めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

07.生まれながらの「分」(2004年1月執筆)

「人にはそれぞれ、持って生まれた『分(ぶん)』というものがあるのです」
これは、20年近く前に放送された「愛の嵐」というドラマの中で語られるセリフの一部である。

このドラマの主な舞台は、昭和初期のとある大地主の屋敷内。まだまだ身分制度が歴然としていた時代である。この家の総領息子は、生まれながらに「将来の地主」という、どうにも逃れられない「分」を与えられてしまっている。
だが彼は、小作人たちの前で虚勢を張ることだけ覚え、自分に不利なことが起こるとすぐ泣き叫び、母親の胸の中に飛び込んでしまう、気弱な子供である。まだ10才ほどの年齢とはいえ、総領としての自覚が全くない息子に対して、母親はこの言葉を何度も言い聞かせる。「地主としての自覚を持ちなさい」と暗に諭すのである。

現代ではこのドラマに登場するような身分制度も撤廃され、貧富の差も昔ほどひどくはなくなった。
でもこのセリフは、現代でも心の中に留め置いておく必要がある言葉だと、私は思う。決して「差別」というわけではなく、「分相応」という意味において。

人は生まれた瞬間に、それぞれ環境が違う場所に放り出される。放り出された先の環境が人に与えるもの、それが生まれながらの「分」だ。人はその「分」に迎合したり反発したりしながら、育っていくものだと思う。
だけど、「分」すなわち「身の程・人のつとめ」に向かい合わないまま大人になっている人が、最近とても多いような気がする。

人がつかめるものなんて所詮限られているのに、「もっともっと」と求め続ける。
手に入れたいもの全てをつかむことなんて絶対にできないのに、間違った努力でつかもうとする。
どんな高級なブランド物で身を包んでも、中味が伴わない人には絶対に似合わない。

真の大人、それはきっと自分に与えられた「分」を自覚している人だ。