コアすぎる、話

 

   


Vol-01 「愛の嵐」

 その14 においたつ美しさ

 この「愛の嵐」というドラマは、1986年夏に放映されたドラマだ。現在とは違って、ハイビジョンだのクリアビジョンだのという高度な技術は、まだ使われてはいなかった。
 それでも、このドラマの映像はとても美しかった。

 まず、風景が美しい。
 三枝家の小作人達が働く、花が咲き乱れる畑。
 伝右衛門が猛に「ここが、甲斐の国じゃ」と言う、高台。
 猛が吊された木がある、寺の境内と参道の階段。
 まむしにかまれたひかるをおぶって猛が走る、山。
 一度は結婚が許されたひかると猛が喜びを爆発させる、川。
 そして、幼いひかると猛が手をつないで走る、三枝家の前景。

 時折アップになる三枝家の玄関にかかる表札の古さ。あれだけで、三枝家が格式のある家だということがわかる。
 初めて三枝家にやってきた大河原が、それを見て武者震いしたのだから。

 セットも美しかった。
 三枝家の屋敷の中、琴子さんの家、大河原の家(廊下の照明が凝ってた)、赤と黒、そして銀馬車。
 銀馬車で演奏していたジャズバンドは、ほんまものだったのだ。

 登場人物の所作も美しかった。特に絹さん。
 手をついて頭を下げる姿、立ち去っていく人を引き留める時に、立ち上がらずに腰だけ浮かせる姿、ふらついて倒れるときの倒れ方。
 とても色気があった。

 ドラマ後半の猛とひかるの愛情表現も、とても美しかった。
 この2人のラブシーンは、なかったに等しい。でも2人が視線をからませるだけで、立派なラブシーンになっているのだ。

 愛し合いながらも、立場の違いで敵対し合う2人。そんな2人は向かい合い、お互いの目をじっと見つめ合う。
 そしてどちらかが、ふと視線をはずすのだ。これが実に美しい。

 だから、ふとしたことで2人が手を握ったり、猛がひかるの肩を抱いたりするだけで、2人の切なさが画面から伝わってくる。
 絹さんが危篤になり、大河原の家から走って戻ってきたひかるは、迎えに出ていた猛と自然に手をつないで座敷に駆け上がる。
 お互いがお互いを必要としているということが伝わってきて、とても美しいのだ。

 テレビ画面からわきあがる、においたつような美しさ。映像技術が発達していなくても感じられる美しさが、このドラマにはある。
 昔の白黒ドラマや映画に共通して存在した、「行間の余韻」が感じられるから、美しいと感じるのかもしれない。

('02/11/26)