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<ひーエッセイ 第7巻 ★★お前はまだ早い★★>
発行日:'01/08/13(Mon)


 私の父は約15年前の「くも膜下出血」が原因で、左半身が不自由な身になった。現在も入院してリハビリに励んでいる。

 父はこの病気で倒れる前から様々な病気になり、手術も何度も経験している。言葉は悪いが、いろいろな医者が父の体をあちこち切り刻んだといっても過言ではない。生死の境をさまよったこともあったのだが、そのたびに不死鳥のようによみがえってきた。
 それまでたいした病気もしなかった母が、闘病生活1年で父よりも先に亡くなるなんて、思いもしなかった。

「あんた(すみません、私は父のことを『お父さん』とか『パパ』とか『ダディ』とは呼べないのです)、体中あちこち切ってもらったし、あとは顔を切るだけやな」
「あほか、お前は」
「ついでに、その根性も切って治してもらい」
「あっはっは・・・やかましいわ」

 手術するたびに、生活する上での制限事項というものも増える。特にたばこは、絶対にやめなさいと医者に言われていた。酒も浴びるように飲むので肝硬変になって黄疸が出て、挙げ句の果てにアルコール中毒症にもなったので、酒もやめなさいと言われていた。
 でも現在のような状況になるまで、父はたばこも酒もやめようとはしなかった。やめられなかった。

「酒もたばこもやめて、今は仏さんみたいなもんや」
「あんたはやめたんと違う。そういう状況に追い込まれただけやがな」
「そんなことあらへん。きっぱりやめたんじゃ」
「そやけど、今目の前に、たばこと酒があったら、すぐ手を出すくせに」
「・・・チューハイがええなあ」

 1週間に1度、私は父に会いに行く。病室で私と父は、まるで漫才のようなやりとりを毎週繰り返している。父はその日食べたおかずの内容はすぐ忘れるが、昔のことは鮮明に覚えている。だからどうしても、昔話が多くなる。印象に残っていることを、何度も繰り返し話してくれる。

 その中の一つに、「わしは三途の川を2回見たんや」というのがある。父は生死の境をさまよったことが何度かあるので、「いつ見たのか」というのは本人にもよくわかっていない。ただ2回とも、景色はまったく同じだったそうだ。

「きれいな花が一面に咲いてるんや。そのまんなかに道があって歩いていったら、社(やしろ)があるんや。その社をくぐったら、三途の川や。そこに渡し船があって、乗って向こう岸に渡って、おりたらあの世や。あの世も一面花畑や。それはきれいやぞ」
「ふんふん」
「その社で、『お前はまだ早いから帰れ』って言われたんや」
「誰に?」
「そんなん、覚えてへん。帰れって言われたから引き返した。そしたら、目が覚めた」
「へえ・・・」
「1回、三途の川への渡し船にも乗ったで」
「うそ! 乗ったのになんで・・・?」
「他のやつと一緒に乗って、向こう岸まで着いたんや。降りようと思ったらまた『お前はまだ早いから帰れ』って言われたんや」
「誰に?」
「わからん」
「帰りの船は、1人やったん?」」
「わし1人やった。もと来た道を戻ったら、目が覚めた。そのとき、医者と看護婦がわしの名前を叫んでたわ。麻酔がさめんかったらしいわ」
「・・・2回三途の川見て、2回とも戻って来た人なんておらへんで。信じられへんわ」

 私は「死ぬ」ということが、まだ自分自身の実感としてはない。でも父は、「死ぬ」ということがいつも頭から離れないんだと思う。だけど、「死にたくない。まだまだ生きていたい」という思いが人一倍強いんだろう。その類い希なる「欲望の強さ」に、あの世の管理人さえもギブアップしたんだろうなあ。だから2回とも三途の川から戻ってきたんだと思う。

 考えてみれば、父は欲望の固まり。家に帰りたい。免許をもう1回取って車を運転したい。旅行に行きたい。うまい寿司が食いたい。晩酌がしたい。矢継ぎ早にしたいことを口にする。こんなに世の中に未練を残したまま、もし今父に死なれては、夜な夜な枕元に化けて出られそうだ。

 父は、短気で勝手気ままな人である。気が小さいくせに、けんかっ早い。自分の思い通りにならないと、気が済まない。体が不自由になったので手は出せないが、「いてまうぞ!」という大変上品(!)な口げんかを展開する。
 持ったお金は金額の大小にかかわらず、その日のうちに使い切る。給料が手渡しだった時代は、明細通りの金額が給料袋に入っていたことはなかったらしい。子供がそのまま大人になったような人なのだ。

「もっと金を置いとけや」
「ここは病院やで。なんで1週間に2,000円も使うんや。いくらにしても全部使うくせに。ほんまはもっと減らしたいんや」
「お前は、鬼のようや。お母ちゃん(私の母のこと)やったら、なんぼでも置いといてくれたのに」
「何言うてんの。私はお母ちゃんみたいに、甘ないで。あんたの金遣いの荒さに、母娘がどんだけ苦労したと思ってんねんな。これ以上は置かへん」
「・・・ちぇっ」

 性格のせいだとも思うが、病院で父がけんかするのは、きっといらいらするからだろうと思う。生きていたいという欲望は強いけれど、欲望が強い分、年々歳をとっていっていつか死んでしまうんだという不安な気持ちも、人一倍強いのだろう。不安に押しつぶされそうになってしまうときがあるんだと思う。

 でも、「けんかをした。あいつは気に食わん」とぶつぶつ言う父を、私はいつも叱りとばす。
「向こうが悪いばっかりと違う。いやなやつやと思ったら、無視しといたらええやんか。あんたも悪いんや」と。

 父がいらいらする気持ちは、痛いほど伝わってくる。いっしょになって、相手の悪口を言ってやろうかとも思う。でも私は、そういう態度はなるべくとらないようにしている。なぜならそれは、父に同情することだから。どんなにあかんたれの親父でも、私は父をひとりの人間として、対等に接していきたいから。
 それに父に同情してしまったら、父の生きていたいという欲望は、きっと萎えてしまうだろう。

 だけど、「子の心、親知らず」。父は元気な頃から、どんなに自分が悪くても「自分が悪かった」とは思わない人。だから話はいつも堂々巡り。私の本心なんて、わかってくれてるかどうかわからない。

 でも私が帰った後、「娘に怒られた」と回りの人にぼやいているそうだ。なんだか、とても、うれしそうに。