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<ひーエッセイ 第37巻 ★★ムネオ議員とトド社長★★>
発行日:'02/03/26(Tue)


 新聞やテレビのどこを見ても「ムネオ」一色だった時期、「ムネオ」議員の言動を見聞きするたび、私は決まってある人を思い出していた。
 その人と初めてあったのは、3番目に勤務した会社へ初出勤した日だった。私はその前日に、2年3ヶ月勤務した2番目の会社を退職したばかりだった。

 その人の体は、まるで脂肪の固まりのようで、本物には非常に失礼なのだが、「トド」そのものだった。顔を見た瞬間、「スケベそうな顔したおっさんやなあ」と、心の中でつぶやいていた。
 「よろしくね」と笑顔を浮かべながら、その人は握手を求めて手をさしのべてきた。握った手は、なま暖かくて、ごっつくて、ぶにゅっとしてて、ちょっと気持ち悪かった記憶がある。

 その日から、8ヶ月後にその会社を退職するまで、その人−−社長だったのだが−−の、傍若無人ぶりにあきれかえる日々を過ごすことになったのだ。
 今からもう10年近く前の話である。

 この会社では、制服やカーディガンだけではなく、社内で履く靴までが指定されていた。私は冷え性なので、会社ではソックスが欠かせない。でも指定された靴は、ハイヒールだった。ソックスを履いた足に、ハイヒールは似合わない。
 足下が寒くてたまらないので、膝掛けを持参したら、トド社長はめざとくそれを見つけて叫んだ。
「おい、寒いのか? おーい、誰か、膝掛け出したれや」。
 なんと、指定の膝掛けまでがあったのである。

 先輩に出してはもらったが、いざ指定の膝掛けを使うと、トドが「寒いのか、寒いのか」と何度も言うのでうっとうしくなり、結局使えずじまいであった。

 この会社は、「仕事以外の雑事」がものすごく多かった。代表的なものが、贈答攻撃である。

 トド社長は、盆暮れの付け届けだけではなく、春はタケノコ、夏はそうめん、秋は柿や松茸といった、四季折々の食べ物を得意先に贈ることを習慣としていた。
 私が入社してすぐ、「タケノコが始まる」というおふれが回った。何が起こるのかさっぱりわからず、目を白黒させているうちに、トド御用達の百貨店から、タケノコが山のように届けられたのである。

 運ばれてきたタケノコは、社内にある接客用カウンターに一列に並べられる。そしてトド社長が直々に、どのタケノコを、どの得意先の、どの人に贈るかを、真剣に吟味するのだ。
 選ばれたタケノコは、本社内勤社員の手で籠に盛りつけ、米ぬかなども添え、トド社長が決めた方法で梱包される。

 その後、一部の社員が手分けして、送り先1件1件に電話を入れる。
「こちらは○○百貨店でございます。××会社様からのタケノコをお届けしたいのですが、ご在宅でしょうか?」
 そして、送り先のスケジュールに合わせて、梱包されたタケノコは出荷されていく。
 つまり、百貨店がするような仕事を、すべて社内でこなしていたのである。

 秋になると、物が松茸に代わるだけで、後はまったく同じ内容の騒動が展開される。
 盛り付け用の籠や米ぬかやスダチなどは、大量にあまるのだが、トド社長は「持って帰りたまえ」とおっしゃる。
 だけど、タケノコや松茸を持って帰れとは、絶対に言わなかった。余っても、自分がどこかにいつも持っていってしまっていた。

 得意先訪問の際や、来社して下さったお客様には、手土産を欠かさない。得意先のランク(トド社長の独断)によって違うのだが、これも大体食べ物で、お菓子(それも京都の有名処)や最高級特上牛肉などが多かった。
「特上スキ1キロ(特上のすき焼き肉1キロ)」という隠語が、社長出張前には社内を飛び交ったりしていた。

 私も、大阪市内の事務所から京都まで、1人でお菓子を買いに行ったことがある。その量たるや、半端ではなかった。何しろ、店にあるその日の在庫を、全て持って帰るというくらいの勢いだったのだから。
 あの重さは、筆舌に尽くしがたい。

 時々、社内で「決起集会」なるものが催されたりするのだが、その際には食べきれないほど大量の食べ物を、トド御用達のホテルから取り寄せる。
 持ってきたホテルの従業員が「食べきれるんですか?」と、こっそり私たちに聞くくらいの量である。

 トド社長が選ぶ手土産や季節の贈答品は、判で押したように決まった店の、決まった物である。そして食事する所も大体決まっていて、決まったものしか食べないらしい。
 トド御用達ホテルにある料理屋で、まだ入り立ての店員さんが、トド社長にメニューを差し出したことがあったらしい。トドはその店員さんにこう言ったとのことだ。
「僕にメニューを出した人なんて、初めてだよ」。

 社員旅行の行き先も大体決まっている。私が入社した年は金沢だったのだが、「金沢に行くならここ」という感じで、訪問先もホテルも毎回同じらしい。
 旅行の前には、大量のジュースやアルコール飲料、お菓子やパンや果物を買い込む。出発前に、缶飲料はすべて洗わなければならなかった。
 目的地に向かうバスの中で、それらがどんどん配られる。そして、ホテルでの宴会中はおろか、次の日の朝食時にも配られる。

 夜の宴会は、通常3次会まで続く。2次会はホテル内のクラブで、カラオケである。
 1泊2日の社内旅行なのに、トド社長は数百万円の現金(もちろん会社のお金)を持参する。そのお金を、いろいろな人に配りまくるのである。お金を手にしたクラブの支配人やホステスさんたちは、トドの回りでひざまずく。他のお客さんもたくさんいるのに、カラオケの順番が回ってくるのが早くなったりする。
 汚いお金の使い方をする人だなあと思い、ものすごく嫌な思いをした記憶がある。

 こんなトド社長は、「真心をこめて仕事をしろ」というのが口癖だった。だけどトドが真心をこめるのは、タケノコや松茸を吟味することだけだった。
 トドの机の上には、社員が作成した書類やリストなどが山積み状態だった。でも、トドがその書類を見ることはなかった。そこに座って仕事をしている姿も、私は見たことがない。

 トド社長は夜行性で、昼間は大きないびきをかいて昼寝をしている。そして、ボーナス査定等の時期になると、真夜中過ぎまで総務と経理の担当者を引き留める。ちなみに経理の担当者は、女性である。

 そして、自分の気に入らないことがあると、顔を真っ赤にし、社内中に響き渡るぐらいの大きな声で怒鳴り出す。まるで子供がだだをこねるような発狂ぶりだった。
「貴様、貴様」と連発し、時には物を投げたり、社員に暴力をふるうこともあった。とにかく一度火がつくと、気が済むまで怒鳴らせておくしか方法はなかった。
 社内では「トドの火砕流」と言っていた。

 そのうえ、私の第一印象通り、トド社長はスケベ親父だった。
 髪の長い女性が好みのようで、気に入った社員を用事もないのに呼びつけて、傍にはべらせる。時には、彼女の髪の毛にさわったりする。
 その女性がどうあがいても自分になびかないとなると、手のひらを返したように彼女に冷たくあたり、退職させるように画策する。だけど、彼女に引導を渡すのは、部下である。

 一事が万事、そんな調子なので、特に本社内勤社員は長続きしない。入社1日で来なくなった人もたくさんいた。1ヶ月に1〜2人の割合で退職していき、また新しい人が入社してくる。
 得意先からは、「またあんたとこ、新聞に求人出してたな」と、嫌みを言われたりした。入社して半年後には、私は本社内勤社員の古株となっていた。

 トド社長が社内にいるときは、みんなが息を潜めていた。火砕流を発生させないようにという気遣いで、極度の緊張感に襲われていた。私の精神的な疲労も、ピークに達していた。
 そんな時、トドの小判鮫をしていた社員が、女子社員たちにこう言い放ったのだ。
「この会社では、社長が『白』と言うたら、世の中が『黒』と言うてても、『白』なんや。それが嫌やったら、この会社をやめろ」。
 その日の内に、私を含めた3人が退職願を提出し、次の日退職した。怒濤のような8ヶ月間だった。

 私はストレスから激太りして、支給された制服のサイズが合わなくなり、トドからは「太った」と何回も言われた。
 定期的に回ってくる朝当番の日は、朝7時に出勤しなければならなかった。だけど営業マンたちは、それより前に出勤してきていた。なぜそんなに早く出勤しなければならなかったのかは、未だにわからない。
 だけど営業マンは内勤社員とは違い、外出してしまえばトドの理不尽な攻撃から逃げられる。

 テレビで、ムネオ議員が怒声を発するのを聞くと、トド社長と全く同じだと感じる。ムネオ議員も、回りの人間を萎縮させることで、自分の思い通りに人を動かそうとしていたのだろう。
 むやみやたらに怒声を発する事は、自分が気が小さい人間だと回りに吹聴しているのと同じ事なのに。

 いったい何がきっかけで、他人が自分の思い通りになると、人は勘違いするようになるのだろう。

 バブルが崩壊してから、トド社長の会社は移転したらしい。私がいた頃もかなりの自転車操業だったのだが、その後かなりの赤字経営を強いられていたようだ。今、会社自体が存在しているかどうかもわからない。
 ムネオ議員も、いずれは議員を辞めざるを得なくなるだろう。

 強引な力で人を押さえつけようとすれば、後々必ず自分自身も、強引な力で排除されるのだ。