めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

08.子供が帰る場所(2004年1月執筆)

小学校3年か4年の時、クラス内で独自のクラブ活動をすることになった。クラス全員が何らかのクラブに入ることになったのだが、クラスでただ1人不参加だった子供がいた。それが私だった。母と祖母が参加を許してくれなかったのが原因だが、何ともいたたまれない気持ちになったことは今もはっきり覚えている。

母や祖母にとって、学校とは「勉強を教えてもらう場所」以外の何者でもなかった。だから授業が終われば、直ちにまっすぐ寄り道せずに帰宅するよう厳命されていた。
クラブ活動など勉強ではなく、遊び。参加する必要などないという理屈だったのだろうと、今考えれば思う。実際に、中学・高校でも必修クラブ以外のクラブ入部は許してもらえなかったから。

2人の方針は、当時もかなり極端なものだった。正しかったかどうかと問われれば、正しくはなかったという方が正解だろう。今思い返しても、当時の私はかなり根暗な少女だった。明らかに私とクラスメートとは距離があったし、友達もあまりできなかった。

ただ母と祖母の一貫していた方針は「学校は勉強を教えてもらう場所」。つまり、勉強以外の私に関することは「家庭の責任」だという思いがあったのだ。学校と家とは全く違う。学校に家庭で教えるようなしつけをお願いするのは、恥ずかしいことだと。
事実、私の勉強以外のことに関して、彼女たちは担任に謝ることはあっても、担任を責めたり訴えたりはしなかった。

祖母も母も亡くなってしまった今となっては、もう確認するすべもないけれど、子供が帰る場所はあくまで家であると2人は思っていたのだろう。
だから2人は必死だったのだ。私に厳しかったのだ。方法論は別にして。

子供が帰る場所、それは自分に必死に向かってきてくれる人がいる場所だ。