めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

05.老いは、人生の縮図(2003年12月執筆)

私の父は、約20年前に病気で左半身が麻痺して以来、ほとんど車椅子に座って生活している障害者である。その影響で、私は病院や施設でご高齢の方に会う機会が非常に多い。彼等を見ていると、人間のサンプルを見せられているような錯覚に陥る時がある。

四六時中、看護士さんや職員さんを大声で呼び続ける人。
1日中、人形を相手にしゃべり続ける人。
あてもなくただ同じ所を、ずっと無言で歩き続ける人。
足腰が悪くなりうまく歩けなくなってしまったのに、リハビリを怖がって結局完全に歩けなくなった人。反対に、少しでも歩きたいという一心でリハビリを頑張る人。
何をしてもらっても文句ばかり言う人。反対に、感謝の心を忘れない人。
他人を信用せず内にこもる人。反対に、子供のように無邪気な笑顔を見せる人。

少しずつ老いていく私の父も、私がそれまで知っていた父とは全く違う部分を見せることがある。彼が泣き虫で、本当はすごく寂しがりやだということも、最近知ったことである。

人生の終幕に近づきつつある高齢者たちは、どの人も自分の心を解き放ち、子供に限りなく近づいていく。そして、自分の背負ってきた人生という名前の「荷物」をさらけ出すのだ。
痴呆や病気のあるなしに関係なく、人は老いると自分の人生の縮図をありのまま他人に見せつける。生きてきた証を残すかのように。それはもう、怖いくらいの力強さである。

自分の生き様がまるで成績表のように現れるのが、老後の姿。いつかそれをお披露目しなければならない運命なら、せめて後悔のない様な生き方をしていきたいものである。
私が老いた時に披露する人生の縮図は、自分にも他人にも誇れるものとなっているのだろうか。