コアすぎる、話

 

   


Vol-02 「さびしんぼう」

 その3 なんだかへんて子

 「さびしんぼう」の原作は、山中恒さん作の「なんだかへんて子」という児童小説である。
 先日図書館に行って、この本を借りてきて読んだ。

 主人公である井上ヒロキは、小学4年生。母親であるタツコさんに、毎日がみがみとしかられてばかりいる。親友は、同級生のトンガレ(「トンカツ屋のせがれ」の略)。
 そんなヒロキの前に突然現れるのが、名前を田中タツコと名乗る、へんて子な女の子。ヒロキと同じ、小学校4年生。ちなみにこの田中タツコという名前は、ヒロキのお母さんの結婚前の名前である。

 へんて子は様々な騒動を巻き起こし、ヒロキもタツコさんもその渦の中に巻き込まれる。
 でもある時、2人は気付くのだ。へんて子とタツコさんが同一人物であることを。

 原作と映画でまず大きく違うのが、主人公たちの年齢設定である。映画では主人公たちは高校生だが、原作では小学4年生。
 そして映画に登場する、あの自転車に乗った「さびしんぼう」にあたる女性は、原作では登場しない。

 本を読み終わって感じたことは、原作を忠実になぞって映像化することが原作者の意図を完璧に表現できたと言い切れるわけではないんだな、ということだった。

 小説を元に映画やドラマなどを作るためには、原作自体がすばらしい作品でなければ、イメージが広がらないだろう。そして映像化する側の人たちも、原作者の心が理解できないと、よい映像作品は生まれないと思う。

 山中さんが小説の世界で描かれたことと、大林監督が映像の世界で描かれたことは、結果的には少し違う。
 でもお二人が意図しておられる根幹の部分は、同じなのだ。

 山中さんは「なんだかへんて子」を大切に育てられ、その気持ちを受け継いで大林監督が「さびしんぼう」を大切に制作されたのだ。
 だから公開から20年近く経過した今でも、たくさんの人々の心の片隅に残る作品となり、DVD化もされているのだ。

 この本のあとがきで大林監督はこう述べておられる。

「文学者も映像作家も、創作に立ちあうときの心の想いは、きっと同じものであるだろう。その心の在処を(ありか)をまさぐり、それゆえの文学的冒険を映画的冒険として引き継ぎえたときのみ、文学の映像化は輝きをもつものだと思う」(偕成社文庫「なんだかへんて子」あとがきより抜粋。

 Vol1でとりあげた「愛の嵐」もそうだけれど、私が「さびしんぼう」に惹かれたそもそものきっかけは、もしかしたらこの大林監督の言葉そのものだったのかもしれないな。

*「なんだかへんて子」は、数社の出版社から刊行されています。私が読み、大林監督のあとがきが掲載されているものは、偕成社文庫版です(ISBN4-03-550820-9)。

('03/06/17)