
 自分が興した会社の資料や預金通帳、国民金融公庫への借金の申込書のコピーや、営業車やコピー機などの見積書などが、Y氏の机上に放置したままの時もあったのだ。

 私はY氏に試されているのかと思った。「背任者」の私を陥れる罠だとも思った。でもあとでわかったことだが、わざとでも何でもなかったらしい。
 私とY氏の席の距離は、約1メートル。私の矯正視力は、両目とも1.0。置いておいても見えないと思っていたんだろうか。それとも「あいつになんか、俺のやっていることなんてわかりっこない」と思っていたのだろうか。
 なんでそんな大事な物を、机の上に置いたまま帰宅するのか。どういう神経の持ち主なのか、未だに謎である。

 借金の保証人の欄には、暇な時はよくお昼寝しているS氏の名前が記載されていた。間柄欄には「友人」と書かれていた。

 社長はよくY氏に、S氏をリストラするよう命令していた。なぜならS氏は気のいいおっちゃんなのだが、私から見ていても歯がゆいくらいに仕事ができない人だったから。得意先や仕入先の評判も、非常に悪かった。何しろ自分のわからないことは、お客さんに対してはっきりと「私、わかりません」と言い切る人だったのだから。

 そんなS氏に対して、Y氏は異常なくらい気を遣っていた。Y氏よりも年上とはいえ、S氏は自分の部下である。それなのにY氏は、S氏に対しては敬語を使っていた。

 事務所閉鎖話が出たときも、社長はまたS氏のリストラ問題に触れた。その時Y氏は社長に、S氏の代わりに私を解雇したいと打診したそうだ。社長は「あほか!」と一喝してくださった。Y氏がどうしてそんなことを言い出すのか、社長は不思議に思われていたそうである。

 保証人を引き受けてもらっていたんだもの、気を遣うのは当然だったのだ。

 このままY氏の行為を黙って見ているべきかどうか、私はさんざん悩んだ。悩み抜いた末、年が明けてすぐ、私は社長に事実を報告した。Y氏の机上に置かれていた、数々の証拠書類のコピーも提出した。
「あんた、何を言うてんねん」と社長から相手にされなかったら、私はその場で退職する覚悟だった。

 社長は「よく知らせてくれた」とおっしゃってくださった。でもY氏への処分は、なかなか下らなかった。
 社長はY氏のことを、とにかく気に入っていた。「今まで会社に貢献してくれた」と感謝もしていた。その愛情は、私が想像する以上の深さだった。
 社長は、Y氏が自分から「事業を興したい」と相談してきてくれるのをひたすら待っているように、私には思えた。

 社長は、Y氏への怒りの言葉を口にはしていた。でもそれには、「今まで30年近く頑張ってきたのに、こんなことをして情けない」という哀れみの意味合いが多分に含まれていた。そのうえ、Y氏をかばうような発言もされていた。
 このままY氏の行為を放っておけば、会社の不利益につながるかもしれないという危機感は、社長の言葉からは感じられなかった。

 Y氏は今年に入ってから、本社(事業部のある場所から、車で約1時間ほどの距離)に全く顔を出していなかった。事業部の営業成績がずっと悪いので、社長に会わないようにひたすら逃げ回っていたのである。

 私の告発のあと、社長は時々事業部に顔を見せてくださるようになったが、社長が来るという情報をキャッチすると、Y氏は決まってS氏を連れて脱兎のごとく事務所を飛び出して行く。
 その様子はまるで、親から怒られるのが怖くて逃げ回る子供のようだった。

 このままの営業成績が続けば、半年後には事務所が閉鎖されるかもしれないという発表があったのが、前年の9月。営業成績の上昇のきざしは、全く見られない。今後のことも、何もわからない。
 私は精神的にかなり不安定な状態になっていた。体の調子も狂い、十二指腸潰瘍が山ほどできた。

 私の告発から2ヶ月。逃げ回るY氏を、社長がいよいよ捕まえることになる。

<次回に続く>