めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

17.死を見つめること(2004年5月執筆)

母は今から10年前に亡くなったのだが、私はその事実を父になかなか告げられずにいた。夫婦仲はよくはなかったし離婚話も出ていたけれど、少なくとも父は母に対して絶大な信頼を寄せていた。その母が入院したという事実は、当時既に病床にあった父を興奮させ、体調を悪化させる原因ともなった。

そんな父を間近で見た私は、母の死を告白するべきかどうかをずいぶん悩んだ。告白することで、父の様態が急変したらどうしようか。父は果たして「母がこの世にはもういない」という事実に耐えられるだろうか。私はずっとその不安を抱えていた。きっかけをつかめないまま、そのままずるずると歳月が流れていった。

病院のケースワーカーさんの助けを借りて父に告白したのは、母の死から8年後のことだった。父は子供のように泣きじゃくり、一時はずいぶん落ち込んだ。だけど彼は母の死を受け入れ、乗り越えたのだ。告白から2年が経過した今は、母の思い出話を2人でできるようにもなった。
父が母の死を乗り越えることができたのは、8年という長い年月の賜だと思う。けれど私にも必要だったのだ。父がもし様態が急変したとしても、それが彼の運命なのだと割り切るまでの年月が。

どんな形であれ、人は誰でも死を迎える。その後に残された身近な人たちは、否が応でもその死を見つめ、悲しみやつらさを乗り越えていかなければならない。それはとても痛いことだけれど、人間として逃げてはいけないことなのだと思う。私たち父娘も時間はかかったけれど、母を共通の思い出にすることができたのだから。

人の死を見つめることは、自分の生き方を見つめ直すことだと思う。死んでいく人たちは身をもって残された人にそのことを教え、命の大切さを託すのだ。