「ひーエッセイ」 バックナンバー

 

 

   

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★★ひーエッセイ★★ '02/11/12(Tue)発行
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第69巻 「スーパーな女」
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 私は、スーパーが好きだ。
 きっかけはたぶん、学生時代のスーパーでのアルバイトだろう。4年間の食品レジ担当経験は、私を「スーパーな女」に変貌させた。

 見知らぬスーパーを見かけるとつい立ち寄り、店内をくまなく巡回してしまう。そしてその店の行く末を、勝手に占ったりする。
 店側にとっては、私は迷惑この上ない客である。

 旅行に行っても、その地方にしかないスーパーに立ち寄ることが多い。その地ならではの掘り出し物が買えることも、多々あるからだ。

 日曜日の夕方に私はスーパーに行って、1週間分の食料の買い出しをする。

 家の近所にはいくつかのスーパーがあるのだが、最近はもっぱらスーパーKを利用している。
 このスーパーは、以前公開された伊丹十三監督の映画「スーパーの女」の「スペシャルサンクス」としてクレジットされている、関西では比較的有名な中堅スーパーである。

 この店、とにかく客が多い。大型スーパーのように店内がだだっ広いということもないから、余計に多く見えるのかもしれないが、客が押す買い物カート同士の衝突も、よくある。

 そして、店内アナウンスが途切れることなく響き渡っている。にぎやかを通り越して、少々やかましいぐらいなのだ。
 ちなみにこのアナウンスは、スーパーKのどの店舗に行っても繰り広げられている。

 各売場の担当者は、それぞれ必ず手にマイクを握っている。そのマイクで、品出しをしながらでも、歩きながらでも、彼らは自分の売場の目玉商品を、がんがん宣伝しているのだ。
 どういう順番でしゃべっているのかは知らないが、彼らのしゃべりがぶつかることはない。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日は白菜がお買い得です。ただいまどんどん切っております。鍋物にいかがでしょうか。お買い忘れのないよう、野菜のコーナーへお越し下さい」

「切っているのは、白菜ばかりではございません。ただいまお肉もどんどん切っております。今夜の夕食は、しゃぶしゃぶでいかがでしょうか。お肉の売場に是非お越し下さい」

「寒い日には、ふぐです。ふぐちりです! ただいまどんどん切っております。お刺身もどんどんできあがっております。お魚売場に是非お立ち寄りください」

「ただいま、天ぷらができあがりました。今夜の夕食に、天ぷら! 天ぷらはいかがでしょうか。大好評につき、どんどん売れております。ぜひ総菜売場にお越し下さい」

 こんなアナウンスが、このスーパーでは途切れることなく、ずーっと響いているのである。魚売場でよく流れている「おさかな天国」などは、ここのスーパーでは必要がない。
 そのうえ、彼らのしゃべりの合間を縫って、サービスコーナーからの呼び出しや案内まで流れるのだ。

 いろいろなスーパーに行ったけれど、ここまでにぎやかなスーパーは、他にはない。

 スーパーKの喧噪は、昔の公設市場を思い起こさせる。

 私がまだ小学生くらいの頃、徒歩圏内に2軒の公設市場があった。
 駅前の商店街も今よりずっと活気があり、当時の各家庭の主婦達は、全ての買い物を商店街と公設市場ですませていた。

 特に年末年始ともなると、市場の中は人で埋まる。店と店との間の通路が狭いし、各店に人が群がっているので、余計に混雑する。押し合いへし合いしながら前進しなければならなかった。

 市場の中には、とにかく何でもあった。
 八百屋、果物屋、魚屋はもちろん、肉屋もあった。肉屋の店先では、コロッケやミンチカツを揚げていた。

 豆腐屋の店先には水槽があり、豆腐は全て水につかっていた。ほしい豆腐をほしい個数だけ、店の人が手づかみで取ってくれた。
 総菜屋や乾物屋もあった。

 味噌屋の店先には、樽に入ったてんこ盛りの味噌がたくさんあり、ほしい味噌をほしいグラム数だけしゃもじで取って量り売りしてくれた。
 たまご屋に行くと、ほしい数だけ新聞紙にくるりっと割れないように包んでくれた。
 お菓子屋も天ぷら屋もあった。

 うどん屋は、すのこを敷いた木箱に入ったうどん玉を菜箸でさし、紙に包んでばら売りしてくれた。
 クリーニング屋も薬屋も化粧品屋も、花屋も金物屋も雑貨屋も靴屋も、寿司屋も食堂もあった。

 だが、駅の近くに大型スーパーDが建設されてから、様相が一変した。

 ある工場の跡地に建設されたこのスーパーは、近隣にあるスーパーの中では最大規模を誇った。
 食料品だけではなく、生活用品や衣料品など全て揃っていた。

 専門店街には、本屋もレコード屋も文房具屋も、眼鏡屋も宝石屋もあった。子供が遊べるプレイゾーンも完備されていた。
 いつ行っても、店内は人でにぎわっていた。飲食コーナーの席を取るのは、至難の業だった。

 このスーパーの出現で、2軒あった公設市場のうちの1軒は、すぐに閉店してしまった。残った1軒も公設市場形式では生き残れず、現在は小さなスーパーに変わってしまった。

 市場だけではなく駅前商店街も一時期さびれ、たくさんの店がシャッターを下ろした。

 隆盛を極めたスーパーDの勢いが衰え始めたのは、いったいいつ頃からだろうか。

 隣市にはスーパーNがあった。
 たまにそこで買い物をすることがあったのだが、いつも店内が本当に静かだった。魚売場から離れていても、「おさかな天国」の歌がいつもよく聞こえた。
 店自体はそんなに広くはない。だけど客は、いつも少なかった。

 店員はしゃべらない。「いらっしゃいませ」の挨拶をするのは、レジ担当者だけだった。
 売場で響く「いらっしゃいませ」は、カセットデッキからの声だった。

 ちなみにそのスーパーNは、経営破綻した。この店舗は、閉店してしまって今はない。

 スーパーDも客が消え始めてから、何度か店舗改装を繰り返していた。だけど、店員の態度はスーパーNと大して変わらなかった。
 店内がにぎやかなのは、改装記念などのセール期間中だけである。

 スーパーDやスーパーNの衰退には、価格や品揃えにも一因があるのかもしれないが、それ以上にスーパーの「顔」が見えなかったことの方が大きいと思う。

 いったい何が「売り」なのか。存在目的が何なのか。
 両者には、それが全く見えなかった。

 正直言って、スーパーKのアナウンスはけたたましい。
「切ってます、売れてます、出してます、安いです」のオンパレードである。品出しをしている人たちまでも「いらっしゃい、安いよ〜」と常にしゃべっている。

 だけどこのスーパーKの喧噪の中にいると、店を盛り上げるのは商品の力ではなく、人の力であるということがわかる。
 この喧噪も、店側のしたたかな計算だと思うのだ。

 公設市場や商店街での買い物は、会話を伴う。たまには世間話もついてくる。
 レシートはくれないけれど、天井からぶら下げたお金を入れた籠から無造作に釣り銭を取り出し、「おまけ」と言ってくれることもあった。マカロニサラダを多めに入れてくれることだってあった。

 それに引き替え、スーパーは総合商社だ。おまけをもらったり、マカロニサラダを多めに入れてもらえることはない。世間話も必要ない。
 だけど基本的には、どの商社へ行っても同じような物を販売している。大して価格や品質が変わらないのなら、人は「顔」が見える店に行く。

 スーパーKは、そのことを確実に理解しているように思う。

 スーパーNの経営破綻も、スーパーDが未だに上昇気流に乗れずにあがいていることも、物を作るのも売るのも買うのも人だという、一番根本的なことを忘れていることが、全ての原因だと思う。
 だけどスーパーDは未だに、開店中に客の行く手を遮るようにして、店内の模様替えをしていたりする。

 今の日本の景気回復に何が必要なのか、一番手っ取り早く知る方法がスーパー巡りをすることだ。
 スーパーは、今の日本の縮図だ。

 そしてスーパーな女は、今日もどこかにスーパーがないかと、きょろきょろしているのである。