めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

12.自分に酔う親(2004年3月執筆)

先日、知人(女性)から届いたメールに、子供(幼稚園児)の懇談会での出来事が書かれてあった。その懇談会で、自分の子供の成長をひとりひとり語るという「コーナー」があったらしい。私にとっては、懇談会でこのような「コーナー」があるというのが珍しく思えたのだが、考えてみれば当然かもしれない。クラス替えするのも困難なほど子供が減ってしまった昨今、懇談会に集う大人の数だって減っているのだから。

彼女のメールによれば、そのコーナーはさながら親の独演会。数分間、とうとうとしゃべり続けるという人はざら。中には涙ぐみながらしゃべるという人もいたそうである。そんな様子を見た彼女、気分がさーっと引いてしまう自分を感じ、考えさせられたようなのだ。
「他の人は『立派』なのに、私は子供のことを何も考えてないんじゃないか」と。

何度もこのメールを読み返したけれど、私にはこの親たちが「立派な親」だとは思えなかった。ただ単に、子育てしている自分自身に酔っているだけだと感じられてならなかった。

子供への愛情の注ぎ方は、親によって全て違う。だけど、必要以上に子供に密着し、一心同体に近い状態になっている親子が最近増えているような気がする。たとえば「子供に〜してあげる」という言葉遣いをしている親がよくいる。これも、親の「酔い」の一種だろう。
私はこの言い方に強い違和感を持っている。どうして子供にへりくだらなければいけないのだろう。「〜してやる」でいいんじゃないのかと。親としてのプライドはないのかと。
彼女は「自分に酔う親」の存在にとまどったのではないかと、私は思う。

親の酔いがいつ覚めるかで、子供の成長具合も変わってくるんだろうな。