コアすぎる、話

 

   


Vol-01 「愛の嵐」

 その12 おぼっちゃま

 「愛の嵐」というドラマは、猛とひかるの愛の物語ではあったけれど、彼らを囲む様々な人たちの愛の嵐を綴ったドラマでもあった。
 ひかるの兄であり、三枝家の総領息子である
文彦ぼっちゃまも、彼なりの「愛の嵐」を巻き起こした。

 大正・昭和前期の大地主の一人息子である。その権力たるや、今では想像も付かないくらい絶大なものである。同時に彼は、将来父の後を継ぐという重責を、生まれながらに背負っている。食事の時の席は、父と並んで上座である。母よりも上席なのである。
 そして三枝家の小作人・使用人にとっては、
未来の主人である。

 だから、ぼっちゃまは何不自由なく成長してきた。彼の行く手を遮る人間は、誰もいない。どんなに自分が無茶をしても、それを悪いという人など、誰もいない。
 誰もが自分の言うことをきく。誰もが自分をかばってくれる。学校の先生さえも、彼には手出しが出来ない。

 ぼっちゃまには、
向かうところ敵なし状態だった。
猛が来るまでは


 自分が一人息子だったことで、地主としての大変な重責を1人で背負うことになってしまった伝右衛門は、猛に将来文彦の補佐役を務めてほしいと願う。
 気が短くてやんちゃではあったけれど、猛は利発な子どもだった。伝右衛門が猛だけに吐露する、地主としての苦悩や家族への愛。猛は子どもなりに伝右衛門を理解し、人間的に彼を尊敬するようになる。
 そして猛は、三枝家への忠誠を誓う。

 自分への愛情から猛を引き取ることにした親の気持ちが、苦労知らずで育ったぼっちゃまには理解が出来ない。幼い頃は「子分」を使って、猛を徹底的にいじめる。
 父親が自分よりも猛のことが好きなのではないかと、ひねくれたりすねたりして、最終的に母親の胸にしがみつく。

 そして、
すぐ泣く。泣けば誰かが助けてくれるから。

 思春期に入ってもそれは変わらない。何よりも怖いのが、父の叱責。母のあきらめ顔。でも猛への劣等感やひがみ根性は抜けない。親に嘘を付いて女郎屋通いをし、村の娘を襲ったりする。

 大人になっても、ふらふらふらふら。終戦後、農地解放で地主・小作人という関係が崩壊し、ぼっちゃまが拠り所にしていた砦が崩れる。作家を目指して上京するも、「カストリ雑誌」にさえ掲載拒否される日々が続く。

 そんなぼっちゃまが突如更生するのは、ドラマ終盤である。絹が置いておいたお金を文彦が盗み出し、それを知った猛が木刀で彼をぶとうとした時に、絹がこう叫びながら文彦をかばったことがきっかけだった。

「ぶつのなら、私をぶって! この子をこのようにしたのは、やはり私なのです」

 その後、大河原から無事に屋敷が三枝家に戻り、タイミング良くぼっちゃまが故郷に引き上げてくる。そしてその直後、絹が亡くなる。
 葬儀の席で、ぼっちゃまは親不孝の極みだった自分を悔いて泣き崩れる。両親が寄せてくれていた自分への愛情に、ようやく気付く。
 彼もいろいろな嵐の中でもまれ、やっと本当の愛をつかんだのである。

 猛とひかるの旅立ちの直前、仏壇の前で文彦が伝右衛門の形見の金時計を猛に手渡すシーンがある。

「この金時計を持つ人間は、お前しかいないんだ」

 何が大切なのかを知った人間でなければ、あの金時計を猛には渡せない。

('02/10/12)