めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

09.子供の「出力物」(2004年1月執筆)

先日友人が2人の子供を連れて、我が家に泊まりがけで遊びにやってきた。長男・小学1年生、次男・保育園児(3才)。彼等に会うのは約半年ぶりである。
この子供たちはなかなかの「天然キャラ」の持ち主。その言動に爆笑してしまうことも少なくない。だが、半年前と比べて確かに変化している。特に上の子は、心の成長が著しいと感じた。友人は「相変わらずや」と嘆いているけれど。

大人になると、自分のテリトリーにいる人たちが「変化しない」ということに安心感を覚えたりする。でも子供だけは例外で、接するたびに何かしら変化していることに安心感を覚え、大いに刺激を受ける。

「上り坂人生」にいる子供の成長スピードは驚異的だ。見るもの聞くもの、いいも悪いもひっくるめて何もかも吸収していく。
吸収したものは子供の心の中で適当に加工されて、突然様々な形で出力される。いびつだったり、突飛だったり、実用性に欠けていたりする「子供の出力物」を直接受け取る機会が滅多にない私は、そのたびにどぎまぎする。でも出来る限り、私は一生懸命受け止めて私なりに加工して、また子供に投げ返す。
それを子供は、再び吸収して再加工する。また違う形となって出力される時もあるし、そうでない時もある。

「子供の出力物」の加工の仕方は、人によって千差万別。子供はそこから人間の多様性を少しずつ覚えていくのだろう。そして大人は、心の柔軟性を忘れてはいけないのだと子供に教えられる。
子供が無事「人間の大人」になれるかどうかは、大人が子供を「子供」としてだけでなく「人間」として見守ることができるかどうかにかかっているのかもしれない。

あどけない2人の寝顔を見ながら、彼等はこれからどんなふうに成長していくのだろうと、ひととき思った。