めざせ!ハンドレッドセラーエッセイスト

 

 

   

チョキドリームズ向けコラム「教育を考える」

テーマ 「いじめ・生きるということ」

03.いじめは不滅(2003年11月執筆)

 私は小学生の頃、かなり陰湿ないじめを受けていた。
 休憩時間になると、2人の同級生に学校内の目立たない所に連れて行かれ、体中をつねられていたのだ。

 何しろもう30年ほど前のことである。なぜ彼女たちに私が抵抗しなかったのか、彼女たちが私をつねった原因は何だったのか、もう覚えてはいない。
 もしかしたら、いじめられていた当時も理解していなかったのかもしれない。

 子供たち同士の陰湿ないじめが増加しているという。でもこれはきっと、氷山の一角。誰にも言えず、じっと耐えている子供の方が多いはずだ。なぜ自分がいじめられているのか、理解していない子供も多いと思う。
 かつての私のように。

 人は他者を「好き」「嫌い」という言い方で区別する。それは、人間の本能の類だと思う。その区別が、時と場合に応じて「差別」「ねたみ」「嫉妬」という感情に変化していくのだ。感情は行為として表れる。その行為のうちのひとつが「いじめ」だ。

 だから、いじめは不滅なのだ。いじめを「根絶」することなんて、所詮無理なのだ。生きている限り、程度の差こそあれ誰でも必ずいじめたりいじめられたりするものなのだ。なぜなら、それが人間の性(さが)なのだから。

 いじめは不滅だけれど、泥沼から抜け出すことができるかどうか、いじめられていた子供が前向きな考えを持った大人になれるかどうかは、周りの気付きと理解にかかっている。私も周りの気付きのおかげで救われたから。

 いじめられていたという事実は、今でも私の心に澱のように残っている。あの痛みと悲しみは、忘れられるものではない。でもあの頃があったからこそ、今の自分が存在するのだとも思える。